2 創世主(作者)のひみつ
翌日の放課後。私の周りの空気は、昨日よりもはっきりと冷え込んでいた。
「ねえ、昨日さ。大地くんと教卓で楽しそうに喋ってたよね?」
靴箱の前で上履きに履き替えていると、後ろからトゲのある声が降ってきた。振り返ると、クラスの女子グループの中心にいる真由たちが、腕を組んでこちらを見下ろしていた。
「え……あ、うん。休んだ時の数学のノートを返してもらっただけだよ?」
私はとっさに口角を上げ、完璧な「害のない笑顔」を作った。心臓が嫌な音を立てて波打つ。
「ふーん。ノート返すだけで、あんなに長々話す必要ある? 大地くん、部活遅れそうになってたし、迷惑だったんじゃないの?」
「ご、ごめんなさい。気をつけるね……」
「別に責めてないけどさー。水野さんって、たまに空気読めないよね」
クスクスという失笑を残して、彼女たちは去っていった。
(やっぱり……)
指先が冷たくなる。小学五年生の時のあの恐怖が、足元から這い上がってくる感覚。男子と話すだけで、ただそれだけで「正解のシナリオ」から脱落させられそうになる。
息を詰まらせながら校門を出て、私はトボトボと通学路を歩いた。この嫌な気持ちをどうにか鎮めたくて、いつもとは違う遠回りのルート——住宅街の小さな公園へ足を向ける。
ところが、その公園のベンチに見覚えのある背中があった。
(えっ……大地くん……?)
体操服のまま、ベンチに突っ伏して頭を抱えている男子。
太陽みたいに明るい人気者の大地直が、まるでこの世の終わりのような絶望オーラを放ちながら、ブツブツと呟いていた。
「ダメだ……繋がらねえ……! ここでヒロインの『ルナ』が強がって一人で魔女の城に乗り込むのはいいとして……その後の勇者アルスのセリフが思い浮かばねえ……!」
私は足を止めた。植え込みの影からそっと覗き込む。
直はガバッと顔を上げると、スマホの画面を鬼の形相で見つめ、爆速で親指を動かし始めた。
「『俺はお前を助けるんじゃない! お前がいない世界なんて、生きている意味がないから行くんだ!』……
いや、重い! 13歳の勇者が言うセリフじゃねえ! でも……でも、この激甘な展開が一番燃えるんだよ畜生……!」
(げ、激甘……!?)
直の独り言の破壊力に、私は呼吸を忘れた。
彼がスマホに向かって指を滑らせるたび、その顔は真っ赤になったり、恍惚の人となったり、苦悶に歪んだりしている。
その時だった。
「あっ」
直の手からすっぽ抜けたスマホが、くるりと放物線を描き、パシッと私の足元へ滑ってきた。画面は上を向いたまま、スリープ機能が落ちずに点灯している。
「うおっ!? やべっ……」
直が慌てて立ち上がった瞬間、私の目は吸い寄せられるように、その画面の文字を追ってしまっていた。
『【タイトル】クリスタル王国の誓い 〜13歳の勇者は、泉の竪琴を抱いて愛を叫ぶ〜』
『【作者】サンシャイン・ノベル』
『「離せ! 我はクリスタル王国の第一魔女! 無礼者め!」
「うるさい! 俺の前に立つな! その醜い顔を鏡で見てからにしな!」
勇者アルスは漆黒の剣を抜くと、捕らわれの姫ルナの元へと疾走した。
「待っていてくれ、ルナ……! 君の涙は、俺の命よりも重いんだから——!」』
「………………」
時間が止まった。
私は画面を見つめたまま固まり、直は固まった私を見つめたまま固まっていた。
風が吹き抜け、公園のブランコがキーッと寂しい音を立てる。
「……ねえ、大地くん」
私はゆっくりとスマホを拾い上げ、震える声で尋ねた。
「これ……『サンシャイン・ノベル』先生って……大地くん……?」
「………………」
「この……『君の涙は俺の命より重い』ってポエムみたいなセリフ……大地くんが考えたの……?」
「見るなーーーーーーーーっっっ!!!!」
静寂を破る、直の悲痛な絶叫が公園に響き渡った。
直は弾丸のようなスピードで飛びかかってくると、私の手からスマホをひったくり、そのままベンチの上に膝から崩れ落ちた。
「終わった……俺の人生、ここで終了だ……」
両手で顔を覆い、本気で絶望している直。その耳は、夕日よりも赤く染まっていた。
「あの、大地くん……?」
「言うな! 頼むから誰も言わないでくれ!!」
直はガバッと顔を上げると、必死の形相で私の手をつかんだ。その手は、部活の練習のせいだけじゃない熱を帯びて震えていた。
「クラスの男子にバレたら俺、死ぬ! マジで死ぬ!
