最終話 -女神の祝福-
ユイシークが剣を振りかぶったのと同時に、ルイシアは後ろに跳躍していた。ルイシアは、普通の令嬢より背が高いためかなり低めのヒールを今夜もはいていたからこそできた芸当だった。しかし、飛び退くのが半歩遅かったようでせっかくきれいに着飾ったドレスが、剣によって引き裂かれ白い肌に傷が開いてしまった。痛みに顔をしかめながらもユイシークから目をそらさない。もったいないとは、思いはするが命に比べれば安いと判断したルイシアは、殿方の目の前で、バサッとスカートを捲った。隠し持っていた少し長めの短刀を瞬時に抜き取ると、ユイシークが攻撃してきたと同時に間合いに入って利き腕を狙い一閃する。
背後で茂みから飛び出す複数の気配を感じた。濁った瞳に、うつろな口元……ユイシークの様子は、まるで騎士の亡霊のようであった。一番守りたいはずの人間を守れなかったことが、彼を今の状態に落としてしまったのだろうか。気をとられたのが命取りだった。先ほどの大ぶりな攻撃と違い、必要最低限の過程でユイシークが切り込んできた攻撃に対応できなかった。もうだめかもしれないと思い、目をつぶりそうになったが、それではかっこが悪いから目を見開いて最後の瞬間くらい見届けてやると奮い立たせる。
次の瞬間、剣同士がぶつかりあう耳障りな音が鳴り、大きくて暖かい存在が、隣にそびえたっていた。ユイシークの剣の腕は、なかなかのものであるとクロムウェルは、感じた。こんなことにならなかったら近衛に推薦していたかもしれない。惜しい人材だと思う太刀筋は、彼のいとしい人を殺すために振るわれる。だから、クロムウェルも容赦しなかった。打ち合っているうちに、ユイシークの動きがあからさまに鈍っているのを感じた。初めは、こっちを油断させるための罠だと思ったのだが、どうやら、敵の額に玉のような汗が浮かびがっていることからただ消耗しているだけのようだ。
「毒を塗っていたな! 貴様、卑怯だ!」
ユイシークは、視線を敵であるクロムウェルから外し、瑠璃の瞳の魔女を恨みがましい目で睨む。かすれた喉から絞り出すように、ルイシアを非難する。ルイシアは、衰弱しているユイシークに冷たい視線とともに短刀を投擲した。
「卑怯で悪かったわね。あたしは騎士じゃないから、正攻法にこだわらないわ。あたしが、盗賊だったこと忘れてるの」
ずぶりという刃物が肉にのめり込む嫌な音がクロムウェルたちの耳に飛び込む。どさりと人が倒れる音がそのあとに続いたが、そのさまを見ていたのはルイシアただ一人しかいない。クロムウェルたちは、ユイシークの命を奪ったルイシアに視線が釘付けだったからである。振り返った彼らが目にしたのは、銀色の髪を風にたなびかせ、返り血と己の血を浴びて赤く染色された破けたドレスを身にまとうルイシアが、静かに共犯者であり敵対者を見据える姿であった。
「アナタの手には、もう人質はいないわ。それに、契約通りあたしはちゃんと後宮に入って、表向きディアナの振りをしたわ。事実無根とはいえ、フロディエンドにとっては殿下の寵姫の実家という噂のおかげでいろいろとやってくれたのでしょう? あたしはもう十分、人質として養ってもらった借りを返せたと思っているのよ。だから、共犯関係はおしまい」
しなやかな足を月光の元惜しげもなくさらし、一歩一歩と前に進むルイシアは、女盗賊というよりどこか神聖な何かを髣髴させる。
「だます相手に惚れたのか? 詐欺師のくせに」
ユイシークは、最後にルイシアを愚かだと言外に嘲笑いながら息絶えた。その様子を見届けると、クロムウェルの前で優雅とは程遠い様子で、話しかける。
「クロムウェル。ディアナではなく、ルイシアとして、あたしは、クロムが欲しいの。ねぇ、ほかにプレゼントなんていらないの。あたしは、あなたが欲しい」
ベール越しではなく、初めて目を合わせた時と同じあの澄んだ目で、クロムウェルを見つめる。ルイシアは、血に染まったドレスすら、魅力的に飾り立てる小道具に変えて、自分こそが魔王と呼ばれた自分と並び立つのにふさわしい女であるという自信を持って、勝気な声音で宣言する。
「クロムウェル、だからね。あたしは、奪うわ。女盗賊ルイシア・フィア・メイルーンが、あなたの心を奪ってみせるわ」
「おまえ……気が付いていなかったのか? とっくの昔に俺の心は、お前―――ルイシアに向かっていたというのにな。俺は、初めにあったときお前が俺を恐れなかったところを評価して、フロディエンドの娘としてではなく、自分の側室としてあるいは、ただの少女としてみていたつもりだ。俺も、欲しいのはルイシア、お前ただ一人だ。今の俺は、お前以外に欲しいものなどない」
「うっ……よくそんなセリフを恥ずかしげもなく堂々と素面で言えるわね。でも、嬉しいわ……とっても」
「……ん、それにだな。その、もうお前に俺の心を盗まれている気がするぞ」
その格好をつけた宣言は、クロムウェルがため息交じりの苦笑とともに至極あっさりと返答することによって、不恰好になってしまった。欲しかった言葉。ほしかった想い。それが、伝えてほしい相手から伝えられた。ルイシアは、幸せだった。
