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二度目の入学式

 マンションのエントランスを抜けると、目の前には中学校の校門があった。鉄の門扉は朝の光を受けて鈍く光り、その脇には白い立て看板が出ている。墨の濃い字で、入学式。見慣れていたはずの景色なのに、そこにそう書かれているだけで、急に今日が特別な日みたいに見えた。

 校門の横では、桜が風にあおられてゆっくり舞っていた。満開を少し過ぎた花びらが、アスファルトの上や植え込みの縁に薄く溜まっている。朝の空気はまだ少し冷たくて、息を吸うと春らしい湿り気の奥に、土と若い葉の匂いが混じっていた。


 この場所で、思春期のど真ん中みたいな三年間を、もう一度過ごすことになる。


 胸の奥に、期待と落ち着かなさが同時にあった。九年前にはたしかに通った場所だ。校舎の位置も、渡り廊下の繋がり方も、グラウンドを囲むフェンスの古び方も知っている。けれど、今こうして新品の制服を着て立っていると、その知っているはずの景色が少しだけ遠いものに見えた。懐かしいというほど鮮明でもなく、初めてというには記憶が残りすぎている。その半端さが、余計に現実味を持たせていた。

 昇降口を抜け、案内に従って体育館へ向かう。廊下にはまだ朝の光が浅く差していて、窓際だけが白く明るい。新しい上履きの底が床を擦る音と、あちこちで交わされる小さな声が混じる。保護者の靴音は少し固く、生徒たちの歩き方はどこかぎこちなかった。


 体育館に入った瞬間、空気が少し変わった。

 外の春の匂いとは別の、磨かれた床のワックスの匂い。高い天井にこもる、まだ少しひんやりした空気。そこへ、人が大勢集まった時にだけ生まれる、服の擦れる音や咳払いの気配が薄く重なっていた。正面の壇上には紅白の幕が張られ、演台の横には校旗が立っている。壇の前に並んだ花はどれもきれいに整えられていて、紫や白の色が、体育館の少し冷たい空気の中でやけにくっきり見えた。

 並べられたパイプ椅子に腰を下ろすと、座面の薄さが制服越しにそのまま伝わってくる。膝の上に置いた手が、わずかに汗ばんでいた。周りを見れば、同じように新しい制服にまだ着られている感じの生徒が何人もいる。背筋を不自然に伸ばしているやつ、きょろきょろと保護者席を探しているやつ、表情だけは平静を装っているやつ。九年前の自分も、たぶんこの中の誰かと同じような顔をしていたのだろう。


 やがて、先生の声がマイクを通して響いた。

「ただいまより、平成二十九年度入学式を挙行いたします」

 少し硬くなった声が、体育館の壁に当たって反響する。起立、礼、着席。その号令に合わせて椅子がいっせいに鳴り、金属の擦れる音が広い空間に広がった。

 式は滞りなく進んでいく。校長の祝辞、来賓の言葉、在校生代表の歓迎。マイク越しの声はどれも少し平板で、内容は立派なのに、耳に入ったそばからするすると抜けていった。話の区切りごとに、遠くで誰かの咳払いが聞こえる。窓の外では風が吹いたらしく、高い場所のガラスがかすかに鳴った。


 こんな長時間座り続けていると、だんだん尻が痛くなってくる。太ももの裏も落ち着かず、姿勢を少しだけ直してみても、根本的にはどうにもならない。十年前もたぶん同じように退屈していたのだろうが、そのときの感覚までは思い出せなかった。ただ、こうして同じような椅子に座り、同じような話を聞いていると、消えていたはずの時間が妙に身近なものに思えてくる。

 退屈だった入学式も、九年ぶりともなると感慨深い。


 壇上の横に飾られた花。緊張で少し上ずった新入生代表の声。体育館の隅で所在なさげに立っている若い教師。そういうひとつひとつが、初めて見るはずなのに、どこか記憶の底をかすめていく。もう二度と戻らないと思っていた時間の入口に、まさかもう一度立つことになるとは、あの頃は想像もしなかった。


 閉式の言葉が告げられ、再び椅子が鳴る。列ごとに立ち上がり、教室へ移動する。体育館を出ると、さっきまでこもっていた空気とは違う、廊下の乾いた明るさがあった。窓の外では桜の枝が揺れ、花びらが何枚か舞い上がっているのが見えた。

