笑顔のスルースキル
入部希望届を提出する。
「岡君は、結局何部にしたの?」
席に帰ってきた俺に、杉本が聞く。
「美術部」
「えーなんで!」
いつの間に聞いていたのか、宇羽野が聞いてきた。
「運動部ってがらじゃないから」
「何それ理由になってないじゃん」
こいつらは、俺の運動神経のなさを甘く見ている。この学年妙に野球部多くて、背番号以上の人数になってしまい、その結果公式戦一度も出場無しの実力舐めるなよ。
今日から本格的に授業が始まった。そうは言っても、みんな中学最初だから、先生の自己紹介や科目説明単元説明が主だった。
ノートに取ることは、ほとんどなく四時間目までスムーズに進んでいく。久しぶりの学校に身構えていた俺からしたら、拍子抜けだった。
「最初なんてこんなもんでしょ」
杉本が弁当袋を机に置きながら言う。
「もっとガッツリ始まるかと思ってた」
「岡君、朝からちょっと構えすぎなんだよ」
そう言いながら、宇羽野も自分の席で弁当箱の包みをほどいていた。
「ていうか、美術部ってほんとに意外」
「まだ言うのかよ」
「だって岡君、絵描くイメージなかったし」
「おれもない」
「じゃあなんで」
消去法、という言葉を、寸前のところで飲みこむ。印象第一なのに、その一言で全てをぶち壊してしまう。大人の悪知恵を働かせることにした。
「芸術の感性でも磨こうって思って」
「何それ」
宇羽野が、呆れたように笑った。
予想どおりの反応だ。俺は笑顔のスルースキルを発揮することにした。
「いや、ほら。中学生のうちから感性を育てるのは大事かなって」
「急にそれっぽいこと言い出した」
杉本が弁当の唐揚げを箸でつまみながら言う。
「絶対あとづけだろ」
「失礼だな。最初からそういう高尚な志を持ってたよ」
「高尚って自分で言うやつ、だいたい怪しい」
「宇羽野、厳しいな」
さりげなく、呼び捨てにして距離を縮めようと試みる。ちょっと待って、今の俺ポイント高くないか。
そう返すと、宇羽野はまた小さく笑って、卵焼きを口に運んだ。
たぶん、こいつは半分も信じていない。でも、全部嘘というわけでもなかった。消去法ではある。あるけど、それだけでもない。そういう曖昧な本音は、今のところ自分だけが知っていればいい。
「まあでも、岡君が運動部って感じしないのは分かる」
杉本が言う。
「だろ?」
「うん。走ってるとこ想像つかない」
「言い方がひどいな」
「褒めてる褒めてる」
「どこが」
宇羽野が吹き出す。
笑われると、反論する気も少し薄れる。
昼休みの教室は、朝よりずっと近かった。あちこちで机を寄せる音がして、水筒の蓋を回す音が重なっている。窓際の席では、外を見ながら話しているやつらがいるし、後ろの方ではもう別のクラスの名前まで会話に出ていた。つい昨日までただの他人だった連中が、こうして同じ教室の空気に馴染み始めている。それでも、どこかぎこちなさは残っていた。
「杉本は野球部だっけ」
答えはもちろん知っているが、敢えて問いかける。大人の技術というやつだ。特別に真似をしてもいいぞ。
俺が聞くと、杉本は「ん」と口の中のものを飲み込んでから頷いた。
「まあ、そこは最初から決まってる」
「迷いなくていいな」
「別に。小学校の少年野球に入ってたし」
終礼のチャイムが鳴る。
担任が「じゃあ今日はここまで」と言うと、教室のあちこちで一斉に椅子が鳴った。
鞄を持つ者。
机の中をごそごそやる者。
友達と「どこ見る?」と話しながら立ち上がる者。
俺は一覧表を一度だけ見てから、机の上に置いた。
美術室。 特別棟二階。
行くと決めたのは自分だ。
なのに、胸の奥は思ったより落ち着かなかった。 別に大したことじゃない。 ただ見学に行くだけだ。 それに、俺はこれ以上大事な場面を、いくつも通り抜けて来たじゃないか。高校、大学受験。面接。その他諸々。たかが部活動を見学しに行くだけで、少しでも緊張している事実が、無性に馬鹿馬鹿しくなっていく。
教卓の前では、もう何人かが担任に質問をしていた。
窓の外はまだ明るい。春の午後の光が、机の端や黒板の縁を白く照らしている。ここから先は、授業の時間じゃない。同じ学校の中なのに、全く別の活動の時間だ。
俺は、椅子を引いて立ち上がった。未知への探求心を、僅かに心に宿して。
六万車券取り逃した大バカ者です




