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お姫様と私。  作者: kemuri
転章<告白編>
36/36

お姫様と私、雨けぶる庭で。

 雨季の王宮は、一年でもっとも静けさに満ちている。

 しとしとという音ともいえない水の気配が、すべてを柔らかくも余すところなく包み込んでしまうからかもしれない。切れ目なく降りやむことのない雨は、音も色もぼんやりと霞ませる。

 それはお茶会で賑わった春の後に訪れる、いっときの休息だ。


「私、嫁ぐことにしたわ」


 変化は、どんな時でも唐突だ。

 レイチーの変化は、特にそうだった。私はいつも取り残されてしまう。


「え…?」


 いつものお庭、その東屋には今日も美味しそうなお菓子とお茶がふんだんに用意されていた。

 かしゃりと鳴ったのは、私が浮かしていたカップだろうか。


「もちろん、今すぐではないわよ。許嫁がいる身だもの」


 悪戯っぽく目を和ませるお姫様とは対照的に、私は目を見開いたまま硬直してしまっている。

 色々なものが映っているはずの視界ではあるが、意識に認めているのはお姫様の微笑と鮮やかな紫陽花色のドレスだけだ。

 けぶる雨煙さえ、どこか遠い。


「義兄上やシェリア殿下を見ていて、私もそろそろ思い切らなければと思ってしまったわ。ひとりだけ、同じところに留まっているわけにはいかないものね」


 ゆったりとした動作でお茶を飲むお姫様を思わず見つめる。

 色々な可能性が頭の中で渦巻いている。

 それは見たくない現実ばかりだけれど、思わず口をついて出た言葉に自分の最近の惚けっぷりを再確認してしまった。


「…シェリア様、と?」


 言った傍から、返答を聞きたくないと思ってしまう。

 それは、シェリア様とレイチーが並んだ姿に違和感を感じないことを思い知ったとか、芽生えてしまった恋心が摘み取られそうな痛みを感じたとか、そんな意味ではない。

 まったくそういった意味じゃないわけでもないのが情けないところではあるが、でも私がお姫様の返答に怯えにも似たものを感じているのは全く違う理由だ。この理由を正面から受け止めたくもないほど、私は、怖い。

 いつだって、取り残されるのは怖いから。


「もちろん、」


 そんな私の内心に気づいているのかいないのか分からないが、お姫様は呆れた様子など微塵も見せずに、にこりと微笑んだ。

 いつもなら可憐な微笑に弛緩する空気も、私のせいで今日ばかりは張り詰めたままだ。


「シェリア殿下とは近々お別れするわ」

「!」


 こくりと呑みこんだのは薫り高いお茶などではなく、批難じみた悲鳴だったかもしれない。

 代わりに出た台詞だって、気の利いたものではなかったが。


「ご当主様は、ご存知なの…?それに、殿下や陛下だって」

「ふふ!まだ、誰にも秘密よ」

「そうなんだ」

「もっとも、王妃様はすでにご存知かもしれないわね」


 誰にも秘密、という言葉に安堵しかけた内心を見透かすように重ねられた言葉は、私の不安を裏付けるものだった。このお姫様の言葉から導かれる結論にたどり着きたくなくて、思わず話題を逸らす。


「シェリア様とは、本当に結婚しないんだ…」


 以前そんなことを仄めかしていた気はするが、まさかこんなに簡単に、しかも突然言いきるとは思っていなかったことも事実だったけれど。

 明らかに横道にそれた反応にも関わらず、お姫様はにこにことした表情を崩さない。

 それどころか、さらに助長するような台詞を続ける。


「そう、だからコニは安心して恋に悩んでいいのよ」

「うっ…や、今はそんな話じゃないでしょ!だって、レイチー」


 そうやって風に甘やかされれば、逃げられない。

 レイチーがどんなつもりだったとしても、そうやって私はいつもレイチーの敷いた道を外れようとは思えなくなってしまうのだ。いつでも違う道を示してくれるから、一緒に歩く道が魅力的なことをいつも思い知る。

 どんなに振り回されたって、そこには必ず私の意志があったのだ。


「なぁに?」


 ふわりと首を傾げるお姫様は、何も分かっていない可憐なオヒメサマにも見える。

 そんな姿さえも自覚的なのだろうけれど、それを分かっていても言わずにはいられない。分かりたくないことを聞かされるとしても、聞きたくないことをはっきりと言われるのだとしても。

