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灰塵  作者: 銀城
12/20

11.個体番号:��66


 ――少し前。


 目覚めた場所には、まず形がなかった。


 真っ暗だったからだ。


 視界は黒で塞がれ、上下の区別すらすぐにはつかなかった。

 空気は湿っている。

 肌にまとわりつく冷たさと、鼻の奥に残る古い臭気だけが、閉ざされた場所だと告げてくる。

 土と水と、長く日を見ていない石の匂い。

 そのどれにも、人の生活の温度がなかった。


 工藤 総司(そうじ) は、浅い水の上に寝ていた。


 水深は指の第一関節もないほどだが、服を通して背に冷えが染みる。

 手をつくと、ぬめった石か、長く湿ったままの土の感触があった。

 指先を這わせると、左右はすぐ壁に当たる。

 天井も高くない。

 立ち上がることのできない狭さだった。


 小さなトンネルのような作り。


 どこかで水滴が落ちる。

 その音だけが、妙に遠く響く。


 男はすぐには動けなかった。


 恐怖は、理解より先に体を固める。

 誘拐、拉致監禁。


 そんな断片が順番を無視して浮かび、結びつかないまま首の後ろを冷たくした。


 自分がどこで何をしていたのか、記憶を手繰ろうとしても、ついさっきまでの輪郭は薄い。


 家にいたはずだ、という感覚だけがあり、そこから先がいきなり、この暗渠あんきょじみた空間へ切り替わっている。


 ただ、拘束はなく、身体は自由に動く。


 叫んでみようとして、声を呑み込む。


 誰かに聞かれることを恐れたのではない。

 叫んでも、ここでは何も変わらないと、本能のほうが先に悟ったからだ。


 割とすぐ諦める方だった。


 「はぁ⋯⋯」


 溜息は、耳を澄ませるより先にこちらへ圧をかけてくる。

 この狭さの先に何がいるのか分からない。

 何もいないのかもしれないし、何かが息を潜めているのかもしれない。

 暗闇というものは、見えないだけで十分に想像力を食う。


 「人生、何があるかわかんないな」

 「痛いのだけは勘弁してほしい」


 それだけのことが、いまの自分が本当に狭い場所へ閉じ込められているのだと、ひどく無遠慮に証明した。


 手探りで壁に触れる。


 ――石だ。


 ところどころに継ぎ目があり、自然の洞穴ではなく、人か何かが掘った通路にも思える。


 ただ、その用途までは分からない。

 下水、排水路、地下道、墓所の一部。

 思いつくものはどれも、嬉しくない。


 その暗闇の前へ、薄い板が現れた。


 半透明で、冷たく、場違いなほど平板な光を帯びている。


 《スキル付与:〈変身〉》

 《効果:自身の想像の範囲内で、任意の姿へ変身する》

 《注意:稼働限界に達した場合、自動的に解除される》

 《備考:変身後の性能は想像精度に依存する》


 男はしばらく、それを見ていた。


 真っ暗闇に一筋の光。

 しかし、辺りを照らすことはなかった。

 そこだけが光っているという不気味な明かり。

 それが余計に現実味を削る。


 夢にしては細部が冷たすぎる。

 悪い冗談にしては、湿った臭いが本物すぎる。

 説明の文面は妙に機械的で、そのくせ、内容だけは神話か児戯のようだった。


 ただ、頼れるものがそれしかなかった。


 ――変身。


 好きなものに。

 想像の範囲で。


 それは便利な力にも見えたし、ふざけた言葉にも見えた。

 もっと直接的な助けであってほしかった、とも思う。

 ここから出る方法とか、誰かを呼ぶ方法とか、せめて現在地の表示とか。

 そういう現実的な救いではなく、いきなり “変身” だけを渡される理不尽さに、一瞬だけ腹が立った。


 だが、その腹立ちも長くは続かなかった。

 あまり悩んでも仕方なかった。


 好きなもの。


 その言葉に、男の記憶は暗闇の中で妙な方向へ伸びた。

 現実から逃げるための空想ではなく、昔から頭の片隅に居座っていた一つの輪郭へ。


 闇の中から現れ、悪を叩き潰し、傷ついた誰かの前に立つもの。

 正義の看板を掲げる英雄より、ずっと無骨で、ずっと怖くて、それでも最後には弱い側に立つもの。

 子どものころから好んでいた、そういう類いのダークヒーローだった。


 ただの善人ではない。

 むしろ、見た目だけなら悪役に寄っているような。

 人を安心させる顔はしていない。

 光よりも闇が似合い、礼儀や微笑みよりも、圧と沈黙で相手を黙らせる類いの守護者。

