26話 彼が無口なわけ
「……最初は、おまえとの婚約が――不安で、申し訳なくて、仕方がなかった」
ベルンハルド様が、ぽつりと本音をこぼした。
「俺のような、田舎者と、結婚させられて。俺は間違いなく、おまえを、不幸にしてしまう。不幸になるのは、俺、一人で、十分なのに」
「……そんなことを思われていたのですか」
当時の私は逆に、どうすればこの面倒くさそうな婚約話を台無しにできるかについて考えていたくらいだというのに。
そうして初対面したベルンハルド様が全く気乗りじゃなさそうだから、これはあちら側から断られるに決まっている……とヒルダと一緒に舞い上がっていたのが、もう二ヶ月以上前のことになるのか。
「……それに、この、言葉。伯爵は、俺が田舎者だと、知られたくない。だから、俺は、言葉を直すか、一生無口でいるか、しかなかった」
……そうしてベルンハルド様が選んだのは、後者だった。
「……言葉を直すのは、やはり難しかったのですか?」
「……それも、ある。だが……意地のような、ものもあった」
一年では矯正が間に合わなくても、二年、三年特訓すれば、いつか王都の人間が喋るのと同じ、流暢な言葉遣いができるようになるはず――家庭教師も、そう言っていた。
だがベルンハルドは、喋る能力については努力することを放棄した。
それは……もし自分が言葉を矯正させたら、のびのびと育った十二年間の生活や思い出をも否定してしまうことになりそうだ、と考えたからだった。
伯爵は常々、「あの悪知恵の働く下女」と母のことを詰ったり、「牛糞臭い僻地」とベルンハルドの生まれ故郷を罵倒したりしていた。
ベルンハルドは、十二年間の思い出を失いたくなかった。
故郷の皆から教わった言葉すら変えてしまったら――自分も伯爵のように、あの愛おしい故郷を「牛糞臭い僻地」扱いしてしまうのでは、と恐れていたのだ。
だから、矯正できなかった。
したくなかった。
どこで暮らそうと、自分は「ベルン」として愛されていたのだ、ということを忘れたくなかったから。
カチャリ、と小さな音を立てて、使用人の女性が新しい紅茶のポットを置いてくれた。
話し終えたベルンハルド様は口を閉ざし、むっつりとお茶を飲んでいる。その表情はくたびれきっていて、胸のスミレの花もへたりと萎れていた。
……そういうことだったんだ。
ベルンハルド様の兄二人が辛辣なのは、ベルンハルド様が異母弟で田舎生まれだから。
伯爵が「黙れ」と言ったのは、ベルンハルド様の訛り混じりの声を聞きたくなかったから。
ベルンハルド様が騎乗戦が不得意なのは、田舎ではそういう技能を教わらなかったからで――ベルンハルド様が無口なのは、言葉を直したくない、という葛藤があったから。
「……だから私がだらだら喋るのに対しても、短い返事しかなさらなかったのですね」
「……すまない。おまえの声を、聞くのが、嫌なのではない」
「ええ、今ではすっきりと分かりましたから、お気になさらなくていいですよ」
まあ確かに、最初の頃は「どうすればいいんだろう」って悩んだりもした。
それこそ、女神様の気まぐれでスミレの花が見えなかったら、今でも私はベルンハルド様のことを誤解し続けていたかもしれない。
……でも。
「ベルンハルド様が説明してくださって、私も助かりました」
「……。……嫌では、ないのか?」
「どれがですか?」
「……婚約者が田舎育ちで、言葉が汚いなんて、嫌だろう」
「うーん……よく分かりません!」
「……ん?」
ベルンハルド様が訝しげに見つめてきたので、私は温かい紅茶を一口飲んでから微笑んだ。
「さっきイアンからちらっと聞いたのですけど、この前私が怪我をしたとき、ベルンハルド様はうっかり故郷での言葉遣いを出してしまったのですよね?」
「……そう、だ。覚えて、いないのか?」
「それどころではなかったですし。……まあ、当時の私は血が出て焦っていたから、というのもありましたけど、ベルンハルド様の言葉遣いは別に気にならなかったですよ。むしろ、ああ、いつもより滑らかに喋られているな、と思うくらいでした」
「……」
「それに」
カップを置き、暗い翳りのあるベルンハルド様の瞳を見つめる。
「そもそも、ベルンハルド様が喋るのは暴言や罵声などではないです」
「……」
「私は王都育ちですけど、リネリア王国中には色々な訛りがあると聞いています。それらはその土地で暮らす人々が長い歴史の中で使ってきた、伝統的な言葉遣いです。それを『汚い』と言う人間の方がおかしいじゃないですか? 歴史の長さで言うと、王侯貴族が使う言葉よりもずっと昔からある、土着の言葉遣いなのですし」
ベルンハルド様が少しだけ顔を上げ、ゆっくりまばたきをした。
私は小腹を満たすために小さめのケーキをほおばってから、彼に微笑みかけた。
「訛りなんて、気にしなくていいと思います。それよりも私は、あなたが喋りやすい言葉遣いで、あなたが思ったことを素直に表現してくれれば、嬉しいです。そっちの方が、やり取りもしやすいですからね」
「……」
「言葉遣いを直すかどうかは、ベルンハルド様が決めればいいと思います。もし直されるのでしたら私も協力しますし、直したくないのならそれでもうまくやっていけるよう、一緒に方法を考えましょう」
「……おまえも、協力、してくれるのか?」
「えっ、だめですか?」
「……だめ、ではない。だが、おまえも、俺の言葉を聞くと……」
「あ、それじゃあもしよかったら、ベルンハルド様の故郷の言葉で何か話しかけてくれませんか?」
私の提案に、ベルンハルド様は困った顔になった。
でも、胸のスミレは枯れずに少しだけ花びらを動かしているから……嫌がってるわけではないはず。




