11話 男爵令嬢は訪問する
時刻は夕方で、日勤の労働者ならそろそろ家路に就く時間帯だ。
ベルンハルド様は普段、騎士団でお仕事をなさっている。
騎士の仕事がどういうものなのか私は詳しく知らないけれど、大きな行事や遠征業務などがない日勤であればたいてい、官吏などと同じく朝に出勤して夕方に退勤するものだとは聞いていた。
「もしかしたら、まだ帰宅なさっていないかも……」
「それなら残念ですけれど、訪問したということだけ伝えましょうね」
そんな打ち合わせをしてから、ヒルダが先に馬車を降りて屋敷のドアをノックする。
馬車を停めているこの位置からはよく見えないけれど――ドアが開いて、多分イアンが出てきたんだろう。ヒルダの横顔が少しだけ嬉しそうだ。
ヒルダはすぐに戻ってきて、「いらっしゃるようです」と教えてくれた。
「しかも、ちょうどよかったようですよ。どうやらベルンハルド様も、お嬢様に用事があったようで、お手紙を書こうかと考えてらっしゃっていたそうなのです」
「あら、そうなの。それじゃあついでにその話もできるのね」
「はい! さあ、参りましょう」
ヒルダに手を取られ、御者には少しだけ待つように頼み、私はベルンハルド様の屋敷に入った。
応接間では既に、騎士団服姿のベルンハルド様が待ってらっしゃった。
濃い青色の軍服を着るベルンハルド様……すごく格好いい。
しゅっとしたデザインの騎士団服を着こなすベルンハルド様は私を見上げ、そして少しだけ眉根を寄せたようだ。
「……アーシェ嬢?」
「……えっ、あ、す、すみません。あの、お邪魔します、ベルンハルド様」
「……どうぞ」
いけないいけない。
軍服姿の金髪の貴公子に見惚れて、一瞬思考が停止してしまっていた。
ベルンハルド様に勧められてソファに向かい――彼の左胸にスミレの花があることを確認できた。よかった、まだ女神様の気まぐれは続いているみたい。
ヒルダがちらっと横目で見てきたので、「見えるよ」という報告を頷くことで伝える。
そうして改めて見たけれど、スミレの花、二つに増えているな。この前蕾だったものも、開花したみたいだ。
「いきなり訪問してしまい、ご迷惑をお掛けします。お仕事帰りでお疲れの中、お時間を取っていただきありがとうございます」
「……構わない。……おまえこそ、忙しく、ないのか?」
ベルンハルド様は、相変わらずむっつりしている。
……ヒルダと打ち出した仮定では、あのスミレの花はベルンハルド様の気持ちを表しているのでは、ということだったけど……。
「図書館に調べものに行った帰りだったのです。帰り道でふと、あなたのことを考えて、どうしてもお顔を見たくなったのです」
「……そうか」
相槌は非常に短いし、ベルンハルド様の鉄壁の顔もほとんど動かない。
でも――私は、見た。
スミレの花がふわふわと楽しそうに揺れて、淡い紫色の花びらがいっそう艶やかに輝いたところを。
思わずどきっとしてしまった私をよそに、ベルンハルド様は首を捻ってイアンを振り返り見た。
「……イアン」
「はい。……実はベルンハルド様からあなたへ――というよりむしろエストホルム伯爵家からレヴィンス男爵家へ、ご相談がありまして」
「相談、ですか?」
「はい。お二人が婚約して、もうじき一ヶ月になります。お二人が順調に関係を深められているか、という確認の意味合いもあり、今度アーシェ様をエストホルム伯爵家本邸にお招きしたく思っております」
イアンの説明に、私は背筋を伸ばして気持ちを改める。
そうか……確かに、私はまだ一度もエストホルム伯爵邸本邸に行ったことがないし、伯爵にもお会いしたことがない。
これまで伯爵とのやり取りは全て、両親が行ってくれていた。
伯爵は……やっぱり気難しい人で、父様も母様も手紙のやり取りや面会などでかなり緊張している様子だった。
私はいずれ、伯爵家の一員となる。
だから、ベルンハルド様のお父上に会いに行って自己紹介するのは、当然のことだ。
私が体に緊張を走らせたからか、ベルンハルド様が少し心配そうに眉尻を下げた。スミレも、少しだけ萎れているように思われる。
「……緊張するか?」
「……はい。その、伯爵様に認めていただけるかどうか、やはり心配です」
「……」
ベルンハルド様は難しそうな顔になり、肩を落とした。
「……嫌なら、無理は言えない」
「いえ、参ります。……心配ですし緊張しますが、やはり伯爵様に私の方からもご挨拶に伺った上で、結婚の話を進めていきたいので」
結婚の相手は由緒正しい伯爵家のご子息、対する私は成り上がり男爵家の娘。
普通だったら釣り合わない関係だと、分かっている。
伯爵は――父様たちの反応を見る限り、かなり横柄で偉そうな感じの人らしいけれど、だからといって尻込みして全てを両親やベルンハルド様に丸投げするわけにはいかない。
貴族の結婚は両家の問題だけれど、その主役は私とベルンハルド様なのだから。
「私、頑張ります。伯爵様に、ベルンハルド様の婚約者として認めていただけるように――いずれ結婚するときに祝福していただけるようにします」
「……」
「……ベルンハルド様?」
「あの人は……。……いや、何でもない」
ベルンハルド様は何か言いかけたようだけど言葉を切り、やがてゆっくり頷いた。
「……了解した。イアン」
「はい。では、本邸訪問の日程などは追ってお知らせします。おそらく三日以内に日取りをお知らせし、十日以内に訪問することになりますので、男爵夫妻にもよろしくお伝えください」
「分かりました。ではすみませんが、諸々についてよろしくお願いします」
「こちらこそ、了承してくださりありがとうございました」
イアンが笑顔で言うと、ベルンハルド様も「……感謝する」と呟いた。
そのときのベルンハルド様の胸のスミレは、やっぱり最初よりは萎びているように感じられた。




