33話 夜会に出発
さて、ベルン様と合流したところで夜会に出発、である。
今回の夜会には、私たちの父方のお祖父様が招待されている。
元々は息子夫婦である父様と母様が呼ばれていたけれど、「孫息子の社交界練習と、孫娘と婚約者のお披露目も兼ねて」ということで私たちが参加することになった。
灰色の正装を着こなしたベルン様は、思わず見惚れるほどの美男子だ。
それでもベルン様は、やっぱり緊張しているみたいだ。
凛と前を向いているけれど、胸に咲いた紫色のスミレがふるふると不安そうに揺れていることから、そのお気持ちが分かる。
「ベルン様、大丈夫ですか?」
「……ああ、大丈夫だ。精いっぱい努力する」
「無理はなさらないでくださいね。……あっ、お祖父様!」
会場である子爵邸の中庭で待っていると、リオンがお祖父様を連れてきた。
もうすぐ七十歳になろうとしているお祖父様だけど、今でもお供の人を連れて国中を飛んで回り、色々な商談に乗ってらっしゃっている。
十年ほど前にお祖母様が亡くなったときには、私たちも心配になるほどの憔悴っぷりだった。
でも年月を掛けて立ち直り、お祖母様の遺品である結婚指輪を手に、「妻と一緒に世界を見て回ってくる」と商売のチャンスを狙った旅行をなさるようになったんだ。
リオンに支えられてやって来たお祖父様は私を見ると顔をほころばせ、傍らにいた従者に杖を預けて腕を広げた。
「おお、久しいな、アーシェ!」
「お祖父様も、お変わりなさそうで安心しました」
お祖父様とぎゅっと抱きあってから、昔よりは肉付きが薄くなった背中をそっとさすった。
「お元気そうなのは何よりですが、お祖父様ももうお歳ですし、お体は大事になさってくださいね」
「むう、先ほどリオンにも同じことを言われた。私はそんなに老いぼれて見えるのだろうか」
「見目はともかく、もう七十になるのですから。……ああ、こちらにいらっしゃるのがベルンハルド・エストホルム様です」
抱擁から離れて私が紹介すると、ベルン様は胸に手を当ててお辞儀をした。近くを通りがかった人が思わず見つめるほどの、綺麗な所作だ。
「エストホルム伯爵家の、ベルンハルドです。此度、アーシェ嬢の婚約者となりました」
「ああ、息子たちから話は聞いている。実直で真面目そうな好青年だ、と言っていたな」
お祖父様は柔和に笑うと、ベルン様と固い握手を交わした。
「確か、騎士団に所属しているのだったか。とてもよい体付きをしている」
「ありがとうございます。私は伯爵家の人間ですが、将来的には家を離れてもやっていけるよう、騎士団で地位を確立しようと志しております」
……あ、それは私も初耳かも。
でも、ベルン様は伯爵家――脅迫同然にご自身を連れて帰った伯爵や、半分しか血の繋がっていない兄君とは不仲だし、実家とは距離を取った方がベルン様のためにもなるのかもしれない。
もちろん、私としても変なしがらみから解放されるのならそれがいいと思うし、もしそうなったとしてもベルン様に付いていくつもりだ。伯爵家から遠巻きにされたとしても、父様たちがいるから何かあれば相談できるし。
一言一言はっきり喋るベルン様を、お祖父様は真剣な様子で見ていた。そして私を見て、優しく微笑んだ。
「……よい婚約者を持てたようで、なによりだ、アーシェ」
「いえ、これもお祖父様方のおかげです」
「お祖父様、姉上、ベルンハルド様。そろそろ参りましょう」
それまで会話に入っていなかったリオンが、私たちに注意を促す。確かに、そろそろ会場に入っておくべきだろう。
「ああ、そうだな。……今夜はおまえの練習も兼ねているのだから、張り切りなさい。なに、困ったことがあればおじいちゃまに何でも言えばよいぞ!」
「……僕はそこまで子どもじゃないので、姉上の方を見てあげてください。姉上は放っておいたら、中庭の水路にでも落ちてしまいそうなので」
「そこまで注意散漫じゃないわよ!」
私が最後に水路に落ちたのは八歳の頃のことだから、リオンはまだ生まれてもいないのに!
このパーティーを主催しているのは、リネリア王国でも歴史が古く由緒正しい子爵家だ。どうやら子爵家当主とお祖父様は顔見知りだそうで、このパーティーにも気軽に誘ってもらえたそうだ。
最初私たちは四人で固まって行動しながら挨拶をして回ったのだけど、参加者のほとんどは主催である子爵と同等かそれより低いくらいの身分の人ばかりで、あまりかしこまっていなくてアットホームな感じがした。
年齢層もある程度固まっていて、子爵と同じ年代の中年層と、彼らの子どもにあたるリオンくらいの歳の子がほとんどだ。中には私やベルン様くらいの歳の人もいるけれど、ほとんどは夫婦――既婚者だな。
あまり同世代がいないしものすごく身分が高い人がいないというこのパーティーは、私たちの練習舞台として申し分なかった。もしかすると、この会場で一番身分が高いのが、伯爵家三男であるベルン様かもしれない。
リオンは大人相手にもそつなく挨拶をして、今上級学校でどんなことを勉強しているのか、来年度は何について専攻したいのかなど、きりっとした横顔で話している。
学者肌らしい相手の中年男性は幼くとも利発なリオンが気に入ったようで、しっかり話を聞いていた。
そして、こちらは。
「こんばんは。お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな、アーシェ嬢。……そちらの男性は?」
「お初にお目に掛かります。私、アーシェ嬢の婚約者のベルンハルド・エストホルムです」
「まあ! エストホルムというと、まさか伯爵家の……!?」
「はい。ですが現在は騎士団に所属しており、伯爵家子息というよりも騎士の一人として、アーシェ嬢をお守りしたいと思っております」
父様の知人である男爵夫妻を見かけて挨拶したので、ベルン様も自己紹介なさった。
案の定、男爵家の娘の相手に伯爵家子息ということで相手のご夫妻はとても驚いた様子だけど、貴公子というより武人という雰囲気のベルン様を見て、なるほどと納得の表情になった。
「そういうことか。アーシェ嬢、とてもよい青年と巡り会えたな」
「はい。私もベルンハルド様と過ごせて、幸せです」
「それはようございました。ご両親にも、よろしくお伝えくださいませ」
「こちらこそ」
男爵夫妻が去ったところで、ちらっと横を見る。
ベルン様はしばらく黙っていたけれど私を見て、ふうっと小さく息を吐き出したようだ。
「……今の、合っていたか? 言葉遣い、おかしくなかったか?」
「はい、大丈夫でしたよ!」
小声で聞かれたので私も小声で返して、「よい」という意味のハンドサインをこそっと見せると、ベルン様は唇の端に笑みを浮かべた。スミレの花も、安心したようにふわっと花びらを開かせている。
「それは、よかった」
「まだいけますか?」
「ああ、まだまだいける」
同じ挨拶の言葉でも、ベルン様は私たちの何倍もの労力を使って話さなければならない。
それでも、最初の挨拶がうまくいったということがベルン様を勇気づけるきっかけになったようで、彼の横顔はどこまでも爽やかで、生き生きとしていた。




