21話 男爵令嬢は妬いてしまう
城下町に、聖堂は複数ある。
どれも女神様たちを奉っているということは共通しているけれど、聖堂によって奉っている女神様が違ったり、複数の女神様の像があったりと、それぞれ個性がある。
ちなみにリネリアで主に信仰されているのは光、地、水、花の女神様だから彼女らを奉っている聖堂が圧倒的に多いけれど、他の女神様を信仰する聖堂も存在する。
基本的に女神様たちは仲よしでそれぞれの領域に踏み込まないことになっているらしいから、一人の女神様だけを一途に信仰してもいいし、そのときそのときでお祈りする女神様を変えてもいいことになっている。
今回ベルンハルド様が選んだのは、花の女神様だけを奉っている聖堂だった。
私はここには来たことがないけれど、ベルンハルド様はよく訪れているらしく、聖堂入り口の門番から「こんにちは、ベルンハルド・エストホルム様」と人なつっこく挨拶されていた。
「……ベルンハルド様って、信心深いのですか?」
静かな聖堂内を歩きながら尋ねると、私と並んで歩いていたベルンハルド様は肩をすくめた。
「……まあ、普通だ」
「でも、門番に顔を覚えられていましたよね?」
「……花は好きだし、ここは屋敷に近いから、よく来るためだ」
「あ、それもそうですね」
確かに、この聖堂は私の実家からはちょっと距離があるけれど、ベルンハルド様の屋敷からだと徒歩十分程度で到着する。散歩のついでにちょっと参拝、というのもできそうだ。
聖堂は小規模だし花の女神様しか奉っていないからか、それほど参拝客は多くない。
でも人口密度の高い中ではゆっくりお参りもできないからこれくらいで十分だし、さすが花の女神様を信仰している場所だけあって、聖堂のあちこちに花が飾られていたり壁や柱にも花の文様が描かれていたりと、聖堂内を見て回るだけでも楽しい。
「ここ、とっても綺麗で素敵な場所ですね。もっと早く知っておけばよかったです」
「……もし、そうしていたら……もっと早く、おまえと、知り合えていたかも、しれないな」
「ああ、確かにそうですね。そうだったらもしかすると、お互い名前も知らずに顔見知りになっていて、婚約打診のときのお茶会の席で、『あなただったのですか!』って展開になっていたかもしれませんね!」
いつぞや読んだことのあるロマンス小説に、そんなエピソードがあったはずだ。
私が声を弾ませると、ベルンハルド様も微笑んだ。
開放された廊下から差し込む午後の日差しを横顔に浴びて、ただでさえ整っているお顔がますます神々しく見える。それはここが、聖堂という場所だからだろうか。
「……それはそれで、おもしろそうだな」
「ですよね! ……あっ、あっちが礼拝室でしょうか?」
「そうだ。……この時間なら、人が、少ない。行こう」
さすが常連のベルンハルド様は、礼拝室内が混む時間も把握済みみたいだ。
彼に手を引かれて向かった礼拝室は、私が普段家族で祭典に参加するときに訪れる聖堂のそれよりもかなり狭かった。
部屋の奥に据えられた花の女神像は、若い女性を模していた。
膝下丈のワンピース姿で、左手に花籠を抱えていて、右手に持っているのは――鋏?
