燃え移った火は消えない
女の子視点です。
「ちょっと、アンタ。いつまで机拭いてるつもりだい。もういいから、こっちの皿でも拭いておくれ」
「ん?うん、どれ、よこしなさい」
オバサンがため息をついて空いた皿をオジサンに渡す。オジサンは布切れで何度も何度もしつこく皿を拭う。
最近のオジサンはずっとこんな調子だ。オバサンが何かをお願いしたら、いつまでもそれを続けてそれっきりになってしまう。
オバサンは声量を落とすこともなく「ボケるのは嫌だねぇ」と言った。けれども、オジサンは聞こえていないように何も応えない。
日に日に、オジサンの耳が遠くなっている。声をかけても、半分は聞こえていないみたいで、背中を叩いてようやく振り向いてくれる。
「ほれ、嬢ちゃんもそろそろ時間だろう?さっさと行っといで。全く、日照りがキツくてまともに外もうろつけないよ!」
オバサンはずっと機嫌が悪い。港に夏の暑さが戻ってきたせいか、毎日ムスッとした顔をしている。
私はもうぬるくなった冷やし水を飲み干してから宿を出た。外に出ると、一気に生ぬるい空気が身にまとわりつく。稽古場に行くときっともっと暑く感じるんだなと思いながら、私は一人歩き始めた。
「〜っアッツっ〜!!たく、こんな汗だくで動いたらかえって頭がおかしくなるよ」
稽古場の近くまで行くと、ようやく知っている子の声が聞こえてきた。癖毛の髪をかき上げながらその子はゆっくりとした歩調で私に近づいてくる。
「嬢ちゃんは相変わらず涼しそうな顔してるなぁ。こんな暑いんだから、汗の一つかいてみたらどうだい」
男の子の言葉になんて答えたらいいのかを考えていたら、先に大声で私達を呼ぶ男の人の声が聞こえた。
「おーい!お前たちっ!今日は暑いから稽古はやめだっ!じきに雨も降り始めっから、濡れる前に帰れーっ!!」
男の人がそれだけ言うと、そのまま家屋に入っていった。
「なんだい、暑くなるってのは何日も前からわかってたことじゃないか。もっと早く行ってくれれば無駄に汗かいて来ずに済んだのに」
男の子も暑さで苛ついたように嘆いた。
ちらりとこちらを振り返ると、そのまま港の方に足を向けてしまった。私は男の子についていくか宿に戻るかを少し考えてから、男の子についていくことにした。
「なんだよ、嬢ちゃんも海の水で水浴びしに行くのか?まぁ、こんな暑いんじゃ、日陰にいたって汗をかいちまう」
男の子は何度も後ろ髪をかき上げながら、振り返ることなく港に向かっていく。
今日は暑さが身にまとわりついたまま離れない。
視界の端が、チカチカと赤く燃えて映るたび、今いる場所が外なのかどこか建物の中なのかわからなくなる。
「そういや、今日は風が吹かねぇな?」
眼の前を歩く男の子の小さな背中が、もうこの街にはいないはずの彼と重なって見えた気がした。
同時に、薪を燃やしたような匂いが鼻を突く。
「…………おい、なんか変じゃないか?」
私が足を止めたからか、私と同じ異変を男の子も感じたのか、こちらを振り返る。そして、瞬時に顔色を変え、男の子が私の後ろを指差して何かを訴え始めた。
「お、おい、なんで、……なんで町の入口のほうがあんなことになってんだよ!!」
男の子の震えた指先を追うように私も後ろを振り返る。町の入口から、ついさっきまで私達がいたはずの稽古場まで赤い炎が隙間なく燃え盛っていた。逃げ惑う人々の姿が目に入ったと思えば、その人たちの衣服にも火が燃え移っていく。
「イヤーーーっ!!!」
「おいっ、馬鹿っ!!こっちによるなァっ!」
「母さーんっ!!どこいったっ!!」
あぁ、あの火は、見たことがある。
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