22話 もし、そうだとしても
エストホルム伯爵家本邸でけちょんけちょんにやられてからの、聖堂へのお参り。
「充実した一日だったわ……」
「前半はちょっと色々あったようですけどね」
自宅に戻って、メイドがお湯を沸かしてくれていたお風呂にすっぽりと浸かる。
風呂上がりにヒルダがタオルで髪を乾かしてくれる間、私はテーブルに頬杖をついてアンネリエの植木鉢を眺めていた。
ここ二ヶ月ほどで、アンネリエはすっかり成長した。この品種はこれから暖かくなる季節だからますます元気に育って、秋くらいには種を落として枯れる。
前にベルンハルド様のお屋敷で読ませてもらった植物図鑑によると、収穫した種は冬の終わりに植えると、春先に芽吹くらしい。うまくお世話をすれば、これから先ずっとアンネリエの花を咲かせられるはずだ。
薄ピンク色の花びらをツンツン突きながら話をしていて、ふと背後のヒルダが静かになったことに気づく。
「……ヒルダ、どうしたの? 髪、傷んでいるところがあった?」
「お嬢様の御髪は、いつでもお綺麗です。そうではなくて……少し、気になることがございまして」
神妙な様子でヒルダが切り出したから、私は今の姿勢のまま、背筋だけ伸ばした。
「気になることって……?」
まさか、御者台でイアンに抱き寄せられたこと? とからかえるような雰囲気ではないので先を促すと、私の髪をぎゅっと絞って新しいタオルを取り出しつつ、ヒルダは言った。
「……お嬢様とベルンハルド様がエストホルム伯爵邸にいらっしゃる間、私はイアンさんと一緒に馬車で待っていたのですが……旦那様からの預かりものがあったので、一瞬だけ屋敷の勝手口の辺りにお邪魔したのです」
そういえば、今回はリオンではなくてヒルダが父様からの手紙を預かっているって言っていたな。私たちが伯爵と面会をしている間に、伯爵邸の執事に託したんだったっけ。
「無事に渡せたの?」
「はい、それに関しては問題ありません。……ただ、伯爵邸の執事を待っている最中、若い男性二人の声が聞こえまして」
若い男性二人……って言われて簡単に相手が予想できてしまうのが、悲しい。
「それってもしや、ベルンハルド様のお兄様二人だったり?」
「ベルンハルド様のことを呼び捨てにしていたので、きっとそうです。……その二人、柱の陰に私がいることにも気づかずに、まあ色々言っていたのです。お嬢様も、お二人に絡まれたのですよね?」
「そう、そうなの! ベルンハルド様のことを『可愛い弟』って言いながら、馬鹿にするような目で見てきて……本当に失礼な人たちだった!」
「……ええ。実は私が伺ったのも、ベルンハルド様に関する……まあ、悪口みたいなものでして」
「……」
「二人はベルンハルド様のことを、こう言っていました。媚びを売った下働きを母親に持つ、ド田舎者、と」
……。
……ん? それってなんか、変じゃない?
「下働き……? え、それってつまり、ベルンハルド様は伯爵夫人の実子ではないってこと?」
髪拭き最中なので振り向けずに私が問うと、ヒルダが頷く気配がした。
「おそらく、そういうことかと。まあ、それはいいとしましても……もう一つ、引っかかるところがあるのです」
「……ド田舎者、のこと?」
まるでここにいないベルンハルド様の悪口を言っているようで正直気は乗らないながらに言うと、ヒルダは「そうです」と真面目な口調で答えた。
「……ベルンハルド様は病弱ゆえ、十二歳まで伯爵領で暮らしていた、とのことですが――兄君の立場から考えて、自分の領地で静養していた弟のことを普通、『ド田舎者』と言うでしょうか」
「……ヒルダ、やめなさい」
自分でも驚くほど、冷たくて低い声が出た。
私の髪を拭くヒルダの手がぴくっと震え、その手元からタオルが滑り落ちる。
「あなたがベルンハルド様について疑問を抱いていることは、分かったわ。でも、今はそれ以上のことを、聞きたくない」
「お嬢様……」
「……ごめんなさい、ヒルダ。私も、あなたの言葉を聞いて色々思うことはある。でも……もしベルンハルド様が過去に何かあったとしても、出生に秘密があったとしても、それを私たちが憶測のみで喋っていいことではないと思うの」
ベルンハルド様は、亡き伯爵夫人の子ではないかもしれない。
ベルンハルド様があそこまで疎まれているのは、愛人の子であること以上に、もっと複雑な理由があるのかもしれない。
……でも、どれも「かもしれない」にすぎない話だ。
ヒルダの言葉を疑うつもりはない。
でも、ヒルダだってあのいけ好かない兄二人から聞いただけだから、それが真実だという確証もない。
「……教えてくれたことには、感謝するわ。あなたも、これを言おうか言うまいか、悩んだのでしょう」
「……。……申し訳ありません、お嬢様」
「私こそ、厳しい物言いをしてしまってごめんなさい。……立ち聞きをしてしまったヒルダだって、気が気でなかったでしょう?」
振り返って問うと、いつもの快活な笑みを消していたヒルダは唇を引き結んで頷き、さっき取り落としたタオルを拾って脇のテーブルに置いた。
「……お嬢様のおっしゃる通りです。私、焦って、余計なことを申しました」
「だから、必ずしも余計なことじゃないのよ。ただ……もしベルンハルド様に事情がおありなら、できればご本人の口からそれを聞きたいの」
なぜ、ベルンハルド様が兄たちから笑い者にされているのか。
なぜ、伯爵はベルンハルド様に対してあれほどまで手厳しいのか。
なぜ――ベルンハルド様は、あまり喋らないのか。
それらの真実は、あの兄たちの口ではなく、ベルンハルド様本人から聞きたかった。




