10話 女神様の祝福
この世には何十人もの女神様がいて、信仰心の厚い人はまめに聖堂で祈りを捧げているようだ。
女神様たちは基本的に気分屋だけど、欲張りな人や図々しい人はおしなべて嫌いらしく、祝福がほしいから、という理由で聖堂に通う人に祝福を施すことはまずないらしい。
敬虔な信者で、心が清らかで、でも何か悩みを抱えている人。
そんないじらしい人間を見るとつい、手を貸したくなってしまうという。
女神様も万能ではないし、人々に祝福を与えすぎるとこの世界のバランスが崩れてしまう。だから女神様たちの気まぐれも、「ちょっと幸せになれる」くらいのものが多い。
少しきっかけを与えてあげるから、後は自分次第なので頑張れ、というスタンスだと、私も上級学校の神学の授業で習った覚えがある。
……だがしかし、私は我ながら信仰心は薄い自覚がある。
一応祝日には両親に連れられてお祈りに行くし、祈りの文句をそらんじることもできる。物欲もない方だし、「困ったときの神頼み」をしたこともない。
でも、私より真面目な信者はごまんといるはずだし、私は――ベルンハルド様との関係に戸惑っていたとはいえ、祝福をもらうほど困窮しているわけでもない。
色々な疑問を抱えながら、私はヒルダを伴って王都の図書館に向かった。王城にある国立図書館ならもっとたくさんの資料があるだろうけど、私はお城で働く官僚でも侍女でもないから、そちらを使うことはできない。
とはいえ、女神様の祝福に関する資料なら、町の図書館でも最低限揃っているはず。
特に今回ヒルダが推薦してくれたこの図書館は王都の大聖堂の脇に建っていることもあり、他よりも女神様に関する資料が多く揃っているはず、とのことだ。下調べもしっかりしてくれたヒルダには、感謝しかない。
図書館は広々としていて、蔵書数もかなりのものだ。片っ端から調べていると日が暮れてしまうから、私は司書に「女神様の祝福について調べたいのです」と説明して、いくつか本を見繕ってもらった。
……ここで「気まぐれ祝福を受けたかもしれません」と言ったらもっと話は早いだろうけど、今は大事になるのは避けた方がいいだろう、とヒルダと打ち合わせしていた。
「お嬢様、ひとまずこれだけ出してもらいました」
「ありがとう」
お喋りや自習も可能な読書席で待っていた私のもとに、本を抱えたヒルダがやってきた。
彼女が司書から受け取ったのは、比較的新しそうな研究書籍や論文のまとめ、そして女神様の祝福についてイラスト付きで説明されている辞典などだった。
「女神様関連の本は禁帯出なので、借りられないと言われました。今日のうちに調べられるだけ調べましょう」
「ええ。……何か、見つかればいいんだけどね」
ヒルダと相談しながら、私は本を手に取った。
まず……可能性として一番あり得そうなのは、花の女神様だ。ヒルダもそう思ったのか、司書に選んでもらった資料はリネリア王国で信仰されている四女神の中でも花の女神に特化したものが多かっだ。
花の女神様の像などは、私も聖堂で見たことがある。といっても、女神様の姿を見たことのある人はいないから想像にすぎないため、像の製作者の趣味によって微妙にデザインが異なる。
それでも花の女神様は基本的に、華やかで愛らしい小柄な女性として表現されている。
たいてい髪は長くて、ふわふわしている。私が見たことのある像や姿絵では、頭に花冠を載せていたり、腕に花束や花籠を抱えていたりしている。
そんな花の女神様は人々に、花に関する祝福を与える。論文や資料によると――指先から花を咲かせたり、触れた花を元気にさせたり、といった実例があるそうだ。
「……あっ、お嬢様、これ」
別の資料を読んでいたヒルダが、小声で私を呼んだ。
彼女が開いている資料を覗き込むと――そこには今から五十年ほど前に花の女神様から祝福を受け、「人々の感情を示す花が見えるようになった」女性の事例について書かれていた。
彼女は地方領主の娘として生まれた。信心深くて慎ましい女性だったけれど、跡継ぎだった兄が急な事故で死亡して、思いがけず領主になってしまった。彼女はそれほど才覚に溢れているわけでもなかったし、女性である彼女を軽んじる領民も少なくなかった。
どうすればよい領主になれるだろうか、と悩んでいた彼女はある日、領民たちの頭の上に咲く花を見られるようになる。
どうやらそれは彼女にしか見えないようで、相手が怒っているときは花が黄色く、落ち込んでいるときは黒く、喜んでいるときには赤色に見えたという。
これはきっと、思い悩む自分に女神様が与えてくれた「きっかけ」だ、と思った彼女は、花が示す感情の色を頼りに領民たちと積極的に関わりあい、その気持ちを汲み取ろうと尽力した。
その結果、彼女は次第に領民たちから受け入れられるようになり、名君――とまではいかずとも、善良で愛情深い領主となったという。
「これ、近いかも……?」
「ですね。……でもここ、見てください」
女性は女神様の気まぐれのおかげで領主として認められるようになったけれど、ある日から例の感情の花が見えなくなったそうだ。
最初は戸惑った彼女も、もうその頃になると花を見なくても領民たちとうまく渡りあえるようになっていたため、特に気にしなかった。