 正しさを語るより先に、悪に恐怖を教えるもの。


 男は、その像を思い浮かべた。


 想像は、思っていたより切実だった。

 恐怖で空白になった頭に、そこだけがはっきり形を持った。


 黒い装甲。


 ただの鎧ではなく、生物めいた殻。


 人間の骨格を土台にしながら、その上へ “恐ろしい” と “かっこいい” を乱暴に上塗りしたような姿。


 それは彼の知るあらゆる “好き” を寄せ集め、さらに恐怖と憧れを混ぜて固めた形だった。


 善良な外見よりも、悪を怯ませる威圧。

 正しさの証明よりも、邪悪を殴り返す力。

 その一点へ偏りきった想像は、細部にだけ異様な執着を見せた。


 甲殻はただ硬いだけではない。

 幾層にも重なり、衝撃を逃がす。

 肩の張り出しは飾りではなく、ぶつかればそれだけで裂傷を作る角度を持つ。


 拳は骨と殻で組まれ、打撃のためにのみ都合よく重い。

 脚もまた人の構造を残したまま、跳躍と踏破に向き、狭い場所でも身体を捻じ込める。

 口元は皮膚に隠れず、歯の隙間からは、内側で燃え残った熱のような煙が漏れる。


 目や鼻は無くす。

 見た目の恐ろしさを優先した結果、そこは滑らかな装甲で潰された。

 代わりに、獲物を見失わない “何か” が備わっている、と彼は思い込んだ。


 能力も欲した。

 硬さ、腕力、跳躍、威圧、暗闇の中でも動けること。

 痛みに鈍いこと。

 多少の武器なら通さないこと。

 悪い奴が目の前にいたら、迷わず殴り倒せること。


 だが、それ以外は深く考えなかった。


 変身した後の自分が、どれだけ人らしく考えられるのか。

 どこまで言葉を扱えるのか。

 助けるとは、具体的にどう振る舞うことなのか。

 誰が悪で、誰が弱者なのかを、どう見分けるのか。

 そのあたりの想像は、恐怖と興奮の外側へ押し出されていた。


 暗い場所で、ひとりで、何も分からないまま死にたくない。

 もし何かが来るなら、せめて返り討ちにできるものになりたい。

 弱いまま震えて終わるくらいなら、怖いものそのものになってしまったほうがましだ。


 彼が最後に掴んだのは、たった一つの目的だけだった。


 ――悪を倒す。

 ――弱者を助ける。


 それだけが、変身後にも残ってほしい芯として、あまりにも強く念じられた。

 正義の思想ではない。

 綺麗な信念でもない。

 もっと雑で、幼く、しかし切実な願いだった。


 板の光が消える。


 次の瞬間、暗闇の中で何かが膨張した。


 肉が変わる、というより、輪郭の側から別の設計図が被さってくるような変化だった。

 骨が軋み、胸郭が押し広げられ、皮膚の上を硬いものが走る。

 水が跳ねる。

 狭い通路がたちまち窮屈になる。


 「あ、あ゛――ッ!」


 喉の奥から、押し潰されたような叫びが漏れた。


 痛みは、想像していた種類のものではなかった。

 刺された痛みでも、殴られた痛みでもない。

 自分の骨と肉が、内側から別の形へ書き換えられていく痛みだった。


 「が、ぁぁぁあああッ!」


 肩が裂けるように熱い。

 背骨が一節ごとに押し広げられる。

 歯茎が疼き、口の内側から何かが露出していく。

 爪が伸びる。

 指先の感覚が鈍る代わりに、握れば砕けるという確信だけが増していく。


 男は泥水へ手を突き、狭い通路の中で身をよじった。

 痛みから逃れようとしても、逃げ場はない。

 壁へ肩をぶつけ、天井へ頭を打ち、それでも変化は止まらない。


 「やめ⋯⋯っ、ぎ、ぁあああああッ!!」


 叫びは通路の奥へ反響し、濁った水面を震わせた。

 人の悲鳴であるはずなのに、途中から別の響きが混じり始める。

 喉の形そのものが変わっていくせいだ。

 高い音が潰れ、低い唸りが底に混ざる。

 自分の声なのに、自分のものではないように聞こえる。


 痛みはあった。

 かなりあった。


 だが、その痛みすら途中から形を変える。

 壊れているというより、組み替えられている痛みだった。


 殻が生え、歯が剥き出しになり、四肢は伸び、胸の前面には重なる節が刻まれた。

 関節の位置は、人間の名残を残している。

 肩、肘、手首、股関節、膝、足首。

 それらは同じ場所にありながら、その外側にだけ異形の意匠いしょうが増えていく。

 人であることを完全には捨てきれず、そのまま化け物に押し包まれていく感覚だった。


 「――ッ、ぐ、ぁ⋯⋯!」


 叫びはもう言葉にならない。

