23話 事故
今日はベルンハルド様に誘われて、彼の屋敷の庭園を散策していた。
「そろそろ、夏の花が芽吹いている頃です。間引きや肥料やりなど、ベルンハルド様も積極的になさっているのですよ」
「そうなのね」
イアンの案内のもと、私は日傘を手に庭を歩いていた。
さっきまでベルンハルド様とヒルダも側にいたけれど、ベルンハルド様は私が花を持ち帰れるように籠を用意すると言ってくださり、それを受け取るためにヒルダも一緒に倉庫に向かった。
こういうのって本来なら使用人の仕事だろうけれど、イアンが微笑んで「アーシェ様のために、できることをなさりたいのですね」と教えてくれた。
「それにしても、ここ数ヶ月のベルンハルド様の変化には、私も驚いております」
「そんなに変わったの?」
「変わりましたとも。ベルンハルド様は昔から器用でいらっしゃいましたが逆に、何事に関しても執着――ひとつのことに集中することがなかったのです」
広く浅く、といったところでしょうか、とイアンは呟く。
「それはそれでよいことなのですが、逆に言うと何事にも淡々としていて、十年近くお仕えしている私でもいまひとつ、理解できないところもおありでした。……しかしここ最近は、アーシェ様のことに関して非常に熱心になってらっしゃるのです」
「えっ!? ど、どんなことを?」
「さて、そこまで申しますと、私がベルンハルド様よりお叱りを受けますので」
「まあっ! ここまでじらしておいてお預けなんて、イアンは意地悪ね!」
そう言って日傘の柄の部分でツンツンと肘を突くと、「はしたないですよ」と苦笑された。
「まあ、それについてはいずれアーシェ様も気づかれるはずですから、そのときの楽しみとして取っておかれるとよろしいでしょう」
「なんだかはぐらかされた気分だわ」
「気のせいでしょう……ああ、そうだ。今日、ご両親にいくつか花を贈られるとのことですが、気に入ったものは見つかりましたか?」
間違いなくはぐらかされたけれど、イアンの言う通りなので頭を切り替えることにする。
ベルンハルド様の屋敷にはたくさんの花が植えられている、と家族に伝えると、とりわけ母様が興味を持たれた。母様も花が好きだし、私がせっせと世話をしているアンネリエの植木鉢にも関心を抱いている様子だ。
そんな母様が「ベルンハルド様のお屋敷の花、見てみたいわ」と言い、それをベルンハルド様に伝えると、「いくつか、切って持って帰ればいい」と許可をくださった。今ベルンハルド様が取りに行っている籠も、そのためのものだ。
イアンの案内のもとで一通り庭は見て回ったので、そのときに見つけた花をいくつか思い浮かべる。
「そうね……母は黄色や赤が好きだから、そういった色合いのものをいくつかいただきたいわ」
「赤や黄色ですね、かしこまりました。……アーシェ様も美しいオレンジブラウンの御髪をお持ちなので、ご母堂にも暖色が似合うのかもしれませんね」
「ええ、そうなのよ。この髪の色は母譲りだから、私たちは親子でよく、赤系統のドレスを着ているの」
ちなみに弟のリオンも髪の色は私や母様と同じで、父様だけ茶色だ。そういうことで、レヴィンス男爵家は皆、寒色系があまり似合わない色合いをしている。
私もいつか、濃い青色のドレスとかをぱりっと着こなしてみたいんだけどね……。
もう一度庭を歩いてみる。日傘をイアンに持ってもらった私は、ちょうどいい感じの可愛い赤色の花を見つけてその場にしゃがんだ。
「あ、これ可愛い!」
「小型ダリアの一種ですね。初夏から秋頃まで咲くので、こちらは切り花ではなく植木鉢に移す方がよろしいでしょう」
「そうなのね。……あ、それじゃあこっちの黄色いのは? 小さくて、星みたい」
「そちらはアンネリエとよく似た、リネリア北部産の野花です。茎を切って水に差しておくと、それなりに保ちますよ」
イアンの説明に私は頷き、彼が持っている籠の中に手を突っ込んだ。
「それじゃあ剪定鋏を借りるわね。これで切って――」
「……あっ、アーシェ様。この鋏は、ロックの部分がバネになっていて――」
「えっ――?」
イアンが慌てたように言うけれど――遅かった。
