41話 仮面舞踏会へ
婚約宣誓式まであと一ヶ月ほどという頃。
私とリオンは男爵家代表として、ヘンリクソン侯爵夫人が主催する仮面舞踏会に参加することになった。
ヘンリクソン侯爵家は夫婦共に社交界で有名で、数多くのサロンを開催しているため、知識人や芸術家との繋がりも多い。ご子息も騎士や官吏、画家や貿易商など幅広い分野で活躍しているという。
「仮面舞踏会って、上級学校の行事としては毎年参加していたけれど、本物に参加するのは初めてなのよね」
「やはり、迫力もあるでしょうね」
ヒルダとそんな話をしながら、当日の衣装を決める。
上級学校では毎年秋に、仮面舞踏会が行われていた。
これは実行委員会が主催する学生主体の学校行事だから、規模は小さめだし皆の衣装も簡素だった。どちらかというと仮面を手作りする方に凝っていて、トンチキな仮面を作っていた男子生徒もいたっけ。
噂によると仮面舞踏会には裏実行委員会なる存在があり、彼らが決めた「奇抜な仮面ランキング」にノミネートされた生徒は一年間影のヒーローになれるとかなれないとか、と言われていた。私たち女子生徒は全く興味なかったけれど、一部の男子生徒は盛り上がっていたな。
「私は普通に友だちと参加して、おいしいものを食べるくらいだったけど、仮面舞踏会で恋に落ちる同級生も結構いたのよね。毎年何組も結ばれるから、『仮面カップル』って言われていたけれど、ほとんどが冷めるのも早いってことで有名だったわね」
「……」
「あ、そうだ。仮面に花を飾るってのはどう? ほら、ベルン様もお花が好きだし、野花の造花とかを仮面の端に付けるとか……」
「お嬢様」
ヒルダに静かに呼ばれて、私は右手に持っていたペンを置いた。
「……先ほどイアンさんが知らせてくれたのですが、ヘンリクソン侯爵夫人主催の舞踏会に、エストホルム伯爵家も招待されているとのことでした」
「……そうだろうとは思っていたけれど、やっぱりそうなるわよね。出席も?」
「伯爵は確定ですね。ベルンハルド様の兄二人もですし、ベルンハルド様にも招待状は来ているそうですが……」
「まあ、参加させてもらえないわよね」
ペンを紙の上で転がしながら言うと、ヒルダは頷いた。
「招待状がベルンハルド様のお屋敷に直接届いていればまた話は違ったでしょうが、今回は父子四人分まとめてでした。招待状はお屋敷に転送されましたが、『恥を掻くだけだから参加するな』という伯爵からのメモが付いていたそうです」
「……本当に。どこが恥ずかしいのよね」
人差し指でペンを弾くと、ヒルダの前まで転がっていった。そうするとヒルダもペンをツンツン突いて、こちらまで転がし返してくれた。ノリのいいメイドで本当に嬉しい。
それにしても……言語の練習を重ねたベルン様は、もうどこに出しても恥ずかしくない貴公子になっている。
ご本人はやっぱり体に馴染んだ田舎の言葉の方が言いやすいそうだけれど、それでも人前ではかなり滑らかに喋れるようになっているから、今の彼の言葉を聞いて田舎出身だと見抜く人はいないだろう。
ベルン様がどれほど努力しても、伯爵はその頑張りを評価しない。……いや、見えないようにしているのかもしれない。
伯爵が見ているのは、無口で自我を抑え込んだ、伯爵の命令のままに動く人形のようなベルン様。
彼が流暢に喋ったり社交界に出るようになったりしても、伯爵からの評価が変わることはないし……むしろいっそう疎ましがられるだけだろう。
もしベルン様の目標が「父親に認められること」だったらこれ以上ない悲劇になっていただろうけど、幸いベルン様は伯爵に認められるつもりはないようだ。
むしろ、これまでは胸の奥に押し込めるしかできなかった言葉を、今では堂々とぶつけられるということの方に価値を見出しているようで、よかった。
