苦渋の選択肢
「じゃあ、これから校内を回ります。まだ場所が分からないと思うので、ちゃんとついてきてください」
椅子の脚が床を擦る音が重なり、教室のざわめきが一段上がった。
廊下へ出る。窓の外はよく晴れていて、校庭の端に残った桜が風に揺れていた。列の先頭を担任が歩き、その後ろを二列になってついていく。まだみんな緊張が抜けきっていないのか、私語はあるのに声は小さい。
「ここが職員室です。用があるときは、勝手に入らずに、入口で失礼しますって言ってください」
開け放たれた扉の向こうに、机がいくつも並んでいる。先生たちの声、紙をめくる音、コピー機の低い駆動音。独特の緊張感のある場所だ。廊下から覗くだけなのに、なんとなく背筋が伸びる。前回はあまり縁がなかったこの場所に、今回は何回訪れるのだろうか。
「ここが保健室。体調が悪いときは無理せず先生に言うこと。で、こっちが図書室」
保健室か。比較的、この場所にはお世話になったかもしれないな。あまり良い思い出が無い。
図書室の前では、何人かが少しだけ反応した。ガラス越しに見える本棚はきれいに整っていて、春休み明けの静けさがまだ残っている。ここもあまり、お世話になっていない。
音楽室、美術室、技術室、家庭科室。特別教室のたびに、担任は立ち止まって簡単に説明する。どの教室も、授業内の記憶しか存在しない。なんともまあ、味気のない三年間を過ごしていたか。また、情けなくなる。
ひと通り回って教室へ戻るころには、最初の緊張は少しだけ薄れていた。列も行きほどきれいではなくなっていて、隣同士で話し合っている声も聞こえる。
「なあなあ、岡君は部活何入るか決めた?」
隣にいる杉本が話しかけてきた。
「まだ決めてないかな、杉本君は野球部?」
「そうそう正解。岡君も野球興味あったよね、明日の部活動見学一緒に行かない?」
野球部にまた入る未来は断固として拒絶するが、ここで断って心証を下げるのも避けたい。
「いいよ、色んな部活見て回りたいし」
無難な答えを口にする。新学年、しかも新入生時の最初の頃のコミュニケーションは細心の注意を払わなければならない。
教室へ入ると、担任は黒板の前に立ち、今度は少し事務的な口調になった。
「次に、学校生活のルールを説明します」
配られたプリントをめくる音が一斉に鳴る。紙には細かい字がびっしり並んでいて、読む前から面倒くささが伝わってきた。
「まず登校時間。八時十五分までには教室に入って着席。遅刻しそうな場合は保護者の方から連絡を入れてもらってください。制服の着方も決まりがあります。スカートを折らない、ネクタイやリボンを緩めない、シャツを出さない」
何がルールだ。この学校の校則は、モラルを大切にだろうが。その特色を全面に出しておきながら、画一的に生徒たちを統率する。あの当時はあまり何とも思わないが、今ならその矛盾に若干腹が立つ。
黒板に書かれていく項目は、どれも当たり前といえば当たり前だった。髪型、持ち物、欠席連絡、授業中は私語を慎むこと。廊下は走らないこと。ベランダには勝手に出ないこと。放課後の寄り道は禁止。スマホやゲーム機など、学習に不要なものは持ってこないこと。
「あと、自転車通学は禁止です。登下校は、歩きでお願いします」
住宅地が殆どで、いくつもの中学の校区が入り組んでいるこの地域で自転車通学は必要ないだろう。しかも、ここは日本有数の坂の多い市だ。確かに危ないとも思う。
説明が終わると、担任はプリントを裏返すように言った。
「次は部活動についてです。これは特に気になってる人も多いと思うので、ちゃんと聞いてください」
黒板には運動部と文化部が分けて書かれていった。
野球部、サッカー部、陸上部、男女バスケ部、女子バレー部、男女ソフトテニス部、男女卓球部、吹奏楽部、美術部、生活科学部。
それから入部希望届が配られる。特別な理由がない限り、部活は強制だった。強制どころか、今から九年後には、部活自体廃止になる。そんなこと、この場の誰も知らないだろう。時代の流れというやつだ。
部活────他クラス、他学年の人と交流する場でもあり、友情などが育まれる最たる例になる場。
一からほかの競技をやるモチベも体力もないので、運動部は除外する。文化部は、吹奏楽部、生活科学部、美術部だが、吹奏楽部は速攻除外する。
この学校、文化部少なすぎないか?いや、これが正常なのか?普通が分からない。
それにしても、運動部至上主義すぎないか。
今日も授業などなく、午前中に終わった後、先生に学級委員の雑務で呼ばれた。
「宇羽野さんはなんの部活か決めた?」
「私は吹奏楽部にしよって思ってる」
その答えを、事前に知っていたから何の感情もない。
「岡君は何の部活にするの?」
「まだ決めていない」
未経験の部活動をしている己の姿は、全然想像が出来ない。
自室の机の上に、入学届の用紙を置いて、考え込むこと一時間が経とうとしていた。
白い紙は、最初に置いた時とほとんど何も変わらない顔でそこにある。上の方に並んだ印字された文字。記入欄の細い罫線。保護者氏名、現住所、緊急連絡先。
さっきからため息しか出ない。あの頃の俺よ、何で深く考えずに野球部と書いた?能天気としか言いようがない。
「照、ご飯出来たよ!」
リビングの方から聞こえる母の声で、中断させれる。
れっこがナンバーワン
チャレンジの2分戦苦手