 不意に掠めた花の香りは、甘いのにどこか苦い。


「そんなことしたら、」


 レイチーの見ている夢が遠のいてしまうのではないだろうか。遠のかなくとも、その道は険しくなるはずだ。だって、その夢には身分に負けないレイチーが必要なのだから。

 そう続けようとした言葉は途中で途切れた。

 あんまりにも、レイチーが優しげに私をみているから。


「…でも、ほんとに殿下の許嫁と結婚できるひとなんて居ない、でしょ」


 王族の結婚は、恋愛ではない。

 それは複雑に絡み合った政の成すものであり、様々なバランスの上に成り立つ祭事でもある。

 それゆえに、許嫁の解消にだって代償は存在する。

 一つには存在確認の不能。

 これは、簡単に言えば失踪や死亡が当てはまる。いくら理想的な条件の人間でも、居るかどうかわからないのでは駒にさえなりえないということだ。

 一つには条件の失効。

 これが最も不名誉とされるものだが、つまりは婚外子や結婚歴の発覚などの事例があてはめられる。これは王族についてまわる継承権の関係で厳しく審査されるだけに、事例には事欠かない。

 一つには上位との結婚。

 これは最近はあまりないが、一昔前には良くあったことらしい。早い話が略奪婚、王子の許嫁を王様が、第三王子の許嫁を王太子殿下が娶るということだ。これは廃れつつも現在に残る、正当な悪習だ。

 一つには代替者の立案。

 これは略奪婚と対になるものであり、この代替者にも様々な条件が付加される。それは身分や実績などであり一朝一夕に造り上げられるものではないので、すでに決定している許嫁を降ろしてまで成り替わらせた事例はあまりない。冗談めかして私と殿下の関係を助長するような話が出るのも、この項目があるせいだろうけど、今は現実的ではない。

 つまり、レイチーにはどれも当てはめることは難しい。

 貴族の正当性を以って許嫁を解消するには、最後の選択肢しかないはずなのだ。

 でも、それでは「近々」という言葉がウソになる。


「ふふ」

「レイチー?」

「コニ、分かってるくせに」

「…っ」


 お姫様の言葉に、見たくなかった可能性を見ざるを得なくなる。

 どんな決まりごとにも例外、抜け道はある。 


「私は、夢を諦めるつもりはないわ」


 レイチーの視線は、揺るがない。

 それに私が納得しないわけにはいかない。甘え続けてきた私に、反対することなどできない。


「コニ、ずっと一緒に居たかったわ。ほんとよ」


 微笑むお姫様、レイチーは綺麗だった。

 嗚呼。

 ついに、私たちが変わるべき時がきてしまった。

 今まで私が本当に不安になることなんてなかった。

 レイチーが貴族のお姫様になってお屋敷に行ってしまったって、王太子殿下の許嫁になって王宮に行ってしまったって、私と一緒に歩く道を諦めることをしなかったから。どんなに私たちを隔てるものがあっても、つかず離れずの心地よい距離は自由のある日常の連続でしかなかった。

 わずか二十年にも満たない時間であっても、それは私にとっていつものことの範疇でしかない。

 だって、いつでもレイチーの姿があった。

 そこに距離はあれど、レイチーの姿はいつだって私の眼に映っていた。

 手も声も届かないところに行ってしまっても、その存在を確認できないことなどなかった。

 でも、それはレイチーの努力に甘えてるということでもあった。

 いくらでも遠くへ行ってしまえるのに、私をふり返ることを忘れないでいてくれた。私を必要としてくれていたことは事実だし、私の存在がレイチーを強くしたことだって表面的なものじゃない。まるで私がレイチーを甘やかしているみたいな状況だって、ある意味では真実なのだ。


「…いやだなぁ」

「そうね」

「……すごく、嫌だな。レイチー」

「ごめんね」


 王族の許嫁を正当に穏便に解消する方法を、レイチーはあと二つ持っている。

 これまでの代償は、すべてセントリア国における貴族の政と祭事として規定されていることで、それゆえにレイチーに限って言えば二つの抜け道を作ることができるのだ。

 一つには、貴族をやめること。

 政も祭事も、所詮は王族と貴族の範疇だから。ただのレイチェル・ルノワに戻れば、それは決まり事の枠組みさえ飛び越えて、問題以前のものにできるのだ。

 でも、レイチーは夢を諦めないと言った。それはつまり、身分を超えることが必要な夢を諦めないということで、身分に縛られることしかできない平民に戻るつもりはないということだ。

 それならば、答えはもう一つしかない。

 たとえ許嫁がいても求婚者が絶えないほど魅力的なレイチーだからこそ持てる、もう一つの例外。

 レイチーは、他国へ嫁ぐつもりなのだ。


 とんでもない秘密の告白は、雨に包まれて私の胸の奥にしっとりと冷たく隠される。

 お別れという未来と一緒に。

これで【告白編】は終了です。

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