第10話 鬼の記憶
天は夢を見ていた。
そこは、見覚えのない、でも懐かしい匂いのする藁葺きの家だった。
囲炉裏の火が爆ぜる音が静かに響く。
天(小太郎)は、小さな手で、木の茶碗を母親の口元に運んでいた。
「おっかあ。……薬、飲んで」
自分の声が、今の天のものではない、少し高く、でも掠れた少年のものだと気づいた。
布団に横たわる母親は、焦点の合わない目で小太郎を見て、弱々しく微笑んだ。
「小太郎。……田んぼは、大丈夫かい……?」
小太郎は、自分の左目だけで母親を見ていた。右目は……何かに塞がれているように重い。
この日は台風が去った後。収穫前の田んぼが心配だった。
「見てくる」
「気をつけてな……」
近所の子ども達が小太郎を見つけると、一斉に囃し立てた。
「あ、小太郎や! 石投げたれっ!」
「一つ目の子やーい!」
「早よどっか行けやーい!」
子ども達は小太郎に次々と石を投げた。
(痛い……)
小太郎は子ども達をやり過ごし、田んぼに向かう。
しばらく歩いて、田んぼに着いた。小太郎は田んぼを眺めた。赤トンボがたくさん飛んでいた。
田んぼは幸い、端以外は倒れておらず、被害はそれほどなかった。
(良かった……)
「おい、小太郎。お前の家のほうで火事があるようだぞ」
知り合いの親父が声をかけてきた。
小太郎は、顔色が変わる。慌てて駆け出した。
(おっかあ!)
家に戻ると、家はすでに火に包まれていた。
小太郎が火に飛び込もうとすると、隣家の親父、彦兵衛が手を掴んだ。
「行くな!!」
「放せ! おっかあ!」
彦兵衛は、強く小太郎を抱き抱えた。小太郎は小柄なため、抵抗できない。
「おめえも死んじまうぞ!」
「おっかあ!」
小太郎の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
後ろの方で、彦兵衛の連れのタエが呟いた。
「庄屋も罪深けえことするなや……。いくら土地を売らないからって……」
「放せ!」
「もう無理や!!」
彦兵衛が一喝すると、小太郎は崩れて膝をついて、砂を掴んで泣いていた。
「おっかあ……」
小太郎は、すっくと立ち上がり、田んぼの方へ走った。
「これ、小太郎どこ行くんじゃ!」
走って走った。田んぼの隣の小屋から長いナタを取り出して、庄屋の家へ走る。
小太郎は怒りで身体中の血が湧き立った。
「何の罪もない、おっかあを……!!」
――天は拳を握りしめながら目を覚ました。汗だくになっていた。
体を起こすと、体の節々が痛む。昨日の傘立ての衝撃が残っている。
天が重い目を開けると、床には黒い大きな物体が横たわっている。身体中が鈍く光る鱗に覆われ、尻尾もぬらぬら光っている。手は鋭い長い爪が生え、前髪もなくなり、一つ目が剥き出しになっていた。
『天。昨日は威勢がよかったなぁ。ヒヒッ』
ナギが動くたびに、硬い鱗が擦れ合い、昨日までとは違う『ジャリッ』という重い音が部屋に響く。
「ナギ。……ナギの名前って《小太郎》って言うのか?」
ナギは体を起こして、天を見た。一つ目がギョロリと動いた。
『何で知ってんだよ』
「夢で見たんだ……。家が火事に……」
天は布団を握りしめながら言った。パチパチと真っ赤に燃え上がる家を思い出す。
『……そうだよ!! 庄屋の誰かにやられたんだ。俺はやり返した』
「殺したのか……」
『武士と違って弱かったわ。皆殺しにしてやったわ……いや、一人逃した』
「……」
『使用人が裏からおなごを逃しやがった。探しに行ったがわからねえ。あちこち探し回った……教えない奴は殺した。結局見つからねえ……』
天は身震いした。
『ついでに俺をいじめてた奴らも殺して回った。そしたら……体がデカくなって、目から力が湧いてきて……俺は強くなったが、太陽だけは怖くなって夜しか動けなくなった』
天は体が固まったまま、ナギから目が離せなかった。
『おせっかいな僧が来てよ……。俺を封じ込めようとしやがる。しかし、なかなか殺せねーんだ。近づくと弾かれる。そのくせ、お経唱えながら近寄ってくる。俺は滝まで追いやられて石に封じ込められたってわけさ』
天は、話を聞き終わると、息をするのを思い出した。
ハァハァ。
(やっぱり……化け物だ)
恐怖と共にナギの悲しみも伝わってきた気がした。
(だからって人殺しはダメだ……)
下に降りると、海都が起きていた。
「どうした? 天。顔色悪いぞ?」
「大丈夫だよ……」
(家族は何としても守る。ナギがだんだん化け物化してきた……学校に行こう……)
軽く食べて、身支度をし、学校に行く。
『今日は、学校行くのはえーな』
天の後にナギが着いていく。
天は、早歩きで登校した。
(ナギの封印が解けたら、どうなるんだろう……)
◇
二時間目。織田先生の社会の時間。
ナギは相変わらず授業中はウロウロしていた。
ナギの行動が変わっていないのをみて、天は胸を撫で下ろした。
織田先生は黒板の前に立っていた。
「さて、今日は《自分のルーツ》について考えてみよう。みんな、自分の家族や先祖についてどれくらい知ってる?」
ざわざわ……。
「……ほとんど知らないです」
「うちもあまり」
天は机の上でノートを開いた。夢のことを思い出した。
(小太郎って百姓だよな……。調べたら載ってるんだろうか?)