「あの女神様がお持ちのものって、園芸鋏ですか?」
「そうだ。……花の女神は、花を切って、冠を作ったりする。だから、聖堂によっては、鋏を持たせた像や絵を飾っている」
「なるほど……」
可愛らしい雰囲気の女神像に鋏ってのは一見不似合いに感じられるけれど、ベルンハルド様の説明で納得がいった。確かに、花を冠とかに加工するなら手で茎を千切るより、丁寧に鋏で切った方がよさそうだよね。
ちょうど先客が一組出て行ったところなので、私たちは揃って礼拝室に入った。
燭台の明かりが揺れる中、花の女神様は無邪気な微笑みを浮かべて私たちを見下ろしている。今まで私が見たことのある花の女神像の中でも、これはかなり幼い部類に入りそうだ。
女神様に捧げるための花は、ここに来る道中にヒルダが買ってくれていた。それを女神様の足下に置いて礼拝用の椅子に座り、祈りを捧げる。
祈りの文句をそらんじながら考えるのは、ベルンハルド様の胸に咲くスミレの花のこと。
私にしか見えない、ベルンハルド様の感情を表す幻の花。
女神様が気まぐれを起こしてくれたおかげで、私は無口な婚約者の気持ちを知り、彼に歩み寄るきっかけを掴むことができた。
きっと、婚約者とうまくやっていけるかと悩む私を哀れんで、女神様が祝福を施してくれたんだ。
……この祝福が永遠に続くとは限らない。
でも、せめて、ベルンハルド様としっかり心をつなぎあわせられるようになるまでは。
花が見えなくなっても問題ないくらいの関係を築けるようになるまでは、女神様の気まぐれに頼っていたかった。
聖堂を出た頃には、白っぽい壁が夕日を浴びて淡いオレンジ色に染まっていた。
馬車で待たせていたヒルダとイアンのもとに戻り、馬車が動きだす。ここからベルンハルド様の屋敷までは近いけれど、私たちを家まで送ってくれることになっていた。
「今日は色々あったけれど、最後に一緒に聖堂に行けてよかったです」
私が言うと、隣の――今回は最初から、隣にお座りになっていた――ベルンハルド様はゆっくり頷いた。
「……俺も、よかった。提案、ありがとう」
「どういたしまして。……それにしても、ベルンハルド様は結構長い時間、祈りを捧げてらっしゃいましたね」
私たちは並んで椅子に座ってお祈りをしたのだけど、私個人としてはかなり長めに祈りを捧げたつもりだったのに、目を開けるとベルンハルド様はまだ熱心に祈っていた。
指摘を受けたベルンハルド様は、腕を組んで考え込んだ。
「……まあ、そうだな。あの聖堂の、花の女神。俺は結構、好きなんだ」
「……へぇ」
……いけないと思いつつも、つい素っ気ない感じの相槌を打ってしまって後悔する。
だって、前を見つめて女神様のことを語るベルンハルド様が……なんだか、きらきらして見えたから。
女神様のことを「好き」と言っていて……おもしろくない、と思ってしまったから。
私の気のない返事を聞いたからか、ベルンハルド様ははっとしたように振り向いた。彼の胸元のスミレが、不安そうに揺れている。
「……アーシェ嬢。何か……俺の発言が、気に、障ったか?」
「えっ? あ、いえ、そんなことは……」
自分でも失言だとは思ったけれど、思った以上に愛想のない返事になっていたようだ。
誤魔化そうとするけれど、ベルンハルド様はじっと私を見てくる。
彼が不安になっているのが、表情だけでなくだんだん萎びていくスミレの花からもはっきり見て取れて――
「あ、あの……みっともないことなんです」
「何がだ?」
「……その。ベルンハルド様が、女神様のことを好きって言うから……し、嫉妬しちゃって」
……口に出して、自分でもはっきり分かった。
これは、嫉妬だ。
しかも相手は人外の女神様で――私にとっては恩がありまくるお方だというのに。
女神様を実際に見たことのある人間はいないのだから、女神様の姿は想像に任せることしかできない。
その結果、神々しくて人間離れした美貌を持つ石像や絵ばかりができあがるのは、当然のことだ。
……そんな女神像に嫉妬するなんて、情けないやらしょうもないやら。
白状しておきながら落ち込んでしまった私の肩に、そっと大きな手が載った。
「……嫉妬、したのか」
「……あの、すみません。自分でも何を言ってるんだ、って思っています」
「そんなこと、ない。……確かに、女神様は綺麗だ。でも……俺が、異性として意識、しているのは……おまえだけだ」
はっと顔を上げると、微笑みを浮かべたベルンハルド様と視線がぶつかる。
女神様に嫉妬するなんて情けないことを口にした私なのに、ベルンハルド様の眼差しは優しい。
「……本当ですか?」
「本当、だ。……花の女神、に関する好きと、おまえに、寄せる好きは、全然違う」
「う……」
「……まだ、不安か? これから、聖堂、行かない方が、いいか?」
「まさか! ……あの、私、大丈夫です。ベルンハルド様にそう言っていただけたので……情けないけれど、安心できました」
「……そうか」
ベルンハルド様が大きな息をつき、私の肩をそっと抱き寄せた。
その力に抗うことなく、私は彼の肩に身を預ける。
私の顔のすぐ横では、すっかり元気になったスミレの花が、瑞々しい花びらを誇らしげに開かせていた。




