44.「あの時、一人ぼっちになった日」
―第六章 『義理の兄弟と本当の家族』
* * * * *
あの時、夕季がいなくなった日。
夜中に眠ったはずなのに、起きたらまた夜だった。
朝日は見れなくて、頬を涙が伝って。
ぼんやりとした意識、暗闇の中で思ったことは。
『まさか自分が、こんな目に合うなんて……思わなかった』
自分たちだけ生き残れればいい。
そう思って傍観者をやっていたら、今度は自分が、一番大切な人を殺された。
朝季と名前をつけてくれた、唯一の家族だった人はもういない。
「なんで俺が……なんで、夕季が。俺たちは大丈夫だと、思っていたのに」
【深夜の中央突破事件】
誰がつけたかわからないダサいネーミング、その夜に夕季は死んだ。
いや、死んだらしい。
別れの挨拶どころか、おやすみも言えなかった。今思えば夕食を終えた辺りから記憶がなくて、いつもより早い時間に眠っていたらしくて。
先に起きていた景子の目が腫れていた。
「お前、知ってただろ?」
しかし詰っても怒鳴っても、彼女はなにも言わなかった。もともと無口だがそれ以上に、この話には口を噤んだ。
景子には話をしたのだ、今から命を落とすかもしれないと、行ってきます、と。
どうして俺にはなにも言わずに……なんで?
俺が弱いから、役立たずだから?
知ってて知らないふりした、傍観者だったから?
普通の人間じゃないから?
だから嫌になって……そうか、俺は本当は、嫌われていたのかもしれない。
だって義兄はなにも、言葉一つでさえ、俺に残してくれなかったから。
俺も行くと暴れ回って誰かに殴られて、そこからの記憶がまた、無くなって。
夢から覚めたのに夕季はそこに居なくて。
だから俺は考えることをやめた。
もう、どうでもいい。諦めて、そして三日目の夜、夕季は帰ってきた。
血のついたネームプレート一枚になって。
「死んだのか、夕季……本当に?」
空に呼びかけたが返事はなくて。
どうしてだろう、この世界にもう義兄は存在していないことがはっきりとわかった。
月夜の晩、一人、静かに涙を流して、形見のネームプレートを首からぶら下げた。
朝季と名前をつけてくれた人は、家族として俺を育ててくれた人はもう、この世にいない。
さよならは言えなかった、その代わりに懺悔した。
「夕季、俺、本当は––––」
全部知ってたんだ。
夕季だってそうだろ、俺たちお互い気付いてて、知らないふりしてた。
だけど俺は、自分なりに考えて、外の世界に行こうと思ってた。
いつか外の世界に、夕季が話してくれた旅行の話、海を、山を、自然の生き物を。
春の桜と夏の向日葵、秋の紅葉に雪の花、日本の四季を。
海に沈む太陽を一緒に、見に行きたくて。
猫を拾った日、捨ててこいと怒られた。『捨てる』の意味がわからなくて聞き返すと飼えるのかと聞かれて、その単語すらわからないと言ったら困ったように笑って説明してくれた。
笑われるだけだったのがいつしか、一緒に笑い合える仲になった。
一晩かけて全部、俺の『なぜ』に答えてくれたけど、海に行こうと言うと笑って誤魔化された。
変わってなかったよ、夕季。
俺は本当に、あの時まで本気でいつか、
半分に欠けた太陽が見れる場所に連れて行ってもらえると信じていた。
だから生き延びたいと、自分たちさえ良ければいいと、他人の傷を見ないふりしてきた。
まさか自分が、こんな目に合うなんて……だからもう、夕季が居なくなった今、全てがどうでもいい。
俺はしばらく殺されないだろうけど。
どうでもいい、そんなこと。
考えることをやめる。
関係ない、誰かの死なんか、傷なんて。
聞かないし見ないし喋らない。
誰かのためになんてもうやめる。
夕季が、唯一の家族が、義兄が居なくなった日。
あの時から俺は、この街で、傍観者になった。
*
中央。そう呼ばれる場所にたどり着いた朝季は、日本国旗がはためく広場を抜けて建物内に入った。突き当たりの部屋にある階段を降りて突き進む、地下道のような場所。
百五十歩進んだところで大きな扉にぶつかった。鍵はかかっていない、扉を開けて部屋を覗くと、湯気だった紅茶の匂いが鼻を突いた。
「いらっしゃい」
それまでの陰暗とは打って変わって、真夏の太陽のような煌びやかな部屋が広がった。
朱色の壁に黄金色のシャンデリア。コントラストに目眩がしそうだった。部屋の中央には椅子が二脚とテーブル、その上にティーポットと陶器のカップが二つ。
傍に立つのは、上品なグレーのストライプスーツに身を包んだ中年期の男。
「見ての通り私は戦えないよ。攻撃の意思もない、今はね」
穏やかな話し方、華奢と表現してもおかしくはない、痩せ型の男の佇まいは上品で、白髪混じりの毛は流れに沿って丁寧に整えられていた。
「ここに来るまでに随分派手にやってくれたみたいだね」
「派手に?」
「ああ、もしかして記憶が飛んでるかな?」
男が朝季の腰あたりを指差す。
その先には、赤い血が滴る白羽織の裾があった。
「……っ」
「気にしなくていい。重篤の者もいるが、死亡者は聞いていない。座りなさい、話をしよう」
薔薇の香りの紅茶をカップに注ぎ、男が椅子に座った。
「ここまで来た子とはきちんと話をしようと思ってね。まあ、君が二人目だけど」
言わずとも一人目は夕季だとわかった。
男は微笑みながら、朝季の着席を待つ。
「夕季とも話をしたんですか?」
「立ち話は好きではないな。それと、年長者をあまり見下すものではない」
朝季はゆっくりと歩み、椅子に手をかけた。
「さすがだ。いい子だね、君は」
肩の高さが同じになったところで、男が目を細める。
「私のことは洋さんと呼んでくれたらいい、冬那からそう呼ばれているからね。君は本当に、お兄さんそっくりだね」
「義兄です、血は繋がっていない」
「あぁ、たしかに。まぁ、それもあるが、君と彼は根本的なものが違う」
「根本的なもの?」
「私がこの東京内戦を企画し総管理を務める、黒幕と呼ばれている存在だ。気が付いていると思うが君のお兄さん、白河夕季はこの場所で命を落とした。弔い合戦かな? よく来たね、朝季くん」
変わらない穏やかな微笑み。
朝季は笑わなかった、作り笑顔でさえ決して見せなかった。




