36話 男爵令嬢は不意打ちを受ける
私たちと一緒に夜会に参加したベルン様はそれから先、お祖父様や父様たちの紹介を受けて、あちこちのパーティーに出席するようになった。
普通ならこういうのは実家である伯爵家が指示を出すものだけど、伯爵は全く宛てにならないどころか、「おまえのような者なんて、どこに出しても恥ずかしい」と鼻で笑ったそうな。
でもその話を持ち帰ってきたベルン様はけろっとしていて、「もし父の伝手でパーティーに行けたとしても、間違いなくそこで集中攻撃を受ける」とおっしゃっていた。
それくらいなら、レヴィンス男爵家が誘われている小規模のパーティーに参加した方がベルン様も気が楽だろうし、将来の娘婿を見せびらかせるということで、父様たちも乗り気だった。
ベルン様はまだ不意打ちの質問には弱いみたいだけれど、それでも何回も授業を行うにつれてみるみるうちに会話能力が上がっていた。
「それじゃあ、イアンを相手に会話してください。イアンは、質問内容の八割はテキストにある通りで、最後に何問か、オリジナルの問題を出してちょうだい」
「了解した」
「かしこまりました」
夏の日差しが差し込む室内で、ベルン様とイアンが向き合って座っている。
今日の会話練習の舞台設定は、「異国出身の商人に自国の魅力を伝える場面」だ。
事前に私と一緒に行った練習では、ベルン様はノートを見ながらだけど滑らかに話すことができていた。でも今回の練習では、イアンが予期せぬ質問を投げかけてくる。それにも受け答えができたら、今日の目標達成だ。
私はノートを手に少し離れたところに座って、彼らの様子を見ることにする。
ちなみにイアンの隣にはヒルダが座っていて、「異国の商人夫妻」という設定になっていた。言わずもがな、ヒルダは嬉しそうだ。
「エストホルム殿。リネリア王国には、どのような風土的特徴があるのですか?」
こちらの言語に不慣れな商人を真似て、イアンがゆっくり喋る。
この課題における学習の柱は、三つある。
ひとつめは、いつも通り滑らかに受け答えをすること。
ふたつめは、自国について理解し、それを適切に表現すること。
そしてみっつめは――相手が異国人であるという設定なので、簡易で分かりやすい言葉遣いをすることだ。
特にこのみっつめが難しい。私も事前に難易度は伝えたのだけど、ベルン様が「どうしてもやりたい」とおっしゃるので、授業を行うことにしたのだ。
イアンに尋ねられたベルン様は、窓の外を手で示しながら言う。
「リネリア王国は、山が少なくて、平らな土地が多いです。天気も、安定している日が多くて、夏は暑すぎなくて、冬も雪が降りにくいので、どの季節でも過ごしやすいです」
三つの学習の柱を意識しながら説明するベルン様は、身振りや手振りを加えながらイアンの問いに答えていく。元々勤勉で知識が豊富な方だから、言葉遣いにさえ気を付ければふたつめの柱で躓くことはない。
そうして基本的な質問を終えると、イアンはテキストにはない、「旅行に行くなら、どの季節にどこに行くのがいいですか」と尋ねた。
それに対してもベルン様は怯まず、「春に、野を散歩するのがいいです」と答えた。
……うん、いい感じだ。
ベルン様にはちょっと難度が高いかと思ったけれど、いい意味で予想を裏切ってくださった。
この調子なら、次回からはもう少し難しいものに挑戦してもいいかもしれない……。
「分かりました。では、最後に質問してもよいですか」
「はい、どうぞ」
「エストホルム殿は、婚約者殿のどういったところがお好きなのですか?」
――ノートに書き込みをしていた私は、イアンの問いを耳にしてペンを取り落とした。
ヒルダが「あら、まあ」と嬉しそうに笑う傍らのイアンは、真剣な表情をしている。
……い、いや、まあ確かに、オリジナルの問題を出してほしいとは言ったけど!
どうしてここで私が出てくるわけ!?
「ちょっと、イア――」
さすがに止めようとしたら、さっとこっちを見たヒルダが唇に指を当てて、「静かに」と伝えてきた。
言葉を呑み込んで、ベルン様を見る。
ベルン様もイアンの問いに最初は驚いていたようだけど、こちらを見ることはなく、ふわっと微笑んだ。
「イアン殿は、私の婚約者に、興味がおありですか」
「はい。今後、妻とも仲よくなっていただければ、と思っておりますので」
イアンは真面目な顔で役作りに徹している。隣のヒルダは顔を赤らめて嬉しそうに身をよじらせている……幸せそうで、お嬢様は何よりですよ。
私を差し置いて、場面作りを続ける三人。
ベルン様が、こくっと頷いた。
「それは、嬉しいことです。私の婚約者であるアーシェ・レヴィンス嬢は、とても愛らしくて、眩しい人です」
「眩しい人?」
「彼女は私にとって、まるで太陽のような人です。私を明るく照らし、温かい手の平で手を引っ張ってくれて、温もりを与えてくれます。太陽の光は、私たち人間にとって、欠かせないものです。私にとっての婚約者も、そのような存在なのです。私は彼女のそういうところが、好きです」
「なるほど。婚約者殿は、とても明るくて素敵な方なのですね」
「はい。私の、運命の女性です」
「よく、分かりました」
イアンはそう言った後、やっと私の方を見た。
「アーシェ様、会話練習終了です。いかがでしたか」
「……」
「アーシェ様?」
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
イアンとヒルダが、ニコニコ――いや、ニヤニヤ笑いながらこっちを見ている。
間違いなく、私をからかっている……!
会話練習の途中から声も出なくなっていた私は、ぎりりとペンを握りしめたけれど――じっとこちらを見つめるベルン様を見て、我に返った。
「え、えっと……」
「アーシェ、今の会話練習は、どうだった?」
しどろもどろの私とは対照的に、ベルン様は落ち着き払っている。
……うん、今のは、練習だものね。
あくまでも授業の一環で、商人役のイアンに尋ねられたから答えただけのこと。動揺する方が……おかしいよね。
「よかったと思いますよ。ただ……そうですね。三つ目の食べ物についての質問ですが、相手が異国人であることを意識して、リネリア特産の植物や果物については、もう一言説明を添えるべきかと思います。イアンはどう?」
「私もそれは気になりましたね。しかし、とてもはっきりとした綺麗な言葉遣いなので、私としても聞きやすかったですよ」
イアンにも言われて、ベルン様は「確かに。以後気を付ける」と注意事項を真摯な態度で受け止めつつも、嬉しそうに頬を緩ませていた。胸のスミレも、安心したようにふわふわと揺れている。
婚約当初は、ベルン様のこんなに穏やかそうなお顔を見ることはなかった。
スミレの花も、今ではもう五輪以上が元気に咲いているし……いつか、この花のお世話にならなくてもいい日が来るかもしれないな。