 苦鳴と唸りのあいだで砕け、狭い天井へぶつかって落ちてくる。


 背中の皮膚の下を何かが走る。

 肋骨の一本一本が軋み、胸が前へ張り出す。

 顎が開き、歯列が剥き出しのまま落ち着く。

 顔の上半分から、眼を置くはずだった余地が閉じていく感覚があった。

 見えなくなる恐怖より先に、形が固定される圧迫感だけが強い。


 男は爪を立てようとして、そこで初めて、自分の指先がもう人間の爪ではなくなっていることに気づいた。


 硬い。

 太い。

 黒い。


 水を切るだけで、泥の膜が裂ける。


 「はっ、は――ぁ、あ゛⋯⋯!」


 呼吸も変わった。

 肺へ空気が入る、というより、内側の炉へ風が送られるような感覚だった。

 吐くたびに煙めいたものが口から漏れる。

 目がないはずなのに、闇の輪郭だけはむしろ前よりよく分かる。

 壁の位置、水の揺れ、頭上のわずかな空気の流れ。

 その全てが、視覚とは別の回路で把握できた。


 痛みの波が、ようやく少しずつ遠のいていく。

 完全に消えるわけではない。

 熱を持ったまま、体の奥へ沈んでいく。


 水面に映ったはずの自分の姿は、暗すぎて見えない。

 だが見えなくとも分かる。


 人の姿ではなくなっている。


 思考もまた、変わっていた。


 知能が消えたわけではない。

 けれど、広がらない。


 恐怖の理由も、状況の分析も、帰る方法も、親のことも、社会のことも、そこへ繋がる複雑な道筋がごっそり削ぎ落とされていた。

 残ったのは、単純で強い方向性だけだ。


 ――悪を倒す。

 ――弱者を助ける。


 それに反するものは敵。

 それに沿うものは守るべきもの。


 世界はその程度の輪郭へ縮み、生まれた怪物、いや、怪人かいじんはそれで足りた。


 いや、足りるように作られてしまった。


 さっきまでの男であれば、自分の状況をもっと不安がっただろう。

 家族のことも、帰る方法も、なぜこんなところにいるのかも、順番に考えたはずだ。

 だが、そうした枝分かれはもうほとんど育たない。

 心の表面に浮かんでも、芯まで届かない。

 届く前に、もっと太い一本の命令へ吸い寄せられる。


 ――悪を倒す。

 ――弱者を助ける。


 その二文だけが、怪人かいじんの内部で絶えず熱を持っていた。


 狭い通路の奥で、何かが動いた。


 鼠ではない。

 もっと遠い、もっと上方の気配だった。

 音がある。

 怒鳴り声に似たもの。

 硬いものが石にぶつかる音。

 その奥に、細く、抑えきれず、怯えた気配。


 一方が強く、一方が弱い。

 そのひどく単純な構図だけが、変じた感覚へ鮮明に届いた。


 怪人は上を向いた。


 天井がある。

 ならば、破ればよい。


 そこにためらいはなかった。

 通路の出口を探すとか、静かに進むとか、罠を疑うとか、そういう回り道はもう生まれない。

 最短で届く。

 最短で壊す。

 その単純さだけが残っている。


 怪人は身を低くした。

 狭い通路の中でなお、沈み込む余地があったことに、水が怯えるように揺れた。

 殻の継ぎ目がきしみ、肩の刃がわずかに開き、脚へ力が集まっていく。

 人間の動作に似ているのに、人間の蓄え方ではない。

 圧が、骨ではなく空間ごと縮むような溜めだった。


 跳躍は、もはや助走を要しなかった。


 瞬間、怪人の身体は上へ突き抜けた。


 湿った石、土、古い煉瓦、埋設された木の根、そのすべてが連なって砕ける。

 閉ざされていた空間が一気に裂け、地下の空気が外へ噴き出した。

 土の破片と濁った水が巻き上がり、暗闇そのものが上へ噴いたように見える。


 そしてその裂け目から、夜の風が落ちてきた。


 冷たかった。

 湿った地下にはなかった種類の冷たさだ。

 空の広さを含んだ風だった。


 怪物は破片の中を抜け、地上へ出る。


 闇の下から、闇色のものが街へ現れた。


 無人の通り。

 砕ける窓。

 金属の匂い。

 血の匂い。


 その全てが、怪人の中では一瞬で整理された。


 ――悪。

 ――弱者。


 それだけだ。


 ちょうどそのとき、どこかで救いを求める "声" がした。




• 対象:工藤くどう 総司そうじ/男/20代前半/注意個体

• 目的:���

• 付与:変身

• 地点:帝国第九域ていこくだいきゅういき潮風都しおかぜのみやこ

• 結果:生存継続 1.5�

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