第3話 移乗介助の奥義
移乗介助は、介護技術の中でもかなり重要である。
ベッドから車いすへ移る。
車いすからトイレの便器へ移る。
トイレから車いすへ戻る。
車いすからベッドへ戻る。
介護現場では、こうした移乗が毎日のように発生する。
一見すると、利用者の身体を支えて移動させるだけの仕事に見えるかもしれない。
しかし、移乗介助は力任せに行うものではない。
移乗介助の奥義は、力加減と重心の固定、そしてスムーズな移動である。
この三つを理解しているかどうかで、利用者の安全も、職員の身体への負担も大きく変わる。
まず大切なのは、力加減である。
介助というと、職員が強く支えることだと思われやすい。
しかし、常に強く支えればよいわけではない。
強すぎる介助は、利用者の動きを邪魔する。
本人が立とうとしているのに、職員が引っ張りすぎる。
本人が座ろうとしているのに、職員の力が強すぎて動作が噛み合わない。
本人が自分で足に力を入れられるのに、職員が全部動かしてしまう。
こうなると、利用者の残存能力を活かせない。
逆に、支えが弱すぎても危険である。
立位が不安定な利用者に対して、見守り程度で済ませてしまう。
膝折れの可能性があるのに、十分に支えない。
本人がふらついた時に対応できない位置にいる。
座る直前に力が抜けることを想定していない。
これでは転倒やずり落ちにつながる。
だから必要なのは、強すぎず、弱すぎない力である。
その人が自分でできる部分は使ってもらう。
危険な部分だけ支える。
足りない部分だけ補う。
これが移乗介助の基本である。
介護は、職員が利用者を全部動かす仕事ではない。
利用者の動きを見ながら、必要な分だけサポートする仕事である。
次に重要なのは、重心の固定である。
移乗介助で危ないのは、重心が崩れる時である。
立ち上がる時。
向きを変える時。
座る時。
足の位置がずれている時。
職員と利用者の動きが噛み合っていない時。
こうした場面で重心が崩れると、転倒や膝折れにつながる。
利用者の身体は、ただ支えれば安定するわけではない。
足の位置、体の傾き、手すりや車いすの位置、職員の立ち位置によって安定度が変わる。
足が遠すぎれば立ち上がりにくい。
体が後ろに残っていれば重心が後方に崩れやすい。
車いすの角度が悪ければ、移動距離が長くなる。
職員の立ち位置が悪ければ、支えが遅れる。
本人がどこへ動くのか理解していなければ、動作が止まる。
だから、移乗の前には環境を整える必要がある。
車いすの位置は適切か。
ブレーキはかかっているか。
フットレストは邪魔になっていないか。
足の位置は整っているか。
本人がどこへ移るのか理解しているか。
職員が支えられる位置にいるか。
周囲に障害物はないか。
こうした確認を軽視してはいけない。
移乗介助は、動き出してから何とかするものではない。
動き出す前の準備で、安全性がかなり変わる。
重心を固定するとは、利用者を固めることではない。
利用者が安全に動けるように、足場、姿勢、支え、方向を整えることである。
本人の身体がどこへ向かえば安定するのか。
どこで支えれば安心して動けるのか。
どこまで本人に動いてもらい、どこから職員が補助するのか。
それを見ながら介助する。
そして三つ目が、スムーズな移動である。
移乗介助では、動きが途中で止まると危険が増えることがある。
立ち上がったまま止まる。
向きを変える途中で止まる。
座るタイミングが合わない。
職員が迷って動きが途切れる。
利用者が不安になって身体を固める。
こうなると、利用者も職員も負担が大きくなる。
移乗は、流れが大事である。
声をかける。
本人の反応を見る。
立ち上がる準備をする。
立つ。
向きを変える。
座る。
座位が安定したか確認する。
この流れを、できるだけ自然につなげる。
もちろん、急がせるという意味ではない。
急ぐことと、スムーズであることは違う。
急がせると、利用者は不安になる。
動作が追いつかない。
足が出ない。
膝が折れる。
座る前に力が抜ける。
拒否につながることもある。
スムーズな移動とは、利用者の動きに合わせて、無駄な中断や不安を減らすことである。
利用者が理解できる速度で声をかける。
立つ準備ができたことを確認する。
動き出したら迷わせない。
向きを変える時に支える。
座る位置を分かりやすくする。
座った後に姿勢を整える。
この一連の流れが自然につながると、移乗は楽になる。
移乗介助でやってはいけないのは、無理やり動かすことである。
腕を強く引っ張る。
身体をねじる。
本人の足が動いていないのに引きずる。
不安がっているのに急がせる。
座る準備ができていないのに座らせる。
本人の動きを無視して職員の力で処理する。
こういう介助は危険である。
利用者が怖がる。