 教室に入ると、黒板には色チョークで入学おめでとうと書かれていた。端の方に、誰かが急いで描いたらしい桜の絵もある。机と椅子はきれいに並べられていて、まだ誰の癖も染みついていない。新しい教科書とプリントの束が、何人かの机の上にもう置かれていた。

 多分このクラスの大半が、同じ小学校出身以外は、初対面だろう。しかし、俺だけは初めてではない。少なくとも、九年前の一年間はクラスメイトになった仲だ。だが、極々数人以外は、思い出は皆無だが。


 教卓の前に、担任が立ち、配布物を配り始める。紙の端を揃える音、名前を呼ぶ声、椅子を引く小さな音が、教室の中で細かく重なった。十年前と同じ光景なのだろう。十年も過ぎれば、入学式そのものの記憶はほとんど残っていなかったが、こうして目の前で起きていることは、思っていた以上に身体のどこかが覚えていた。新しい教科書のインクの匂いも、配られた書類の角の硬さも、これから始まる一年の予定がびっしり並んだ紙の頼りなさも、全部が妙に懐かしかった。

 窓の外では、また花びらが一枚、ゆっくり落ちていった。 

「学級委員に立候補する人いるか」

 クラスメイトに、名前と顔をいち早く覚えてもらうには、これが一番手っ取り早い。

「僕やりたいです」

 迷ったら負けだと、自分に言い聞かせ手を上げる。

 大丈夫。こんなガキたちに緊張することはない。

「男子は決まりだな。頼むぞ岡」

「はい」

「岡君、こういうのに立候補するタイプだったんだな。なんか意外だわ」

 前の席から振り返って、話しかけて来た坊主頭は、小学校に通っていた塾が一緒だった杉本すきもと 幹人みきと。本当なら、この後野球部でもチームメイトになるが、もうあの部に入る気は毛頭ない。

「杉本君も一緒で、何か安心した。よろしくね」

 話せる糸口がある人には、積極的に話しかけよう大作戦だ。味方は多い方がいいに決まっているのだから。戦いの定石だよ。ワトソン君。

「女子で立候補する人」

「私やります」

 声の主を、俺は知っていた。二回目なのだから、当然と言えば当然だが。

宇羽野うばのやってくれるのか。ありがとう。みんな、学級委員に拍手」

 まばらな拍手が、巻き起こった。

「早速で悪いんだけど、学級委員の二人にお仕事してほしい」

 そう言って、大島先生は教科書の束を、教卓の上に置いた。

 宇羽野と協力して、教科書を配り終わる。

「二人ともありがとう。助かったよ」

 連絡事項も早々に、初日のホームルームが終わった。

「みんな気を付けて帰れよ。学級委員号令頼む」

 不意をつかれた指名に、一瞬心臓が跳ねる。つい最近まで陰キャだった俺には、号令だけですら心の準備というものが、必要なんだ、そこのところ、分かっているのだろうか。

「起立、気を付け、礼!」

 俺の指示通りに、クラスメイトが動いてくれる。悪くない気分だ。

「さようなら」

 今までの俺ならその言葉を聞いた瞬間、鞄を背負い教室から出ていたであろう。だが、二週目の俺は、やることがある。

「宇羽野さん、学級委員これからよろしくね」

 早速、話しかけられるタネを手に入れた俺は、行動に移した。

「うん!岡君よろしくね」

 会話が終了して、後ろを振り向くと、若干の人だかりが出来ていた。

「このクラスのグループシャイン作ろうと思っているんだけど、学級委員の二人はスマホ持ってる?」

 こんなにも早いなんて、陽キャの行動力恐るべし。

「俺は持ってるよ」

「私も」

 グループの初期メンバーに、参加することが出来た。

 今日の出来としては、満点に近いと自画自賛してみる。

 あとは早く帰って、予習をしないと。俺は普通の勉強嫌いだが、中学時代の基礎学力が今後の学生人生の中で、どれほどの影響が及ぶのか。それは、身をもって思い知る。


 

 中学時代に使っていた格安スマホが、通知を知らせる。

 シャインのグループが、少しずつ活発になっている。

 そんなことよりも、小学生に毛が生えた程度の勉強は、昔のことを覚え出していくだけで、何とかついていけそうだ。

 夜は更けていく中で、ベットに潜り込む。

 俺の青春の遂行のために、計算高くやっていきたい。

 ずるいと思うか、悪いな。この世界は、不平等なものなんで。

 

 独り言を心の中で呟きながら、輝かしい明日を願って目を閉じる。

眞杉と叫びたい


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