第11話 それでも、一人じゃない
天照院の境内は静かで、周りの住宅とは別の世界のようだった。
天は以前、親戚がこの寺に通っていると聞いたことがあった。
「こっち。本堂の玄関は鍵かかってるから」
七海は、過去帳がある場所へと案内してくれた。
本堂の隣の普通の玄関から中へ入る。
「お邪魔します」
「どうぞ」
ふっと、お香の香りが鼻に入った。その奥に、古い木と埃の匂いが混ざっている。
乾いているのに、どこか重たい空気だった。
七海が電灯をつけると、長い廊下の奥に、暗い本堂らしい広い空間がうっすら見えた。
本堂を横切ったとき、本尊に目が行き、思わず足が止まりかけた。手を合わせた方がいいのか、一瞬だけ迷う。結局、そのまま七海の後を追った。
薄暗い奥の廊下の突き当たりのドアから外に出ると、左手へ外壁に沿って渡り廊下が続いている。外壁の向こうに隣の住宅の屋根が見えた。
渡り廊下の先、左手に蔵の入口があった。七海は鍵を取り出した。
「気にしなくていいよ。自由に入っていいことになってるから」
天は、初めて見る漆喰の頑丈な建物に少しドキドキした。
七海は鍵を差し込み、少し力を込めて扉を引いた。古い木の扉が、ゆっくりと軋みながら開く。
中は真っ暗だった。七海が電灯をつけると、古い書物や木箱や古びた箱、年季の入った品々が所狭しと積み上げられていた。
「埃っぽいけどごめんね」
「あ、うん」
七海は、『過去帳』と墨で書かれた箱を開けた。すると、中には厚手の和紙で綴じられた、ずっしりと重い一冊の本が入っていた。表紙には金泥で「天照院」と書かれている。
古い和紙で力を入れると切れてしまいそうだ。七海はそっとページを捲る。
ページをめくっていくと、筆で丁寧に書かれた名前と生年月日、行事や出来事がたくさん並んでいる。天の指が、一行一行を追うたびに、心臓が早鐘のように打った。
(ナギの過去が載ってるだろうか?)
「……あった。江戸時代のころの記録」
七海の指が、ある一箇所で止まる。山野家の家族の死亡日が皆同じ日付になっていた。山野家だけでなく、酒井家の死亡日も同じだった。
「これは……同じ日だ」
天の声はかすれていた。
山野家の娘、お初だけは死亡日がもっと後だ。
「お初の名前の下に、『天野お初』と書いてある……」
ページを捲っていくと、『天野』と書かれた人名に目が留まる。
「天野清右衛門の後に、天野お初の名前がある。夫婦なのか?」
(まさか僕に関係あるのか?)
天の胸の奥が疼いている。
「何してんだ?」
背後から急に低い声がして天は飛び上がりそうになった。
「お父さん」
七海が気づいて言った。
「過去帳を見せてあげてるの。昨日話した、天野くん」
「お邪魔してます」
天は軽く会釈した。
「この人、私のお父さん。明玄住職」
「君が天野くんか……」
明玄住職は、薄い色の作務衣を着ていて、優しい目をしていた。
「天野くんの話通りに鬼に惨殺されたような記述があるの。ここ全員死亡日が一緒なの」
七海は過去帳を指差した。
「昔の言い伝えとかまとめた本があったなあ……」
明玄住職は、埃が被った本の束から一冊の紫の表紙の本を取り出した。
パラパラと捲る音がする。
「ここだ」
『鬼に変化し若者。庄屋の山野家、組頭の酒井家を惨殺せり』
「うわ。本当に書いてある!」
七海と天は、顔を近づけて本を覗いていた。
『庄屋の血筋、一人の娘を残して断絶。その娘、寺に避難する。僧の授けし数珠により、鬼の目を逃れたり』
天の胸が内側から熱くなり、思わず手で押さえた。
明玄住職は、静かに昔を思い出すように話し始めた。
「先代から聞いたことあるんだけど、昔、偉いお坊さんがうちに訪ねてきた時にさ、夜徘徊する鬼を封じ込めたことがあるらしい」
『違う! 違う! みんなお前らが悪いんだ! 悪いやつはみんな死ねばいいんだ!!』
「うっ……」
天は、急に胸が苦しくなり、その場に崩れたと同時に、ナギが天の体から飛び出した。
「天野くん!」
七海が駆け寄る。
『ウォー! 天は人殺しの子孫かよ! お前らも俺を閉じ込めた奴らかよ!』
ナギは周囲に向かって吠えた。
その瞬間、明玄住職は左手を胸の前に立て、右手に数珠を持ち、低く経を唱え始めた。
「……何かいる」
『おめえら、邪魔すんな!!』
ナギは天の胸ぐらと膝を鷲掴みにし、ぐいっと自分の頭の上に掲げた。天は、降りようともがいた。
「ナギ! 放せ!」
七海は宙に浮く天の姿に、何もできず腰が抜けていた。
『人殺しめ! 壊れろ!』
ナギは七海の方へ天を投げた。
明玄住職は、咄嗟に七海の前に立ちはだかった。
「あっ……」
三人の体はもつれ、天の体は棚に激しく打ちつけられた。
「うっ……」
「天野くん!」
明玄住職は座ったまま、右手に数珠を持ち大きな声でお経を唱えた。
「南無阿弥陀仏! 荒ぶるものよ、その力を鎮めよ!
裁きにあらず、ただの執なり……光のもとへ還れ!
