07 鵯越
塩屋口で戦いが始まり。
生田口でいくさの火蓋が切られ。
最後、福原の真後ろの山の手の夢野口では──。
「ふふ、始まったようだね」
義経とその麾下、三千騎が様子をうかがっていた。
鵯越から熊谷直実、土肥実平ら七千騎と分かれ、義経自身は摂津源氏の多田行綱、甲斐源氏の安田義定を率い、この福原の後背まで迫っていた。
「九郎さま」
物見に出ていた弁慶が戻って来ると、夢野口には、平通盛、平教経の兄弟が出張っていると言上した。
「へえ、能登守教経か」
教経は、敗勢の平家を支えた貴重な将領で、都落ちした平家から離反した、瀬戸内海の諸豪族を平らげたことで知られる。
「……つまりはそれだけの将に、夢野口を守らせている。平家も一筋縄ではいかないね」
言っている割には、それほどつらそうには思えない笑顔の義経は、多田行綱を呼び寄せた。
行綱は何ごとかという顔をしていたが、大したことはないと義経は首を振った。
「何、ここから福原へ抜ける間道は無いかな、と思ってね」
「間道でござるか」
行綱はあごに手をやってひとしきり考えた。このあたりはもう摂津国であり、いわば行綱の縄張りである。
だが慎重を期した。
かつて、鹿ケ谷の陰謀という、平家転覆のたくらみに加わりながらも、それを清盛に密告することによって生き延び、そして今ではしたり顔で源氏の軍に加わっている男である。
行綱は地元の猟師の父子を徴していた。その二人に義経の問いを伝えると、父の方が、少数なら通れる道があると答えた。
「それはどんな道か。ここから遠いか」
義経がみずから聞くと、いわば獣道であり、かつ険峻で、たまに鹿の群れが通るぐらいだと答えた。
また、息子を指差して、
「遠くはありませんが、勾配がきつく、その道を行くのでしたら、息子に案内させましょう」
と申し出た。
義経は佐原義連ら七十騎を選抜すると、間道を行くと多田行綱に告げた。
「じゃ、悪いけど、甲斐源氏と共に、能登守のいるところへ、攻めかかってもらえる?」
「それはようござるが」
行綱は今さら平家とのいくさをためらうつもりはないが、それでも、義経が何を狙っているかが気になるようだった。
「……僕かい? 僕はこれから、平家の肝を取りに行く」
「肝?」
「誰も彼もが嘘をついている。院も、鎌倉の兄上も。みんな、わざわざ三種の神器を取り戻せなんて言って……だけどそれは肝じゃないのさ。でも、たぶん、平家の、あの棟梁だけはわかっている。だから……」
「いや、何をおっしゃっているので?」
「うん、まあ、これから平家の棟梁のところへ行くよ。あとは頼んだ」
「え」
義経は早速に鷲尾義久(さきほどの猟師の息子に名を与えた)に先導させ、間道へ向かった。
あとに残された行綱は、何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
たった七十騎で一体何ができると言うのか。
そう思ったが、今さらどうこう言える立場でもない。
鹿ヶ谷の陰謀以来、源氏から平家へと裏切った裏切者とあざけられつづけた行綱としては、ここで逆らうつもりはない。
つまり、言われたとおり平教経に当たるしかない。
行綱は甲斐源氏の安田義定に義経の言葉を伝え、やはり不得要領な表情を浮かべた義定と共に、教経に攻めかかった。