ふと、七海の友達の吉沢と目が合い、睨まれた。
七海が泣いてから、目が合うたびに睨まれるようになった。
(仕方ないよな……)
天は肩を落とした。
「そこで、宿題として家族に聞き取りをしてみよう。お父さん、お母さん、おじいちゃんやおばあちゃんでもいい。生年月日や出身地、昔の話を聞くんだ」
黒板に『聞き取りのポイント』と題して、箇条書きが書かれる。
•名前、誕生日、出身地
•幼少期の思い出
•家族の職業や住んでいた場所
•地元の行事や生活の話
「授業中はここまで。聞き取り方のコツを少し説明する。相手が話しやすいように質問を考え、メモを取ること。強引に聞き出すんじゃなく、自然に話してもらうんだ」
天はノートに書き込みながら、ふと考える。
(ナギの過去を調べられたら、何か解決方法とかあるんだろうか……?)
「あと、郷土資料館や図書館でも家の歴史や地域の情報を調べられる。新聞や古い写真、地図も面白いぞ」
クラスの一部が興味深そうにうなずく。天も、図書館の棚に並ぶ古い写真や資料を思い浮かべた。
「じゃあ、来週までに家族に聞き取りをして、簡単なまとめを作ってきてくれ。わからないことがあったら質問してもいいぞ」
チャイムが鳴り、教室のざわめきの中、天は急いで図書室に向かった。
図書室に向かう天を七海が目で追っていた。
――図書室。
天は地元の昔の資料がないか探したが、見つからなかった。棚を覗き込んでいると、後ろから名前を呼ばれた。
「天野くん……」
振り向くと、七海だった。
天は胃がキュッとなる感じがした。
「天野くん。これ……うちの蔵にあった、古いお守り。……気休めかもしれないけど」
天がそれを受け取ろうとした瞬間、背後にいたナギの巨大な尻尾が、音もなく空気を切り裂いてお守りを弾いた。お守りは音もなく地面に落ちた。
『ヒヒッ……。天、それ拾ってみろよ。お前の手が「ジュッ」て焼けるぜ?』
ナギの一つ目が、床に落ちたお守りをじっと凝視する。
すると、お守りから細い煙が上がり、だんだん黒く焦げ、炭のようになっていく。
「……やっぱり。……天野くん、本当に『何か』を連れてるんだね」
七海の目は、恐怖で震えながらも、天を助けたいという必死な光を宿していた。
「何で僕に関わろうとするの? 泣かしたのに……」
「あれは人間ができることじゃない! 天野くんは悪くない」
七海は真剣な表情をしていた。
「私の家、お寺なのね、よく説明がつかない体験をするの」
「そうか……」
天は七海の実家がお寺とは知らなかった。
「……だから、力になれたらって思うんだ」
七海は天をまっすぐ見た。
「僕は……朝倉を巻き込みたくないんだ。だから、関わらないでほしい」
「……私、頼りないのかな?」
「いや、そうじゃなくって……。俺、朝倉のこと、好きだから……傷つけたくないんだ」
天はそう言うと、耳が真っ赤になった。
七海は少し黙った。
「……ありがとう。でも私は、天野くんを救わなきゃいけない気がするの」
「朝倉……」
天が七海の顔を見ると、目が合った。
「……だから、何か悪いものに憑かれているなら教えてほしい」
天はまっすぐな強い眼差しを投げる七海が眩しかった。
「うん。実は……」
天は今までのことを全部話した。
七海は目を瞑って息を吐くと、意を決したように言った。
「……今日、学校終わったら、うちに来ない?」
「えっ?」
天は七海を見た。
「天野くん、昔のこと調べたいんでしょ?」
「う、うん」
「うちにね……過去帳があるから見に来ない?」
天は頷く。
「……そうだね。なんか分かることがあるかもしれないね」
『……なーんかやな予感するなあァー』
ナギはそう言いながら、司書が本を受け渡すカウンターの上を歩いた。テーブルがミシミシ音を立てる。
「じゃあ、放課後ね」
「うん。また」
七海は手を振った。
◇
放課後。
天は七海と教室を出た。
昇降口で愛羅が待っていた。
「林……今日は朝倉と朝倉のお寺の過去帳を見せてもらいに行くんだ」
「私も行こうか?」
「いや、何時になるかわからないし、いいよ」
「あっ、そう……」
愛羅は天のことが心配だったが、七海が一緒にいるのが気に入らなかった。
『天。愛羅が妬いてるぞ! いいのか? ほっといて』
天はナギを無視した。
「じゃあ、行こう」
(朝倉の家ってどこだっけ?)
――天照院の入り口に着いた。
天の後ろを歩いていたナギが不意に大声を出した。
『寺は嫌いだ! しばらく隠れるわ』
次の瞬間、ナギの体が小さくなりながら、天の胸へと吸い込まれていく。
「うっ……」
天は胸がキュウッと締め付けられる感じがして手で押さえた。
「天野くん! 大丈夫?!」
痛みは一度だけで、だんだん引いていった。
天はあぶら汗をかきながら、「大丈夫……」と言った。
七海はいつのまにか手に数珠を持っていて、天の背中をさすりながら、何かを唱えていた。
「楽になってきたよ」
「……良かった」
七海に支えられながら、境内に入っていった。




