37.「例えば、貧しい兄妹が」
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北区域、山手線を囲む中立領域の手前で、景子は南方面を見つめていた。
静かな日だった。五十メートル先に行けば内域軍領域、普段ならこんな場所に一人で佇むなんて行為、あり得ない。
強い風が吹いて思わず目を閉じる。再び開かれた景子の視界の隅に、恭吾が映り込んだ。
目が合ったのは一瞬だった。視線を外されたことを咎めることなく、恭吾は歩く速度を緩めて景子の斜め前に立った。
「なにしてる?」
互いに南方面を向いたまま、恭吾が景子に語りかけた。
景子はちらっと恭吾の背中を見つめたが、すぐにまた視線を遠方に向けた。
「マイナス6まで行きます」
「なんのために?」
「知りません。上からの命令ですから」
「お前んとこの隊長は?」
「西に呼び出されました」
「他の仲間は?」
「必要ありません」
「……そうか」
嘆息とともに恭吾が振り返る。
景子の表情は変わらない、いつもの無表情、何を考えているのかわからない顔で内域軍域を見つめていた。
昔からそうだった、笑わない子だった。と、恭吾は以前の景子の姿を思い浮かべる。だけどあの頃はまだ、無表情の中にある微かな動きを読み取れていたのに。
「この街に来てからさぁ……いや、この街で過ごしてると俺は、お前のことがわからなくなっていく」
「成長するものですからね、人は。いつまでも保護者が側をうろちょろしているのは良くありません」
「そういうことじゃなくて……お前、誰かに喋ったのか? それか変な気を起こして妙な行動したとか」
「……貴方、死にたいんですか?」
「お前がその任務を遂行するなら、俺にはもう生きる理由がなくなる」
「……二年前、夕季隊長の中央突破事件覚えてますか?」
「幾人かの部下を率いて真夜中に奇襲、内域軍の本拠地までたどり着いたって話だろ? 結局、逃げ場がなくなって殺されたって」
「あの時、夕季隊長が出て行った時、私、起きてたんです」
思わず振り返る恭吾。
景子はちらっと顔を上げただけで、すぐに視線を外した。
「気付いて、朝季隊長を起こそうとした私に夕季隊長は、この街の真実を教えてくれました」
「……マジかよ」
「寝耳に水、でしたね。夕季隊長がいなければ私、なにも知らないまま誰かに喋って、変な気を起こして妙な行動をして、早々に死んでたかもしれません」
「……前にお前らがここで休んでたとき、死んで欲しくないやつがいるって言ったよな? あれ、お前なんだけど」
「でしょうね」
「……俺のせいだよな」
「だから、どうしてそうなるんですか?」
「だって俺が、あのとき、勇気を出さなかったから」
「勇気出してたら、貴方まで捕まってましたよ」
「それでよかった、それが正解だったんだ。違う、景子はやってないって、声をあげるべきだった」
「まぁどうせ、私達の言葉なんて誰も聞いてくれなかったでしょうけどね。そんな後悔のせいで、犯罪者の妹を追って自ら、戦場の街に来ることなんてなかったのに」
「助けたかったんだよ、お前を! 周りのやつらは信用ならない、俺には景子しかいなかったから」
「不幸でしたよね、あの頃の、田舎にいた頃の私たち。だから狙われたんでしょうね。ろくでもない親に見捨てられた貧しい兄妹、やってもいない罪で吊し上げて、居場所を奪われて。私の名前、ニュースで流れました?」
「……地方新聞にも載らなかった」
「ろくでもない世界ですね」
振り返った景子が右手を差し出す。
恭吾は無言でそれを掴み、景子を自分の胸に抱き寄せた。
「……嘘だろ、景子……なんで?」
「さぁ?」
「あれか、内域軍域に入ったから……あいつに巻き込まれて」
「隊長の悪口やめてください、撃ちますよ?」
「撃てよ。先にいって、待っててやるから」
「……できれば貴方には、生きていて欲しかった」
「俺も、景子には生きていて欲しかった。だからこんな、狭苦しい部隊で頑張ってきたのに」
ポタポタと、恭吾の涙が景子の髪を濡らす。
景子は腕を回し、恭吾のうなじを指で撫でた。
「爆破装置、仕込まれてますよね? まだ大丈夫なんですか?」
「録音だからな。殺されんのは、早くて今日の夜だ……なんでそこまで知ってんだよ」
「言ったでしょう? 夕季隊長が全てを話してくれたと。ここは虚偽の街、偽りの戦場。東京内戦は、処刑場を兼ねた盛大な模擬戦です」
うなじから指を外した景子が、その手を今度は頭に回してそっと恭吾の頭を撫でた。
「気付いた者から殺される、喋らなければ生きられる。ここはそういう街だと夕季隊長が言っていました。[支配者]が[社会的地位をなくした少年少女]を使い捨てる。富国強兵、東京内戦は終わらない。だって戦いをやめたら、兵器がなくなったら日本は弱い国になってしまうから。だから人間兵器が本気で戦える舞台、戦場を作った。内域軍と外域軍、争っているのはなにも知らない兵士たち、上層部に垣根はない」
そこまで聞いて、恭吾は景子の身体を離した。
信じられない、という表情で景子を見つめる。
「お前……そこまで詳しい話を……白河夕季から聞いてた? どこで?」
「あの夜、目が覚めた私を寝かしつけるために夕季隊長は同じベッドに寝転んでくれて……おでこをくっつけて、よく眠れるようにって大声で言いながら、小声で真実を教えてくれました」
「ベッドって……」
「妙な勘違いはやめてください。親が子を寝かしつける感じでしたから。まぁだから、至る所に盗聴器が仕掛けられているこの街でも、死角は存在するということです。あ、もし貴方が生きている間に隊長が来ても、この話は絶対にしないでくださいよ?」
「なんでだ?」
「隊長は本当に、あれだけ一緒にいたのに、死角はいくらでもあったのに……夕季隊長からなにも聞いていないから。サヨナラの一つでさえ、残してもらえなかった」
ざあっと風が通りぬけた。
ビルの合間を、冷たい風が。
それがピタッと止んだところで、景子は立ち上がって恭吾の目を見つめる。
「中立領域を出たら、爆発するんですよね、貴方」
「俺だけじゃない、警察隊はほとんどそれだ。弱み握られて、事情を知った上で上層部に従ってる」
「悲惨ですね」
「下っ端はどこも悲惨だろ、この街は。むしろ俺はラッキーだったかもしれない」
「ラッキー?」
「警察隊は有事しか持ち場から出れねーし外部との通信も限られてるが、直属の上司がいいやつだったら、生きれる確率が高くなるし希望も見出せる」
「貴方の上司はいい人でしたか?」
「……緊張感のない呑気なやつだが、善人だ」
「それなら良かった」
触れた手を、景子から離す。
そして恭吾に頭を下げた。
「私より先に死なないで、見守っていてください。今までありがとう、お兄ちゃん。私たちは天国に行けると思うから……また、後で」
踵を翻し、景子は恭吾に背を向けて走り出した。
追うように足を踏み出した恭吾だが、二、三歩行ったところで足を止めて地面に膝をついた。