状況を見守っていた、レナードがもうこらえきれないとばかりに突然腹を抱えて笑い出した。続けて、ゴーシュも爆笑し出す。よく見てみると、塔子もくすくすと笑っている。
「あははは、どうやら、お互い一目ぼれに近い状態だったのに今の今まで気が付かなかったようですね。それにしても、ずいぶんと意気のいいこと言ってくれちゃいますね。えぇ、将来宰相となる私としてはあなたに正妃になってもらえるほど面白いことはありません。賛成ですよ! どうぞ、どうぞ不肖の友人の心でいいのなら一つでも二つでも三つでも貰ってやってください」
「そうそう、なんせ魔王様の心は、ずいぶんと前から嬢ちゃんの物だろうしな! 嬢ちゃんが主だったら、この退屈な宮廷が随分と面白おかしくなるだろうしな」
全身に力を入れて発言したルイシアは、二人の様子を見て出鼻を挫かれた上に張りつめていた緊張が解けたため、へたりとドレスが汚れることをかまわず座り込む。塔子が、額を押さえてあぁ~と深いため息を漏らしていたが、この際気が付かなかったふりをすることに決めた。
「へぇ、うそっ。あたし、一人空回りしてたの? やだっ、恥かしいじゃない! 結構必死だったのよ。最悪、この城からトーコと一緒に逃げ出す算段だって立てていたのよ。あぁ~もう、クロムのばかっ」
「シア、化けの皮がはがれていますよ。まったく、本当は、嬉しいくせに素直じゃないのですから」
さっきまでの勇ましさはどこへ行ったのか、年相応の少女らしい反応を見せるルイシアは、愛らしかった。冷たい地面にいつまでも座り込むのは体にもよくないので、クロムウェルはごつごつとした手をさし延ばした。戸惑うようにして、その手を取るルイシアに、いつかと似たような質問を口にする。
「ルイシア、そう呼んでもいいか? ちなみに、お前の愛称はなんだ」
「えぇ。ちなみに、愛称は、シアよ。……その、あたしにもう盗まれていることは、期待していいのかしら?」
立ち上がると同時にどこか芝居がかった様子で、本心を覆い隠しルイシアは、クロムウェルに選択を迫る。ルイシアに何を求められているのか、クロムウェルとて気が付いている。
「ルイシア・フィア・メイルーン、俺はお前が好きだ。これから先、俺の隣にいてほしい。俺の伴侶となって俺が道を外れそうになったら叩きのめしてでも修正してほしい。正妃だけが、唯一国王をただの人としていさめられる時もあるのだ」
「好きよ、クロムウェル」
短くとも確かに伝わる想い。出会ってから今日までの互いの姿が、脳裏に浮かんでは消えていく。まだ少ないアルバムだけど、これからもっと二人の思い出は増えるだろう。同じことを考えていた二人の色違いの二対の目がかち合う。クロムウェルの意志が固いことを確認したルイシアは、これから先、波乱万丈な人生が待っていることを自覚しながら、その誘いを受けた。
「遠慮せずに、叩きのめすわ。だから、あなたは一刻も早くこの国を建てなおして。もうあたしのように盗賊稼業に身を染めなくても生きられる世の中にしてよね。あたしは、そのためにならあなたの隣に立ってあげる」
「まだ、やらなければならないことは、多い。ルイシアとして正妃に迎えるのか。それとも、ディアナとして正妃に迎えるのか。後者の方ならば、きっとたやすいだろう。だが、俺は、ルイシアに正妃になってもらいたい。いばらの道だということは理解している、シアに迷惑をかけることになる。それでも、隣で一緒に戦ってもらえたらうれしい。シアなら、安心して背中を預けられる」
「あたしを見つけてくれて、好きになってくれてありがとう。クロム」
もう誰にも譲歩したりしない。ディアナにも、ほかの側室たちにもクロムを渡してあげない。夜会で舞う華やかな蝶たちに、戦利品であるクロムを分け与えたりしないわと宣言する。この世界に神は、いないと嘆いていたけれど、人はこの形のない奇跡が、降臨祭の女神の正体かもしれないと思った。願いは、叶った。あふれる胸の高鳴りに目をそむけなくていい、言葉を聞いて名前を呼ばれて嬉しいと幸せだと感じてもいいのだと分かったのだ。口の中に手を入れて、不審がる周りに目もくれずに、仕込んでいた毒薬を外す。全部が失敗して、最悪な状況になったら使うつもりだった。でも、もう必要ないものだ。
ずいっとクロムのもとに近づくと自分の唇をクロムの唇に押し付ける。次の瞬間、しびれるような甘い痺れが走る。セカンドキスは、身を焦がすほどの炎が静まり奇妙な充足感を与えた。
「あなたの心が壊れるその時まで、あたしはあなたの心を盗み続けて見せるわ」
満ちた銀の月と無数の星が二人を祝福するように闇世を、照らした。
のちの世で、賢王クロムウェルの背中を任された女盗賊の妃の話は、吟遊詩人たちの調べに乗って「女神の祝福譚」の一つとして、長らく民に愛されることとなるのだが、それはまた、別のお話……。
【END】
短い間でしたがお世話になりました。皆さんのおかげで、無事?完結できました。読者の方々に感謝です。ここまで読んでくださりありがとうございます。本編は完結しましたが、もう少し後になったら後日談などをのせられたらなと考えています。