拒否が強くなる。
身体がこわばる。
次回以降の介助が難しくなる。
転倒や受傷の危険もある。
職員の腰や腕にも負担がかかる。
移乗介助は、その場だけの問題ではない。
雑な介助をすれば、利用者の不安や拒否が残る。
怖い思いをした利用者は、次の移乗で緊張する。
職員に対して警戒する。
立ち上がりを拒む。
身体を固める。
結果として、さらに介助が難しくなる。
逆に、安心できる介助を続ければ、利用者も動きやすくなる。
この職員なら大丈夫。
この声かけなら分かる。
この動きなら怖くない。
そういう安心感があると、移乗はしやすくなる。
介護技術には、信頼も含まれる。
移乗介助では、利用者の残存能力を把握することが前提になる。
全介助なのか。
半介助なのか。
見守りなのか。
この判断を間違えないことが大切である。
全介助が必要な人には、無理に立ってもらおうとしない。
半介助の人には、本人ができる部分を活かしながら支える。
見守りの人には、手を出しすぎず、しかし危険があればすぐ対応できる位置で見る。
ただし、介助量は固定ではない。
昨日は半介助で移乗できた人が、今日は体調不良で全介助に近くなることもある。
普段は見守りでよい人が、眠気や薬の影響でふらつくこともある。
普段は立てる人が、足の痛みで力が入らないこともある。
だから、毎回確認する。
今日の立ち上がりはどうか。
足に力は入っているか。
表情はいつも通りか。
怖がっていないか。
声かけを理解しているか。
身体が傾いていないか。
立った後に安定しているか。
こうした観察をしながら介助する。
移乗介助は、職員の経験がかなり出る。
上手い職員は、利用者を力任せに動かさない。
本人の動きを待つ。
必要なところだけ支える。
車いすやベッドの位置を整える。
足の位置を見る。
声かけのタイミングを合わせる。
利用者が不安にならないように流れを作る。
その結果、利用者も職員も負担が少ない。
下手な職員は、力で何とかしようとする。
位置調整が雑になる。
利用者の動きを待たない。
声かけが遅い。
本人の残存能力を使えない。
職員自身の身体にも負担をかける。
同じ移乗でも、結果が変わる。
上手い移乗は、静かである。
無駄な力が少ない。
利用者が大きく怖がらない。
職員も慌てない。
流れが自然である。
力で押し切る移乗は、見た目にも不安定になる。
利用者の身体が揺れる。
職員が力んでいる。
動作が急である。
本人の足がついてきていない。
声かけと動きが合っていない。
介護技術を身につけるには、この違いを見ることが大事である。
新人は、まず上手い職員の移乗を見るべきである。
どこに立っているか。
どのタイミングで声をかけているか。
利用者のどこを支えているか。
車いすをどの位置に置いているか。
どれくらい本人に動いてもらっているか。
立ち上がった後、どう向きを変えているか。
座った後、どこを確認しているか。
見ているだけでも学べることは多い。
そして、自分が介助する時は、分からないまま無理をしないことが大切である。
この利用者はどこまで立てるのか。
膝折れはあるのか。
一人介助でよいのか。
二人介助が必要なのか。
車いすの位置はこれでよいのか。
トイレへの移乗で注意することはあるのか。
分からなければ、聞く。
介護現場で危険なのは、分からないことを分からないまま実行することである。
特に移乗は事故につながりやすい。
転倒すれば、利用者の生活に大きな影響が出る。
骨折につながることもある。
職員側も腰を痛めることがある。
だから、無理な移乗はしてはいけない。
介助に不安があるなら、他職員に確認する。
二人介助が必要なら、応援を呼ぶ。
施設の手順や利用者ごとの注意事項に従う。
自己判断で危険な介助をしない。
これは新人だけでなく、経験者にも必要な考え方である。
慣れた頃こそ、油断が出る。
この人はいつも大丈夫。
このくらいなら一人でいける。
急いでいるから早く済ませたい。
前にもできたから今回もできる。
こうした油断が事故につながることがある。
介護技術は、慣れと同時に慎重さも必要である。
移乗介助の奥義は、難しい言葉ではない。
力加減。
重心の固定。
スムーズな移動。
この三つである。
強すぎず、弱すぎず、必要な分だけ支える。
利用者の重心と職員の位置を安定させる。
利用者が不安にならない流れで、目的の場所へ移動する。
それができれば、移乗介助はかなり安全に近づく。
介護は力の仕事だと思われやすい。
しかし、本当に上手い介護は、力を使いすぎない。
利用者の力を活かし、職員の身体も守り、無理のない流れを作る。
移乗介助とは、利用者を持ち上げる技術ではない。
利用者が安全に動けるように、必要な分だけ支え、重心を整え、スムーズに導く技術である。




