19話 嫌すぎる人たち
ベルンハルド様との婚約の話が持ち上がったのが、春。
そこから初めての顔合わせをして、何度か一緒にお茶を飲んだりデートをしたりした。基本的に暇な私と違ってベルンハルド様は騎士団での仕事があるけれど、お忙しそうなときでも手紙はまめにやり取りしてくださった。
そうして婚約してから二ヶ月も経つと、うちの屋敷を担当する郵便係も私とベルンハルド様のだいたいの関係が分かったようで、私がそわそわしながらベルンハルド様への手紙を託すと、「お幸せそうですね」とからかってきたりした。
上級学校時代の友人にも、婚約したことを伝えている。
同級生の友人の中で結婚している人は少ないけれど、皆そろそろ婚約相手を見つけつつある頃なので、伯爵家の三男と婚約したことを告げると祝福されたり、羨ましいと言われたり、アーシェにあやかって自分も婚活を頑張る、と言われたりした。
でも、リネリア王国では婚約から結婚までの間に、もう一つ大きなイベントがある。
それが婚約宣誓式だ。
書類の提出による婚約から婚約宣誓式までの二人の関係は、「かなりの確率で将来結婚する」というものだ。
もし婚約宣誓式までの間に何か――浮気とか両家の不仲とか実家の没落とか性格の不一致の判明とか――が起きたら、婚約解消となる。
婚約宣誓式までの間に関係解消となるのは、確率としては十組中一組程度。
しょっちゅう婚約解消が起こるわけではないけれど、もし解消となっても「ああ、あなたたちはそうなったんだね」と周りから思われるくらいだ。
この婚約宣誓式を無事行えたら、いよいよ結婚の準備を始める。ここまで来るとよほどのことがない限り結婚するし……それくらいになると、実質結婚しているも同然の生活環境になったりする。
お堅い家でも、お互いの家に泊まったり二人きりでどこかに遊びに行ったりということも、わりと大目に見られるようになるそうだ。
結婚式の時点で既に子どもができていることもあるけれど、婚約宣誓式から結婚式までの間に懐妊したのだったら、「仲がよかったんだね」で終わらせられることが多い。
それよりも早かったら、「『万が一』が起きたらどうするつもりだ」と叱られることもあるそうだけど。
……まあ、つい最近やっと「好き」と伝えあうようになった段階の私たちには、まだまだ無関係の話だけどね!
この前ベルンハルド様のお屋敷でお茶を飲んだとき、隣に座って肩を寄せあっただけでお互い真っ赤になってしまった私たちには、遠すぎる未来の話だけどね!
そうして、そろそろ夏物の衣類を出した方がいいかな、と思われるようになった頃。
私は、婚約宣誓式の準備を始めようということで、再びエストホルム伯爵邸に呼び出されたのだった。
今日もエストホルム伯爵家本邸は、物々しい雰囲気だ。
「……私、このお屋敷が……正直ちょっと苦手です」
「……大丈夫。俺もだ」
立派すぎて威圧感ばりばりの玄関扉の前で私がぽつっと言うと、隣に立つベルンハルド様も同意してくれた。
今日の私たちは、せっかくだから何かお揃いを着ようと事前に打ち合わせをしていた。
そうして私の衣装担当のヒルダとベルンハルド様の担当のイアンが協力して――ヒルダはもうそれだけで幸せそうだった――今日の衣装を決めた。
私の春物ドレスは若葉色、ベルンハルド様のジャケットとスラックスはグレーで、色も材質も違う。
その代わり、私の髪をまとめる髪飾りやベルンハルド様のネクタイを留めるピンを初めとした小物の色を、紫色で統一していた。
紫なら、赤っぽい髪に茶色の目の私と、金髪に青色の目のベルンハルド様、両方の色合いとうまく馴染んでくれる。
それに、紫はベルンハルド様の好きなスミレと同じ色だ。それを指摘すると、ベルンハルド様は柔らかく微笑んで「……そうだな」と言ってくれた。
せっかくだから、私の胸元のブローチはスミレをあしらったものにした。
スミレは本来は野花だけど、淡い紫色に染めた薄いガラスを丁寧に貼り合わせた細工品は見事で、ベルンハルド様が注文してくださったそれを初めて見たときは、その精巧な造りに思わずため息をこぼしてしまった。
ベルンハルド様はご存じでないけれど、彼の左胸にも私のブローチと負けず劣らず立派なスミレの花が咲いている。
相変わらず私にしか見えないけれど……こういうところも密かなお揃いになれて、すごく嬉しい。
――そう、以前本邸に挨拶に伺ったとき、ベルンハルド様のスミレは今にも枯れ落ちようとしていた。それは彼の気持ちを――不仲な父親と対面するということでふさぎ込んでいた思いを如実に表していた。
でも今の花は、いつもよりは花の数が少なめで小振りだけれど、凛として咲いている。
私がベルンハルド様の差し出した手を取って一緒に歩きだすと、花は瑞々しさを増した。
……うん、大丈夫。
ベルンハルド様と足並みを揃えて玄関ホールに入ると、そこにはずらっと伯爵家の使用人たちが控えていた。
