34話 お祖父様の危惧
……ということで、私はベルン様のサポートをしながら挨拶回りをしていたのだけれど。
「……つ、疲れた……」
「大丈夫か……?」
ソファにぐったりと伸びる私に、心配そうに声を掛けるベルン様。
……情けない。ベルン様よりも先に、私の方が大丈夫じゃなくなってしまうなんて。
会場の隅にあるソファ席は周りを薄いカーテンで包まれていて、他の席と違ってひっそりとしている。
ここは酒に酔って休憩したいときや喋り疲れて体を休めたいときなどに使うためのソファだから、ここにいれば周りの目を気にすることなくゆっくり休憩できる。カーテンの近くに男爵家の使用人も立たせているから、何かあれば彼が取り次いでくれる。
「飲み物でも、取ってこようか?」
「いえ、ベルン様にそんなことをさせるわけには……」
「いや、この夜会では、俺がアーシェやリオン殿たちを立てる必要がある。それに、俺も一人で歩いて、少しでもこの空気に慣れたい」
そう言うベルン様は、穏やかな微笑みを浮かべている。
胸のスミレも生き生きとしているから、渋々使い走りをするわけでも一人で行動することに不安を抱いているわけでもないと分かった。
……本当に、ベルン様はお強い。
「……それでは、お願いしてもいいですか? 甘くて爽やかな果実水がほしいです」
「酒精はない方がいいか?」
「そうですね、今は酒精なしのものをお願いします」
「了解した。……ではすまないが、ほんの少しだけ、おまえから離れる」
ベルン様は一言詫びると、カーテンを捲って外に出て行った。彼がカーテン前の使用人に何かを言付けた後、離れていくのがうっすらと透けて見えた。
……ベルン様、きびきびとしてらっしゃるな。
ベルン様は社交界に不慣れだから、いざとなったら私がリードしよう、と思っていたのに……これじゃあ、リオンやベルン様が私の保護者になってしまうのも仕方ないのかな……。
「おお、アーシェ。休憩中みたいだな」
ぼんやりと考えていると、カーテンを捲ってお祖父様が入ってきた。その傍らに、リオンはいないみたいだ。
「お祖父様も休憩なさいますか? あと、リオンは?」
「リオンなら、学者に捕まっている。どうやらあの子が上級学校で専攻したい内容と学者の研究分野がぴったりだったようでな、せっかくだから残しておいた。使用人は二人付けているし、あの子にとっても成長の機会になるだろうから、そっとしておきたいところだ」
お祖父様はそう言って、どっこらせ、と私の隣に座った。
「それで……おまえの愛おしい婚約者殿は、どこだ? 手洗いか?」
「いえ、私がへろへろになってしまったので、飲み物を取りに行ってくださいました。えっと、ベルンハルド様の方から申し出てくださったことで……」
「はは、分かっているとも。だがあの青年なら、おまえが威圧的に命じたとしても喜んで取りに行きそうだがな」
「それはないでしょう……」
全く、お祖父様の目にはベルン様がどういう人に映っているんだろうか。
そう思っていた私だけど、お祖父様はふと「ベルンハルド殿のことだが」と真面目な様子で切り出した。
「おまえとベルンハルド殿の婚約の話が上がっている、と聞いたときには、面倒なことになったと頭を抱えたものだ。こんなことになるくらいなら、もっと早くに私の知人の孫でも見繕ってやればよかった、ともな」
「……」
「おまえも知っているだろうが、エストホルム伯爵家はとてもではないが、評判がいいとは言えない。伯爵家自体は歴史はあるし人脈も広いが、領民への態度が横暴で、地方領主からも苦情が上がっている……という噂もある。どれも憶測の域を出ず、部外者では告発することもできないのだがな」
それは……私も、聞いている。
伯爵はただでさえ態度が悪いし、愛人の子であるベルン様への当たりも厳しい。
それだけでなく、領民を初めとした労働者階級からの評判もよろしくないみたいだ。長男と次男も、甘い汁を啜って遊びほうけているとか。
そういう点では、エストホルム伯爵家の中でベルン様だけが異質だ。
でもベルン様は社交経験が浅いし、父親や兄たちから冷遇される彼をわざわざ目に掛けようという高位貴族もいない。
だとしても騎士団では着実に実力を付けているし、ルーカス様曰く「最近はあいつも明るくなってきて、一緒に食事をする仲間も増えています」とのことだった。
以前のベルン様は仕方ないとはいえ、無口で付き合いも悪くて、騎士の花形である騎乗戦にも参加しないということで、彼のことを遠巻きにする騎士もいた。
でも今は苦手な騎乗戦や馬上槍の練習をしているし、ルーカス様同伴で他の騎士たちの輪に入るようになった。
また、城で働く使用人や業者の人たちにも親切に接するということで、結構評判になっているそうだ。
ルーカス様が言うには、ベルン様に優しくしてもらえたことがきっかけで騎士を目指すようになった男の子もいるくらいだとか。それにイアンを連れて領地に行くこともあるようで、その実情をしっかり把握されている。
「……伯爵家のことは、私も伺っています。でも、ベルンハルド様は違います」
「……」
「最初こそ、伯爵家からほぼ強制されたも同然の婚約に、戸惑いました。こうなったらあちら側から破棄してもらおう、と張り切ったりもしたくらいです」
「ははは、アーシェならそれくらいはしそうだな。……だが、ベルンハルド殿は婚約を破棄しなかったのだな」
「はい。……今では、それでよかったのだろうと思っています」
女神様の気まぐれで、ベルン様の気持ちが見えるようになった。
彼が生まれのことや言葉のことで悩んでいるのだと、知ることができた。
私がベルン様のことを、ベルン様が私のことを好きなのだと、伝えあうことができた。




