27話 男爵令嬢は婚約者を守りたい
「……そんなのを聞いて、どうする」
「あなたの言葉遣いがどんなものなのか、聞いてみないと判断できませんから。もちろん、お嫌でしたら大丈夫ですよ」
「……。……軽蔑、しないでくれよ」
ベルンハルド様は一言断った後、何度も深呼吸し、意を決したようにさっと私を見つめてきた。
「アーシェ嬢」
「はいっ」
「俺は、おまえのことが……大切だ。すげぇ大切で、これからもずっと一緒に過ごしていきてぇ。おまえもそう思ってくれるんなら、俺は幸せだ」
顔を赤くして、ベルンハルド様が言う。
……こ、こんなにストレートに言われると、さすがに照れる!
「……あ、ありがとうございます。私も嬉しいです!」
「……。……それだけか?」
「え? ……ああ、言葉遣いですか? そこまで気にならなかったですよ?」
ベルンハルド様は疑うような目で見てくるけれど、本当のことだ。
訛りにも色々あって、中には部外者には理解が非常に困難なものもあると聞いたことがある。
そういったのに比べれば、ベルンハルド様の言葉遣いは――ちょっと下町っぽい表現は見られるし微妙なイントネーションの違いはあるけれど、普通に理解できる。
勉強の成果なのかもしれないけれど、少なくとも今の彼の言葉を聞いて「黙れ!」とか「汚い言葉」と怒鳴る伯爵の方がおかしい。
「まあ確かに、公の場で使ったら目立つかもしれませんが、少なくとも私は気になりませんね」
「……」
「……というのが、私の所感です」
「……そう、か」
ベルンハルド様は瞑目し、しばし沈黙された。
待つ間、私はせっせとお茶を飲んでお菓子を摘んでいたけれど、ベルンハルド様が目を開けたところでカップを置いた。
「……アーシェ嬢」
「はい」
「俺は……最初は、このまま、無口でも、いいと思っていた。……だが、おまえと結婚すると、考えると……やはり、直したいと、思うようになった」
「ベルンハルド様……それで、本当にいいのですか?」
「……」
「……。……あ、そうだ。それなら、こうしません?」
ぽんと手を打ち、私は沈痛な面持ちのベルンハルド様に提案する。
「これからのことも考えて、一緒に言葉の練習をしましょう。私、これでも上級学校を卒業して二年間ほどは、幼少学校の講師補助をしていたのです。だから、教えるのはわりと得意な方なのですよ」
「……そうなのか?」
「はい! でもやっぱり、ベルンハルド様はご自分の言葉に愛着がおありのようですし、そちらの方が滑らかに喋れるでしょう? だから普段――この屋敷の中で、私やイアンくらいしかいないときは、肩の力を抜いて故郷の言葉遣いで喋るのです」
まあつまりは、使用する言葉の切り替えだ。
公の場では少々肩が凝ったとしても言葉遣いを改めるけれど、その必要のない場所では気軽に喋れるようにする。
そうすれば、伯爵たちから罵倒されなくなるし、かといって慣れない言葉遣いに縛り付けられることもない。
ベルンハルド様は私の提案を聞いて、黙っていた。
かなりの間、黙っていた。
「……それは、いいかも、しれない」
「でしょう!?」
「だが……おまえに、いらない苦労を掛けさせる」
「まあ、ひどい。婚約者のことなんですから、いらない苦労なんかではないですよ」
「……それは、そうだが」
「ベルンハルド様」
いつぞや馬車の中でベルンハルド様がしたように私は席を立ってテーブルを回り、困惑顔のベルンハルド様の隣にすとんと腰を下ろした。
そうして、膝の上で固められていたベルンハルド様の大きな拳に触れ、その指一本一本を解くように手の平で撫でる。
「……私、あなたともっとたくさんお喋りがしたいです」
「……」
「同時に、あなたに苦しい思いをしてほしくない。あなたが望むのなら、あなたが前を向けるようになる手伝いをしたい。あなたの隣を一緒に歩いていたいのです」
「……。……そう、思ってくれるのか」
「はい。……だから、一緒に頑張りませんか?」
手の平に力を込めて、ベルンハルド様の拳を握る。
彼はこれまでに何度、こうして拳を固めてきたんだろう。
言い返したいけれど言い返せなくて、言葉が出てこなくて、悔しくて、何度歯がゆい思いをしてきたんだろう。
偉そうなことは言ったけれど、私は所詮平民に毛が生えた程度の身分で、私自身に財産があるわけでも凄まじい教養があるわけでもない。
でも、私にできることがあるのなら。
この、遠慮がちで優しい人を守れるのなら。
ベルンハルド様はゆっくりまばたきし、そして――硬い蕾がほころんだかのように、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう、アーシェ嬢。本当に……感謝、している」
「ベルンハルド様……」
「俺は、前を向きたい。おまえの夫として、恥ずかしくない男になりたい。……だから、手を、貸してくれないか」
ベルンハルド様が、言った。
私に、助けを求めてくれた。
……彼の心を縛っていた鎖が音もなく外れていったのが、目に見えるかのようだ。
「……はい! あ、でも私、子どもの教育はやってきましたが、成人男性相手となるとちょっと勝手が違いますよね……変なことを言ったら、すみません」
「別に、幼少学校の子どもたちと、同じようにしてくれれば、いい。……おまえが先生になってくれるのなら、俺も頑張れそうだ」
「そ、それならよかったです。私、いい先生になれるように頑張りますし、ベルンハルド様が頑張ったらたくさん褒めますね!」
「……。……ああ、そうだな。頼む」
ベルンハルド様は笑うと、そっと私の肩を抱き寄せた。
温かくて、たくましくて、大きなベルンハルド様の体。
運動音痴な私では、逆立ちをしてでも敵わないだろうけど……ときには、私があなたを守ることもできる。
「……ベルンハルド様」
「……ああ」
「……好きです」
「……俺も、好きだ。……俺だけの、幸福の花の女神。アーシェ……」
隣を見やると、青い目を情熱的に輝かせてベルンハルド様が私を見ている。
微かな期待を胸に、私はそっと目を閉じた。
まぶたを下ろして視界が遮られる直前に見えたベルンハルド様の胸のスミレは、大輪の花を開かせて誇らしげに咲いていた。
……でも直後に唇に与えられた柔らかい感触で、私の意識は全てそちらに持って行かれてしまったのだった。
 




