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39話 ベルンの反撃

「華やかな式にしてくださることは、大変ありがたいのですが……伯爵家側から女性も多く参加されるようですから、酒精入りのものだけでなく果実水なども考え……」

「はぁ? 立食会でそのようなものを提供しろと!?」

「これだから、貴族のやり方を知らない者は困るのですよ!」


 父様の遠慮がちな言葉を遮るのは、馬鹿兄二人。


 やれやれ、と言わんばかりの表情で薄く笑う二人を前に、父様は微笑んでいるけれど――膝の上でぎゅっと拳を固めていることに、私とベルン様だけが気づいていた。


 今の季節は、値段のわりにアルフェン地方のワインはそれほどおいしくないし……あそこのワインはとにかく味が濃くて、酒精も強い。

 それに、私と父様ならまだいいけれど、母様はほとんどワインが飲めない。


 母様の家系はお酒に弱い人が多いようで、社交の場でもできればジュースなどを飲んでいた。でも、会場にお酒以外がなかったら母様が飲めるものがなくなるし、無理矢理飲まされたりでもしたら倒れてしまう。


 普通のパーティーならジュースが出されるものだけど、伯爵の手元のプランにその記述がないから、勇気を出して父様が言ってくれたのに……。


「そうですか……失礼ながら、私はあまり酒類に強くないものでして」


 父様の言葉に、私は息を呑んだ。

 本当は、お酒に弱いのは父様じゃなくて母様なのに。


 案の定、馬鹿兄たちが笑いだした。


「それはそれは……失礼いたしました」

「貴族でありながら酒に弱いとは、なんとも不便な……ああ、いえ、失礼しました」

「それでは、男爵のために甘い甘いジュースをご用意いたしましょう」

「お一人分でよろしいですよね? 伯爵家の者はワイン好きが多いのですよ」


 ……こ、こいつら!


 さっと横目で見たけれど、父様は「感謝します」と微笑んでいる。父様としては、母様がお酒に弱いということで伯爵家の人に悪く言われるのを、避けたかったのだろう。

 高位貴族はお酒が飲めるのが当たり前、という風潮がある中で、母様が攻撃されないために。


 ……でも、こんなの、あんまりだ!


「あのっ……!」

「兄上、よろしければジュースをもう少し、注文いただいても?」


 我慢ならなくて私が上げた声は、ベルン様の穏やかな声にかき消された。

 馬鹿兄二人がぽかんとして、伯爵も訝しげに、ベルン様を見ている。


 ベルン様はちらっと私たちの方を見ると微笑み、兄と父親に向き直った。


「私も式典後の会食で、ジュースを飲もうと思うので」

「……は?」

「……貴様、そのような恥をさらせるとでも思っているのか!?」


 片方の兄が裏返った声で、もう片方の兄が唸るような声で言うのにも構わず、ベルン様はしれっとしてご自分の胸――ちょうど紫の花があるあたりに手を宛てがった。


「恥、とは? 貴族がパーティーでジュースを飲んではならない、という法律はございません」

「法律云々の問題ではない! 世間体というものがあるだろうと言っているのだ!」

「そうです、私もそれを気にしているのです」

「……は?」


 ベルン様の返しに、馬鹿兄たちはそれまでの勢いをしゅんっと失い、そわそわし始めた。

 この人たち、強気に振る舞うくせに急な返しには弱いみたいだ。


「私は、木訥で頼りない男です。父上ならびに兄上方が真心を込めて準備してくださる式で、恥を掻くようなことがあってはなりません。私は、ワインを飲んだことで気が大きくなり、あらぬ失言をしてしまうことを避けるため、あらかじめ酒精のない飲み物を口にしたいのです」


 そう言われて、馬鹿兄たちは完全に沈黙した。

 ベルン様のおっしゃることは、的を射ている。


 ベルン様が言葉少なであることは、伯爵も馬鹿兄たちも知っている。三人からするとむしろ、ベルン様には外では極力喋ってほしくないはずだ。

 酒に酔って判断が鈍り――ベルン様の出生などについてばらされてはならない。


 それに、父様と一緒にパーティーに出たことのあるベルン様は、ご存じのはずだ。ワインが飲めないのは、父様ではないのだと。


 難しい顔をする三人を前に、私も勇気を出して小さく挙手をした。


「そういうことでしたら、私の分もお願いできますか。あと、母も甘めのものが好きなので、私たちの分をジュースにしてくだされば」

「それはいいな、アーシェ。……どうでしょうか、父上、兄上?」


 ベルン様も私の意図をしっかり汲んでくれたようで、したり顔で尋ねた。


 馬鹿兄二人は顔を見合わせ、「……どうする?」「ベルンハルドの言うことも……」とぼそぼそ言っていた。

 でも、バン、という大きな音で、私たちのみならず馬鹿兄たちも飛び上がった。


 書類をテーブルに叩きつけて大きな音を立てたのは、伯爵。

 明らかに怒っている様子を前に思わずびくっとしてしまうけれど、深呼吸、深呼吸。


「……ベルンハルド、いつ、おまえに意見を求めると言った?」

「むしろ、なぜ私が意見を申してはいけない、ということになっているのですか?」


 怒り心頭の伯爵を前にしても、ベルン様はけろっとしている。


 まさかこんな反応をされるとは思っていなかったようで、馬鹿兄たちはすっかり混乱したように父親とベルン様を交互に見ていた。


 ……そうだ。「私は怒っています。私の言うことを聞いてください」ということを伝えるのに書類でテーブルを叩いて音を出すなんて、子どものやることだ。

 そんな程度の人の怒りを真に受ける義務は、ないはず!