南無阿弥陀仏っ!」
明玄住職の声は低く力強く、静かな寺全体にこだました。
「南無阿弥陀仏! ……南無阿弥陀仏!」
七海も数珠を持ち、詠唱に加わった。
「「南無阿弥陀仏! ……南無阿弥陀仏!」」
『弱いものいじめするな!』
ナギはジリジリと後ずさる。二人は、まるで見えているかのようにナギの方へ近づいていく。
『念仏は嫌いなんじゃあ!!』
ナギは、蔵から外に出て、塀を越えてどこかへ行ってしまった。
天は、痛む体を我慢して立ち上がって外をみると、ナギの姿はなかった。天がポツリと呟く。
「ナギがいなくなった」
「……やはりそうか……。天野くん、大丈夫か?」
明玄住職は、天の体をチェックした。
「……はい」
七海がはっと何かを思いついたように言った。
「今日、うちに泊まったら? お母さんに言ってくる」
七海の足音が遠ざかった。
「天野くん。居間の方に行こう。ご飯食べてゆっくりするといい」
(――まさかここでこんなことになるとは……。七海の話は本当だった)
明玄住職は、先代から預かったある品物を思い出していた。
◇
「まあ、そんなことがあったの?!」
朝倉七海の母の和歌子は、夕飯を作っていて何も気づかなかったらしい。
心配そうに全員の顔を見回す。
「天野くん、今日うちに泊まった方がいいよね? まじで空中に浮いてたんだ……怖かった」
「……天野くんの親御さんに連絡しましょう」
しばらくすると、天の母親の秋穂が迎えに来た。兄の海都は塾(?)だし、父親の達也は毎日残業で遅いのでまだ帰っていない。
玄関で秋穂と明玄住職の声が聞こえる。
「天が迷惑かけたそうで、すみません」
「いやいや、天野くんはかなりヤバいものに取り憑かれているようです」
「……電話で奥さんからも聞いたんだけど、いまいち信じられないんです」
「まあ、上がってください」
◇
七海と天がご飯を食べている中、応接室のソファで明玄住職と秋穂が会話していた。
「今日はうちに泊まらせます。いいでしょうか?」
「ご迷惑では……?」
明玄住職は、起きたことを細かく秋保に伝えたが、まだ信じてないようだった。
「後でもう少し天野くんから話を聞こうと思っています。それと、これを渡そうと思いまして……」
明玄住職が古い茶色の箱の蓋を開けると、茶色い古そうな数珠が入っている。
「これは昔、鬼を封じる前に、鬼に狙われた少女に渡していた数珠です。その少女が大人になり、亡くなったあと親族がこの寺に戻してくれたそうです」
「……はあ」
「天野くんはおそらく、この鬼に取り憑かれているようです」
「えっ? ……なんですかそれは」
「過去帳によると、その少女は、おそらく天野さんの先祖のようです」
「……どうして? わかるんですか?」
明玄住職は、重い過去帳を開いた。
「ここでは『天野』という苗字は珍しく、天野くんのご親戚しかいないように思います」
「……ええ、そうですね。うちは古くからこの辺に住んでるって聞きました。元々は少し離れた山にいたようですけど……」
「ここ、見てください」
明玄住職は、『天野お初』とその旧姓『山野お初』の関係、死亡日がみんな同じこと、うちの寺での伝承の話など、合わせると話がぴったりすると説明した。
「天野くんが、七海に鬼の話をしていたようです」
「最初、天野くんのお母さんを頭痛にされて、家族に危害が及ばぬよう黙っていたようです」
「頭痛……?」
秋穂は、記憶を辿ると思い当たった。
「まさか……校外学習の日?」
「天野くんは校外学習で、石の封印を解いてしまったらしいです」
「あっ……」
秋穂は口を押さえた。
「天から話を聞きます」
秋穂は天のところへ小走りで向かった。
明玄住職は、優しい表情になった。
◇
リビングに行くとまだ二人はご飯を食べていた。
「天……。本当なの? 《ナギ》って鬼の話」
「……うん」
秋穂は、天を抱きしめた。頬に涙が伝う。
「ごめん……わかってあげられなくて……。辛かったね」
天は目を瞬いた。視界が歪んでいく。
「さっき、天野くんが空中に浮いた後、飛ばされてました……」
箸を持つ七海の手が震えている。
天は何か言おうとした。でも、言葉にならなかった。
気がつくと、天は声をあげて泣いていた。
◇
秋穂が帰り、お風呂に入った後、七海と同じ部屋で寝ることにした。
(こんな状況でなければ、嬉しいのに……)
「ねえ、さっきの数珠見せて」
天は、箱を七海に渡した。
「これさ、いつも身につけといた方がいいよ」
「……うん、そうする」
七海は数珠を握って目を瞑る。
(どうか天野くんをお守りくださいますよう……)
天がポツリと言った。
「愛羅と……仲良くしてやってほしい」
「林さんか……。うん、わかった」
天は親にも全て話してしまっていた。ただ、愛羅のことは詳細には話すことができなかった。
全部を話した時、全員しばらく黙っていたのを思い出す。
七海は電気を消した。
「なんかあったら起こしていいから……おやすみ」
「ありがとう。おやすみ」
頭の中に今日の出来事が鮮明に思い出された。
――ナギは今どこにいるんだろう?
次に会った時は、僕を殺すんだろうか? いや、殺しはしないのはわかっている。
……もう一人じゃない。そう思うと、少しずつ睡魔がやってきた。
朝倉も心配してくれている。もちろん、お母さんも……。きっとお父さんも話を聞いて心配するだろう。
兄ちゃんはどう思うだろう?
今日も落語してきたんだろうな……。
――いつのまにか、天は眠りの中にいた。