「……何にしても、エストホルム伯爵にはご用心ください。私としても……嫌な予感がしますので」
「もちろんよ」
ヒルダに言われて、私は頷いた。
仮面舞踏会、ということもあって、ヘンリクソン侯爵邸に到着した私は、招待客たちの衣装に圧倒されてしまった。
「うわ、うわぁ……これ、すごい……」
「確かに、すごいですね……色々と」
ヒルダを伴って馬車を降りた私は、お客様たちの気合いの入れように驚いていた。
招待状には、「お好きな格好でお越しください」とあった。
だからといって下着一丁で行くわけにはいかないので、私はシンプルな濃い紫色のドレスと黒いチュール付きヘッドドレス、黒い仮面という衣装で挑むことにした。
おしゃれや美容に詳しいヒルダ曰く、「仮面舞踏会の衣装は、『イメージするもの』のテーマをはっきりさせると見栄えがします」とのことだった。
とにかく派手にする、とにかく奇抜なものに、とにかく美しいものにする、というのではなくて、「この系統で行く」と決めることで、まとまりはよくなるし気品も出てくるそうだ。
今回の私のイメージは、「若い未亡人」だ。こんなテーマでいいのだろうか、私は思ったけれど、ヒルダ曰く昔から人気のテーマなので気にしなくていいそうだ。衣装を見せたら父様や母様からも褒められたし、まあ気にしないことにした。
仮面自体は黒くて艶があるだけだけど、私の希望通り仮面の端に野花の造花をくっつけた。スミレがいい、と提案すると、ドレスの色とも似合いそうだからとヒルダからも了解をもらえた。
その結果完成した仮面は、豪華なスミレの花が付いているわりに軽くて、長時間身につけていてもずれたり鼻の頭に跡が残ったりもしない、素晴らしい逸品となった。
でも、周りのお客はもっと気合いを入れていた。
全身輝くような光沢のあるドレスを着た中年女性、鳥の羽根らしいものを帽子に付けた男性、顔のほとんどを覆うような大きなのっぺりした仮面を着けた性別不明の人などで溢れかえっているから、地味な未亡人もどきの私はすっかり埋もれてしまいそうだ。
「……あっ、もしかしてアーシェ・レヴィンス様ですか?」
背後から明るい声が聞こえてきたので、振り返る……けれど今は仮面を着けているから、いつもよりも視界が狭い。
首を捻るだけでは見えなかったから、体ごと後ろを向ける。そこに立っていたのは、縞模様の仮面を身につけた男性だった。よく見るとジャケットやスラックスにも縞模様が入っている。これは……猫をモチーフにしているのかな?
「こんばんは、ルーカス様。素敵な仮面ですね」
「でしょう? 格好いい猛獣のような仮面がいいと言ったら、使用人が作ってくれたのです」
あ、猫じゃなくてもっと格好いい大型肉食獣だったみたい。失礼しました。
ベルンハルド様の親友であるルーカス様は子爵家出身だから、この会に招かれていてもおかしくはないし、そんな彼と男爵家の私が立ち話をするのもごく自然なことだろう。
「今日はアーシェ様、お一人なのですか?」
「弟も参加予定なのですが、少し着替えに手間取っておりまして。遅れて来るはずです」
「そうでしたか! 僕も一度、ベルンハルドから聞いていたリオン殿にお会いしたいと思っていたのです!」
ルーカス様はそう言って、仮面の奥で微笑んだ。
「では、せっかくですから一緒に行きましょうか。……あ、それとも、エスコートが僕だとベルンハルドに申し訳がないですかね?」
「いえ、お気になさらず。ベルンハルド様は……いらっしゃらない可能性が高いですし」
私が声を潜めると、ルーカス様は神妙な顔になって頷いた。
「……僕もそのことは彼から聞きました。でも、招待状は受け取っているようですし、調子が整えば遅れてくるかもしれませんよ」
「ええ、私もそれを願っています」