彼女はその後息子に領主の座を譲って、女神様に感謝しながら老後は静かに暮らしたそうだけど、それ以降花が見えることは二度となかったという。
「……それじゃあ、女神様の気まぐれは一生続くわけじゃないってことかな?」
「そうみたいですね。……他の事例でも、ある程度時間が経ったら自然と祝福の効果がなくなったものが見られます」
「そうね……もうちょっと調べて、まとめてみようか」
「はい」
――そうして、閉館時間まで粘ってヒルダと一緒に資料を読み込んだ。
「相手の胸元に花が付いているように見える」というのは女神様たちの特性からして、花の女神様の力であると断言してよさそうだ。
私に与えられた祝福と全く同じものは、調べても出てこなかったけれど――あの花は、ベルンハルド様の気持ちを表現しているのではないか、と私たちは仮説を立てた。
最初は、小さな蕾だった。でもそれはだんだん花を開かせ、ベルンハルド様の感情が動いたときにはそよそよと動いたり、蕾をぽんっと増やしたりした。
「ベルンハルド様の胸に見えるという花はとりわけ、お嬢様に関する感情を表しているのではないでしょうか」
帰りの馬車の中でヒルダが言ったので、なるほど……と唸ってしまう。
「最初は緊張していたから、蕾は硬く閉じていた。それがだんだん開いていったし、私がデートのことを口にしたときには、蕾が増えた――」
「イアンさんも、あのときのベルンハルド様は照れてらっしゃるのだと教えてくださいましたね。だからきっと、ベルンハルド様がお嬢様に寄せる感情が豊かになったことを、花が教えてくれたのですよ」
「なるほど……」
……もしかすると女神様は、ベルンハルド様との今後について不安な気持ちを抱えている私のために、祝福を与えてくださったのかもしれない。
ベルンハルド様は無口で、何を考えているのか、今どんな感情を抱かれているのかが分からない。
だいたいのことはイアンが察してくれるし彼が代弁してくれることもあるけれど、いつも彼が側にいられるとは限らない。
でもあの花が、ベルンハルド様の代わりに彼の気持ちを私に教えてくれるのならば。
嬉しいときにはスミレの花も大きく開くし――最初のときのように緊張していたら、花が閉じて蕾になってしまう。
そして、心が大きく動かされたら蕾が増える――
「……女神様の祝福、すごい……」
「お嬢様は礼拝も最低限しかなさらないので、これを機に女神様への信仰心を改めるべきかもしれませんねー」
「本当にそうね。……あ、でも、この祝福も長くは続かないかもしれないんだよね?」
図書館で書き込みをしたノートを鞄から取り出して、自分のメモを指で辿る。
花の女神様に限らず、王国内で発見された色々な祝福について調べたのだけど……女神様は本当に気まぐれで、いつその祝福を解除するかも分からないそうだ。
例の女性領主の場合、内政がある程度軌道に乗って祝福を必要としなくなる頃に、自然と花が見えなくなったとあった。
でもそれだけじゃなくて、珍しい祝福を手に入れたことを周りに吹聴した途端に祝福の効果がなくなってしまった、という事例もあるようだ。
なるほど、女神様の祝福を受けても申告しない人がいるというのには、こういう事例が絡んでいそうだ。
「……私が自力でベルンハルド様と心を通わせられるようになるまで祝福が続けばありがたいけれど、もしかすると別の何かの拍子に効果が終わってしまうこともあり得るのよね……?」
「そうですね……過去の事例では、他人に相談したり、相手に伝えたりした途端に効果が切れてしまったこともあるようです」
「……だったら、ヒルダに相談したこの時点でもう、祝福の効果がなくなってしまっているってことも……」
「可能性としては十分あり得ますね……」
ヒルダと顔を見合わせて、私たちは同時にため息を吐き出した。
もし、今の時点で祝福の効果が失われてしまっているのなら……せっかく女神様が与えてくださった機会が台無しになってしまう。
もちろん、それについてヒルダを責めるつもりは一切ないし、見えなくなったら見えなくなったで、後は自力で頑張るだけだ。
……それでも、花を頼りにできなくなるのは心細かった。
「……今でもちゃんと見えるか、気になってきた」
「そうですね……あ、でしたらちょろっとだけベルンハルド様のお屋敷に寄りません? 胸に花があるかどうかを確認するだけなら、長居する必要はありませんし」
「事前の約束もなしに突撃して、迷惑がられないかしら……」
「大丈夫でしょう。いきなり重大な案件を持って行くとかならともかく、『顔を見たくなったから』という理由ならたいてい許されますし……きっとベルンハルド様も、喜ばれますよ」
ヒルダに笑顔で言われて――私は、想像した。
私がひょっこり屋敷にお邪魔して、ベルンハルド様にお会いする。
ベルンハルド様はいつも通りむっつり顔で言葉も少ないけれど、胸のスミレは嬉しそうに満開になっていて――
も、もしそうなったら……すごく、嬉しい。
これから先も花も見えるという安心があるのはもちろんだけど、もし花が綺麗に咲いて――ベルンハルド様が喜んでいる、ということが分かったら、天にも舞い上がってしまうだろう。
「……うん。それじゃあ……行ってみようかな」
「そうしましょう。きっと大丈夫ですよ!」
ヒルダは優しく言うと、御者に行き先の変更を告げた。