 虚を衝かれたのは伯爵や父様も同じで、周りの男たちが黙った隙にベルン様は淡々と言葉を続けた。


「父上や兄上が式を盛り上げようとしてくださることには、感謝しております。しかし、宣誓式は両家の当主が相談し、協力して完成させるものです。しかも、費用は伯爵家と男爵家で折半とのこと。であれば、男爵家側からの要望をある程度受け入れることも道理なのでは、と思ったのです」

「……道理、だと?」

「飲み物のことだけではありません。招待客、客たちに割り当てる部屋や記念品……こうもあからさまに伯爵家と男爵家で差を付けられて、黙っていられるはずがありません。確かに男爵家は私たちより地位は下かもしれませんが、だからといって両家が対等な立場であるべき婚約宣誓式で待遇の差を付けるのは、我々の面子としてもよろしくないのではないでしょうか」

「……。……しばらく見ぬ間に、よくもいけしゃあしゃあと喋るようになったものよ、ベルンハルド!」


 両手をわなわなと震わせた伯爵は書類をぽいっと投げ、馬鹿兄たちが慌ててそれらを掻き集めるのをよそに、テーブルに手を突いてベルン様に詰め寄った。


「貴様の言葉を、そのままそっくり返そう。……今回は貴様らの要望があって、貴様とその女を同席させただけのこと。当主同士の話に首を突っ込むでない!」

「私も、お言葉を返しましょう。……今の父上たちのやり取りは、当主同士の打ち合わせなどではありません。男爵の意見を尊重する姿勢を見せない時点で、この『話し合い』は破綻しているのでは――」

「黙れっ!」

「黙りません。……婚約宣誓式の主役がいずれ結婚する二人であるというのは、誰もが知っていること。であれば、この式は私とアーシェ嬢のためのものなのだから、勝手に進めないでいただきたいです」


 あくまでも丁寧に、落ち着いた調子で、言葉を紡ぐベルン様。

 伯爵は顔を真っ赤にして怒っているけれど、その両脇の馬鹿兄たちは青白い顔できょろきょろと視線を彷徨わせている。


 地方育ちゆえの訛りが消えず、伯爵から「喋るな」と言われてきたベルン様。

 そんな彼は今、相変わらず話す速度は遅めだけれど貴族として何ら問題のない、流暢な標準語で喋っている。


 そのことももちろん誇らしいし……ベルン様が家族に刃向かってでも、私たちの意見を後押ししてくれたことが、何よりも嬉しかった。


 伯爵はひとつ、深呼吸した。

 私がごくっと唾を呑んで見ていると、もう一つ深呼吸して、隣に腰掛ける馬鹿兄の片割れに「茶を寄越せ」と命じた。


 今この場に給仕たちがいないので兄その一がわたわたと茶の仕度をするのには目もくれず、伯爵は射殺さんばかりの視線をベルン様に向けた。


「……それが親に対する態度か」

「相手が親だろうと王だろうと、過ちを犯したならばそれを指摘して正しき方向へと促そうとすることは必要かと」

「……変わったな、ベルンハルド」


 息子からもぎ取ったカップの中身を一気に呷って、伯爵は静かに言った。


 その言葉は、文字だけだとまるで「成長したな」という意味を孕んでいるかのように思われる。

 でも、今はそうじゃない。


 伯爵の声は低く唸るようで、「よくも変わったな」と恨みを込めていることが分かる。


「……ま、まあ、父上! ひとまず話を進めましょう!」

「そ、そう、そうですよ! もう皆には招待状も送っていますし、ここで揉めたら後が面倒ですからね!」


 馬鹿兄たちは保身に走ったのか「これはさすがにまずい」と悟ったのか、父親を説得する方法に舵を切ったようだ。


 伯爵は相変わらず不機嫌そうだけど、もう一つため息――「私は怒っています」ということを表しているかのような、わざとらしさだ――をこぼして、腕を組んだ。


「……話を戻そう。男爵、立食会での料理の件だが――」


 ……ひとまず、この場での正面衝突は避けられたみたいだ。


 それまでずっと固まっていた父様が解凍されて、伯爵の言葉に相槌を打っている。

 横顔は真っ青だけど……大丈夫だろうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヒーローとして立ち上がったベルンだけでなく 娘と婿のために怖くても自らの恥にされても パワハラ伯爵に立ち向かうお父様の姿に 胸を打たれました。 [一言] 貴族同士の結びつきであるから 当人…
[一言] 現実同様こういう態度から財力のある平民や下級貴族に追い落とされるようになるんだろうね
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