火の粉は燃え移る
男の子視点です。
細い路地を駆け抜けながら、俺は大きく叫ぶ。
「火事だ!火事だ!!海が燃えてるぞっ!」
潮の風に煽られながら、路地をまっすぐ突き進む。
これがどれだけ意味のあることかはわからない。
しかし、港の人間であれば少なからず反応するはずだ。俺の声聞いて、少しでも意識を海に向けてもらう。
叫ぶ内容は何だっていい。とにかく人目を海に向けたい。
俺は何度も肺を大きく膨らませながら叫ぶ。
「火事だ!火事だ!!海が燃えるっ!」
海を背にして走る俺を、誰も追いはしない。
「ジッチャンっ!ジッチャン変だよ!」
ふと耳を掠める幼子の泣き声。声が震え、恐怖に支配されて思ったままに叫んでるのだろう。
俺はより足の裏に力を込めて走る。
角を曲がってすぐの開けた場所で、老人と幼子が揉み合っていた。
「ジッチャン、ジッチャン!ボク嫌だよっ、行きたくないっ!」
「我儘を言うんじゃぁない、この男について行けば間違いない」
「嫌だッ、嫌だよッ!」
俺の足音も息切れも聞こえないほど、老人と幼子は揉みくちゃになって縮こまっている。
俺が状況をじっくり見ていると、同じくこれまで二人の様子を観察していた身なりの良い紳士が、俺の姿に気が付いたようだった。
「おい、小僧。この者らの知り合いか?」
紳士が目を細めて尋ねてくる。紳士の声に揉み合っていた老人と幼子も口を閉じ、俺の方を振り返った。
俺が答えるよりも先に、幼子が俺に向かって走り寄った。
「ニーチャン!ニーチャン!助けてっ、ジッチャンが変なの!」
幼子の言葉だけを聞けば、老人が幼子に悪さしているように見える。
「これ、人聞きが悪いじゃぁないか。良い子だから爺の言うことを聞いとくれ」
「ヤダよっ!ジッチャン変なんだもんっ、急に変な男について行けとかっ、絶対変だもん」
「おい、稚児に変と言われる筋合いはないぞ」
ついに紳士が口を挟んだ。
「私とて稚児に興味はない。これ以上騒ぐのであれば、件の話は無しだ。私は失礼するぞ」
紳士がそう言って背を見せたかと思えば、老人は慌てたように叫んだ。
「待っとくれ!それじゃぁ困るんじゃ!この子を連れて行ってもらわんとっ」
老人は紳士の後を追おうとしてよろけ、そのまま地面に這いつくばった。
幼子がそんな老人を心配するように駆け寄って「ジッチャン!」と叫ぶ。
紳士も思わず振り返ったとか、地べたに寝転ぶ老人と幼子を見やってから、思い出したように俺を睨む。
「小僧は何故この場に来た?この者らの知り合いというわけでは無いだろう」
俺がずっと黙ったきりで幼子を庇おうとも転んだ老人を助け起こそうともしない姿を見て、紳士はそう言った。
俺は言葉を間違えないように、重たい声色で答えた。
「貴方と、取引がしたい」
俺の言葉に紳士は不審がるように眉を顰めた。
お互い名乗ってもいない状況で、俺の言葉を訝しむのは当然のことだ。
「まず確認するが、この者らを庇い立てする魂胆ではあるまいな?」
「ああ、悪いが俺は貴方に用がある。この老人と子供は関係ない」
良い目印になった、という点では二人の存在に感謝しているが、まず俺の目的はこの二人ではない。
この紳士の正体だ。
「…………。良いだろう、聞くだけ聞こう」
「感謝する」
紳士は熟考した上で、俺の話に興味を示した。
俺は地面に這いつくばったままの二人に目を向けると、紳士は察して移動することを提案してくれた。
「して、目的は何だ」
細い路地を抜け、港町を取り囲む石造りの壁まで進むとようやく紳士が問いかけてきた。
鋭い目つきで睨まれているように見えるのに、不思議と紳士から怖さは感じない。単純に紳士の目つきが悪いのかもしれない。
俺は一呼吸置いてから、まず俺自身の目的を話した。
「貴方に俺の後見人になって欲しい。配下だろうが小間使いだろうがなんでもいい。とにかく身寄りのない俺を預かっているということにしてほしい」
俺の言葉にいくつか気になる点があるだろうが、紳士はすぐには答えず聞き返しても来ない。
俺の言葉を深読みしているのか、意図を考察しようとしているのかはわからない。
顎に手を置き、ひたすら吟味しているように見える。
「……取引と言っていたな。私がその話に乗れば、小僧は何を差し出してくれる」
俺の意図を掴みきれなかったのか、紳士はそう訪ねてきた。
俺はそれを好機に感じた。
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