16話 男爵令嬢は感謝される
「これは失礼しました、お嬢様。……騎士団の者との面会希望ですか?」
「はい。婚約者のベルンハルド・エストホルム様とお会いしたくて」
私が言うと、彼はなぜかすごく驚いたように私を見て、気まずそうにもじもじする見習いたちをじろっと見た後、私に向かって微笑みかけた。
「……ああ、そういうことですか。あなたがベルンハルドの言っていた、アーシェ・レヴィンス様ですね」
「えっ? ご存じでしたか?」
「ええ、僕は彼の友人……のような間柄でして。あなたのことは常々お伺いしておりました。ベルンハルドは休憩中なので、ご案内しますね」
そうして彼は見習いたちをしっしと追い払い、蜘蛛の子を散らすように逃げていった彼らをじとっと睨んでから、申し訳なさそうな顔で私を見た。
「……すみません、アーシェ様。あの馬鹿共、何か失礼なことを言っていませんでしたか?」
「……い、いえ。たいしたことでは」
「……」
「……その、ベルンハルド様のことについて……少し」
じっと見つめられたので白状すると、彼は「やはりそうですか」と肩を落とした。
「口も態度も悪いやつらで、本当に申し訳ありません。後でボコボコに叩きのめしますので。……まあ、それはいいとして。アーシェ様は、ベルンハルドの試合を見に来られたのですよね?」
「はい。地上戦で三位に輝いてらっしゃったので、お祝いの言葉と差し入れをと思いまして」
差し入れの焼き菓子を持つヒルダの方を手で示すと、彼はにっこりと微笑んだ。
「きっと、あいつも喜びます。……ああ、申し遅れました。僕はカンプラード子爵家のルーカスと申します」
「ルーカス・カンプラード様ですね。改めまして、私はアーシェ・レヴィンスです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。それでは、ご案内しますね」
ルーカス様は柔らかく笑って、「こっちです」と私たちを廊下の奥へ招いてくださった。
カンプラード子爵家……あまり名前は聞かないけれど、子爵家と男爵家ではそれなりに差がある。ベルンハルド様のご友人らしいし、失礼のないようにしないと。
ルーカス様に付いていくと、最初は色気のない廊下がうねうねと続くだけだったけれど、やがていくつものドアが並ぶ場所にたどり着いた。
ルーカス様は「ベルンハルドの控え室は……こっちだったかな」と呟いて、一つのドアをノックした。
「ベルンハルド、ルーカスだ。おまえの可愛い婚約者さんを連れてきたぞ」
ルーカス様はおどけたように言ってドアをノックすると、私を振り返り見てウインクしてきた。
私もぎこちなく微笑みを返した、その直後――
「ぶべうっ!?」
「……アーシェ嬢!」
いきなり内側から勢いよくドアが開いて、横っ面をドアでぶん殴られたルーカス様が悲鳴を上げた。
でもドアを開けた張本人――鎧を脱いで質素なシャツとズボン姿になったベルンハルド様はそちらには目もくれず、私をじっと見つめていた。
試合の後で水を被ったのか肩にタオルを掛けていて、金色の髪は少し濡れていてぺたんとしている。
いつもお茶やデートのときにはぱりっとしているベルンハルド様の着崩した格好はなんだか新鮮で、思わずじっと見つめてしまった。
するとベルンハルド様は目線を逸らし、近くのテーブルに置いていたらしい上着を掴んでざっと羽織った。ああ、シャツから覗く鎖骨周り、すごく色っぽくてつい見惚れてしまったのに……。
「……来てくれたのか」
「はい、さっきの試合、見ましたよ。あ、これ差し入れです」
「……すまない」
ヒルダが差し出したバスケットを受け取り、ベルンハルド様はぎこちない所作でそれをそっとテーブルに置いた。さっき上着を雑に掴んだときとは全く違う、まるで壊れ物を扱うかのような丁寧な手つきだった。
ルーカス様はドアで殴られた顔をさすっていたけれど、へらっと笑った。
「それじゃあ僕は退散するよ。ベルンハルド、婚約者さんとごゆっくり」