私はただでさえ剪定鋏の使い方に慣れていないし、内部に頑丈なバネが入っている鋏なんて使ったこともなかったので、ロックの外し方を間違えてしまった。
本来なら片手で鋏のグリップを持ってもう片方の手でロックを外すべきなのに、うっかり私の親指が引っかかってロックが外れ、パン、と音を立てて右手から鋏が飛び出した。
「きゃっ!?」
「アー――」
「アーシェ!?」
イアンの声をかき消すように響いたのは、かつてないほど焦ったベルンハルド様の声。
鋏が飛び出したことに驚いた私はバランスを崩し、そのまま地面に尻餅をついてしまう。
そしてほぼ同時に、ぴりっとした微かな痛みが右手の平に走った。
「痛っ――」
「アーシェ! 大丈夫か!」
地面に座り込んだ私のもとに、ベルンハルド様が駆けつけてきたようだ。
でも私は、痛みの走った右手を庇うように左手で押さえるので精いっぱいで――しかも、ダラダラと赤い血が流れてくるものだから、ぎょっとしてしまった。
鋏の刃の部分が手の平を掠めた、とは思っていた。でも私の予想以上にざっくり切られていたようで、今になってやっとびりびりとした痺れるような痛みが伝わってくる。
「アーシェ様、血が……!」
「お嬢様!?」
イアンとヒルダの声が聞こえる中、私の正面にしゃがんだベルンハルド様は私の右手首を掴んでさっと自分の方に捻り――その長い傷口から血が流れ出ているのを見て、チッと舌打ちした。
「くそっ……イアン! すぐに救急道具を持ってこい! 消毒用の薬草汁も忘れんな!」
「はっ!」
「それから、ヒルダ。悪ぃがキッチンに行って、綺麗な水を汲んできてくれ。道具の場所とかは、メイドに聞きゃあいい!」
「かしこまりました!」
イアンとヒルダは指示を受けて、すぐに飛んでいった。
そうしてベルンハルド様は自分のシャツの胸ポケットに差していたハンカチを引き抜くと、私の右手を包み込むようにくるんだ。
「……ベルンハルド様。ハンカチが、汚れて……」
「そんなこと、気にすんな。それより、こっから移動するぞ」
「は、はい――ひゃあっ!?」
ベルンハルド様に腕を引っ張られたから、彼に支えられて立ち上がろう――と思いきや、そのまま彼は私の背中と膝の裏に腕を回し、一息のうちにひょいっと持ち上げてしまった。
えっ……足を怪我したとかならともかく、手の怪我で、抱えられちゃうの?
しかもこれって、ロマンス小説出てきた「お姫様抱っこ」というやつじゃないの……?
大混乱中の私だけど、大きく体が揺れたから思わず反射でベルンハルド様の首の後ろに腕を回そうとする。でも、右手を動かした途端にびりっと傷口が痛んで、呻いてしまった。
「い、た……」
「そのままの格好でいい。……庭だと治療もしにきぃんだ。なるべく丁寧に運ぶから、じっとしといてくれ」
「……は、い」
ベルンハルド様に優しく言われ、私は目を瞑って彼の腕に身を預けた。
その後、すぐにヒルダとイアンが必要なものを持ってきてくれたし、事情を聞いた他の使用人たちも駆けつけてきて、私の手の平の治療をしてくれた。
幸いメイドの中に簡単な医療の心得のある人がいたようで、十分もすれば私の右手の傷口には軟膏が塗られ、清潔な包帯でぎゅっと巻いてもらえた。
ただし傷口を押さえたことで左手も血まみれになったし、滴った血がドレスにも付いてしまった。普通の汚れならともかく血液の染みは簡単には落ちないので、このドレスはもう破棄した方がいいと言われた。
イアンはずっと平謝りで、青い顔をしていた。でも勝手に籠の中に手を突っ込んで鋏のロックを外したのは私の方だから、彼がそこまで謝るものではない。怪我をしたのも手の平だけだから、すぐに治るはずだし。
それでもどうしても、と言われたので、血で汚れてしまったドレスの代金だけ彼の給料から払ってもらって後のことは雇い主であるベルンハルド様に任せる、ということで決着が付いた。
すぐに実家からの迎えが来たので、私はヒルダに連れられて馬車に乗った。
手の傷の治療から男爵家への連絡まで、お互いばたばたしていた。
だから私は馬車に乗り込む段階になっても、ベルンハルド様とゆっくり話をすることはできなかった。