……そういえば、前回はこういう出迎えもなかった気がする。
「お帰りなさいませ、ベルンハルド様」
「ようこそいらっしゃいました、アーシェ様」
使用人たちが綺麗にお辞儀をして、声を揃えて挨拶をする。
……ベルンハルド様の手がぴくっと震えて、私の手を強く握り込んだ。多分、こうやって出迎えられたことも……ほとんどないんだろう。
大丈夫、大丈夫ですよ、ベルンハルド様。
手を握り返して、私は真っ直ぐ前を向いて歩きだした。
使用人たちが道を空けて、伯爵の待つ応接間に向かう――その途中で、二人の男性が私たちの行く手を阻んできた。
二人とも、貴族の子息らしい立派な私服を着ている。年齢は、ベルンハルド様より少し上くらいかな。
わざわざ自己紹介されずとも、初対面ながらこの二人の正体は簡単に予想できた。
「ああ、来たのか、ベルンハルド」
「随分野暮ったい女同伴だと思ったら……それがおまえの婚約者か」
「てっきり、新しいメイド候補でも連れてきたのかと思ったよ」
「まあ、メイドにしても地味だと思うがな」
男たちはそう言うと、顔を見せあってくすくす笑い始めた。
間違いなく、彼らがベルンハルド様の二人のお兄様だろうけど……髪の色や髪型は似ていても、顔は全然似ていない。
伯爵夫人はもう亡くなっているそうだけど、多分兄二人が母親似で、ベルンハルド様だけが伯爵似なんだろうね。
顔が似ていないのは別にしても……なんだ、この態度。
伯爵の高圧的でぞんざいな態度も気に入らなかったけれど、この二人も二人だ。男が、女が、と言うつもりはないけれど、なんだかなよなよしているし。
騎士団に所属するベルンハルド様はたくましい体付きをなさっているけれど、兄二人はかなり痩せている。いくら何でももうちょっと筋肉を付けた方が健康にもよさそうだし、身長もそれほど高くないようで、ベルンハルド様が二人を見下ろす形になっていた。
初っぱなから失礼なことをかましてくる二人だけど、これでもベルンハルド様の実兄だ。
私は一旦ベルンハルド様の手を離し、ドレスの裾を摘んでお辞儀をした。
「お初にお目に掛かります。私、レヴィンス男爵家のアーシェと申します」
「ああ、うん、知っているとも。成り上がり末端貴族の、レヴィンスだろう?」
「父上が目に留めてくださらなければ、この屋敷に足を踏み入れることもなかっただろうね」
「それにあまりにも地味な顔をしているから、社交界でも壁の雑そ――失礼、壁の花になってしまっただろうね」
「よかったではないか、父上に拾い上げられて。我らが可愛い弟にも、感謝したまえよ」
今この人、私のことを雑草扱いしたな。
まあ、それはいいとしても。
……ベルンハルド様のことを「可愛い弟」なんて呼ぶくせに、その眼差しからは一切の愛情が感じられない。むしろ、私の隣で黙っているベルンハルド様を馬鹿にするように見ている。
……ベルンハルド様がご実家のことを敬遠される気持ち、分かるわ。
というか、こんな父親や兄たちに囲まれて生活するなんて、嫌に決まっている。
ベルンハルド様の腕が、ぴくりと震えた。
その胸元のスミレがしおしおと枯れそうになっていることに気づき、私はとっさに彼の腕にしがみついた。
「ベルンハルド様、素敵なお兄様たちですね。……ああ、でもそろそろ、伯爵様に会いに行かなければなりませんね」
「……。……そうだな」
「おお、そうか。そういえばそろそろ、婚約宣誓式についての打ち合わせを始めるのだったか」
「式には我々も参加するからな。二人とも、それまでにはエストホルム伯爵家の名に恥じない振る舞いができるようになってくれよ」
……うわぁ、予想はしていたけれど、この人たちも式に参加するのか……嫌すぎる。
でもそんな気持ちは欠片も見せず、私は余裕たっぷりに見せた笑みを浮かべて、ベルンハルド様の袖を引っ張った。彼は兄たちに一礼すると、私を伴ってその横を通り抜ける。
――通り過ぎ様、低い声で「……恥さらしが」と囁かれたのが、聞こえた。
どっちの兄が呟いたのかは分からないけれど……間違いなく、ベルンハルド様に向けられた暴言。
思わず反応してしまいそうになったけれど、ベルンハルド様に横目で見られてぐっと文句の言葉を呑み込んだ。
……危なかった。
いくら相手がひどい暴言を吐いたとしても、この屋敷で問題を起こすわけにはいかない。
たとえ相手が、明らかにベルンハルド様を嫌っている様子のご実兄だったとしても。
「……アーシェ嬢、すまない」
兄たちから完全に遠ざかってから、ベルンハルド様が呟く。
その声には隠しようのない怒りが込められていたから、私は筋肉で硬くなったベルンハルド様の腕にそっと手の平を滑らせた。
「私は大丈夫です。……さあ、伯爵様に会いに行きましょう」
「……ああ」
応接間のドアの前に立ち、二人で深呼吸。
そうしてメイドの手によってドアが開かれ、私はエストホルム伯爵と二度目の面会に挑むことになった。