「……ああ。ドア、当たったのだな。すまなかったな」
「ありがとうございました、ルーカス様」
「どういたしまして。……ああ、そうだ」
立ち去りかけたルーカス様は振り返って、私に向かってちょいちょいと手招きしてきた。こっちに来い、ということだろう。
誘いに乗ってもいいのだろうかとちらっとベルンハルド様の方を伺うと、彼は少々むっとしつつも頷いたので、その場にベルンハルド様とヒルダを残してルーカス様のところに向かった。
「いかがなさいましたか?」
「……ベルンハルドのことですけど」
それまでの柔らかな笑顔を引っ込めて小さな声で囁かれ、私は反射的にびくっと体を揺らしてしまった。
でもルーカス様はくすっと笑うと、「そんなに警戒しなくていいですよ」と言う。
「アーシェ様と婚約して、あいつ、すごく生き生きとしているんです」
「……そうなのですか?」
「はい。……僕はこれでもあいつのこと、気にしているんです。無口だし、気難しいところがあるし、社交的な性格でもないし。でもそれらもあいつの個性だし……こんなことをたかが同期の僕が言うのもおかしいかもしれないけれど、そんなあいつをまるっと受け入れるあなたに、感謝しているのです」
「か、感謝ですか?」
「ええ。あいつの実家は結構厄介で鬱陶しい連中も多いから、僕も心配していました。でも、あなたのような人がいるなら大丈夫でしょうね」
ルーカス様はそう言うと、ぱちっとウインクを飛ばした。
「僕は、お二人のことを応援しています。もし何かお困りのこととかがあれば力になりますから、遠慮なく相談してくださいね」
「ルーカス様……ありがとうございます」
ほっと息を吐き出し、私はお礼を言った。
わざわざ移動して何を言われるのかと警戒してしまったけれど、確かにこれはベルンハルド様の前では言いにくいことだろう。
ご実家とは仲がよくない様子のベルンハルド様だし失礼なことを言う騎士見習いもいるみたいだけど、彼にも心強い味方がいるのだと分かっただけでも、大収穫だ。
これから騎乗戦の様子を見に行くというルーカス様を見送り、私は休憩室前に戻る。
……そして戻るなり、そわそわとした様子のベルンハルド様に迎えられた。
彼に椅子を勧められたので、部屋の隅にあった小さな丸椅子に腰を下ろした。
ベルンハルド様も正面に座ったけれど……どこか落ち着かない様子だし、胸元のスミレも不安を表すようにふるふる震えている。
「……その、アーシェ嬢」
「はい」
「先ほど……ルーカスに……」
ベルンハルド様はそこまで言うと、口を閉ざしてしまった。
いつもなら隣にいるイアンが代弁してくれるけれど、今のこの部屋にいるのは私とベルンハルド様とヒル――あれ、いない。廊下で待っているのかも。
言葉を探すように俯いてしまった、ベルンハルド様。
……イアンがいない今、私がしっかりとお気持ちを汲み取らないとね!
「ルーカス様でしたら、ちょっとした世間話をしただけですよ」
「ちょっとした……?」
「ええ。もう少し具体的に申しますと……ベルンハルド様を間に挟んでこれからもよろしく、というお話をしました」
私が説明すると、しばし黙っていたベルンハルド様が、やがて戸惑いの表情で私を見てきた。
「……俺を、挟んで?」
「ええ。ルーカス様はベルンハルド様と親しくなさっているようなので、これからも頼りにさせていただくことになりそうですからね」
「……そう、だな」
「お二人はご友人の間柄ですか? 見たところ、歳も近そうですが」
「……まあ、そう、だ。歳も、同じだ」
「まあ、そうなのですね。やはり、気の置けない仲の人がいるというのはいいことですね」
「……そうだな。……頼りに、している」
おっ、ベルンハルド様からルーカス様への、好意的な意見を聞けた。
これなら、今後ベルンハルド様絡みで何か疑問に思うことがあっても、遠慮なくルーカス様に相談できそうだ。
父様に、カンプラード子爵家についてお話をしておこうかな。