『おい勇者アルス〜! 泉の竪琴弾いてくれよ〜!』って一生いじられ倒して学校に通えなくなる!! 頼む朱梨、命の恩人だと思って誰にも言わないでくれ!!」
いつもクラスの中心で爽やかに笑っている直が、見たこともないなりふり構わぬ姿で拝み倒してくる。
そのギャップがあまりにも凄まじくて、私の胸の中で、ずっと張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。
「ふ……」
「え?」
「ふふっ……あははははは!」
お腹の底から、笑いが込み上げてきた。何年ぶりだろう、こんなに声を出して笑うのは。
「ちょっと! なに笑ってんだよ笑い事じゃねえぞ! こっちは国家機密レベルの危機なんだぞ!?」
「ごめん、ごめんなさい! だって……大地くん、体育系で運動神経抜群なのに……夜な夜なこんなロマンチックで胸キュンなファンタジー書いてるなんて……あはは!」
「うぐっ……! だ、だってしょうがねえだろ! 小説の中なら、自分の思い通りに世界を作れるんだから! 誰にも邪魔されないで、最高のストーリーを自由にコントロールできる快感は……何にも代えられねえんだよ!」
ヤケクソ気味に叫んだ直の言葉に、私の笑いがピタリと止まった。
自分の思い通りに、世界を作る快感。
誰の顔色も伺わずに、自分の世界を自由に紡ぐこと。
(私は……ずっと周りの作った『正解のシナリオ』に怯えて生きているのに)
直の瞳には、恥ずかしさの奥に、自分の創り出した世界への絶対的な情熱とプライドが宿っていた。
「……すごいね」
ぽつりと、本音が溢れた。
「え?」
「すごいと思う。私、自分の言葉一つ発するのも怖くて、周りに合わせてばっかりなのに……大地くんは、自分の世界を持ってて、それを言葉にできるんだね。……恥ずかしいかもしれないけど、すごくカッコいいと思う」
直は目を丸くした。真っ赤だった顔が、今度は別の理由でボッと赤くなっていく。
「……お前、バカにしてないか?」
「してないよ! ホントに!」
直は気まずそうに頭をかくと、そっぽを向いてボソッと呟いた。
「……フン。まあ、お前に言われなくても、このプロットは絶対面白くなるんだけどな」
「ふふ、やっぱり作者様は自信家なんだ」
「うるさい! ……とにかく! これはお前と俺だけの秘密だからな! 絶対に誰にも言うなよ!?」
直はビッと人差し指を突きつけてきた。その目は、まだ少し泳いでいる。
「うん、約束する。誰にも言わない」
私は人差し指を立てて、笑顔で答えた。今度の笑顔は、80点じゃない。胸の奥がすーっと軽くなるような、私だけの「素の笑顔」だった。
「これからは……朱梨だけが、俺のWEB小説の最初の読者(共犯者)な」
夕暮れの公園。
クラスの人気者と、影の薄い私。
誰も知らない秘密の共有から、私たちの新しい関係が動き始めていた。
体育系男子クラスの人気者の大地直の意外な一面でした。
何で大変なのに小説を書くの?という読者もいるかも知れないですが、大地直が小説を書く動機と同じです。
自分の手で好きなように世界を創れるからです。
でも、小説をずっと書いていると、現実世界の理は無視できなくなってくるなあというのもありますね。
いじめに遭ってもずっと学校に行くというのも、現実では難しいのかも知れません。




