第十六章 仲間 再び
彼の作戦表は レシピと同じ形式で書かれていた。
その夜 迎賓館の客間に 五人が集まった。
稔。アルフリート。ガンナル。辺境伯ガナイトが王都に呼び寄せた騎士団の副長エルマン。そしてサヴェル子爵領から駆けつけた商人のベルガ。
ベルガは三十代の早口の男で 元々は子爵領の畜産改善の物資調達を担当していた。稔は彼の早口の計算能力を高く買っていた。ベルガが王都に着いたのは前日の夕方だった。彼は稔の手紙を読んで すぐに馬を飛ばしてきた。
リーゼルもその場にいた。彼女は稔のことを「賢者殿」と呼ぶようになっていた。「ミノルさん」と呼んでいた頃の彼女は もう その場にはいなかった。だが その代わりに 何かが ある気がした。彼女は会議の場で 一言も発さなかったが 部屋の隅で熱心に メモを取っていた。痩せた指で 紙の上に走らせる筆跡は 一年前と同じだった。
稔は地図を広げた。教会本部の見取り図と 地下の図面を 横に並べた。
「我々がやることは三つです」
稔は手帳を開いた。
「一つ目 地下の祭壇の取り出し口を塞ぐ。二つ目 シャドルムを地下から地上に追い出す。三つ目 王太子殿下と辺境伯閣下が シャドルムの罷免を国会に提出する」
「土山殿」と副長エルマンが訊いた。「一つ目の塞ぎは 具体的には何ですか」
「祭壇の地下に 排水溝のような出口があるはずです。それを物理的に封じる」
「封じる物は」
「これです」
稔は革袋を取り出した。中に入っていたのは 灰色の粉だった。
「私の国の工場で使う 工業用の粘結剤に近いものを ガンナル先生と一緒に再現しました。水と混ぜると数分で固まります」
ベルガが革袋の中の粉を一つまみ取って 指で潰した。
「これは 石灰と」
「石灰と 木の樹脂と 川エビの殻の粉です」
「殻の粉」
「殻の中のキトサンと石灰のカルシウムが 樹脂を介して結合します。結果として強い結合材になる。家畜の餌を作るのと 同じ仕組みです」
ベルガは唸った。
「ただ 量が必要です。ベルガさん あなたに 王都の市場から原料を集めてもらいたい」
「いつまでに」
「三日後の夜まで」
「了解しました」
ベルガは立ち上がって すぐに部屋を出ていった。早口の男は 動くときも早かった。
「二つ目の シャドルムを地上に追い出す方法は」エルマンが続けて訊いた。
「これは 王太子殿下の協力が必要です。地下の祭壇で異常が起きたタイミングで シャドルムを王宮の正殿に呼び出していただく」
「呼び出す名目は」
「異邦の賢者の異端審問の続き ということで」
エルマンが眉を上げた。
「あなた自身が囮になると」
「ええ」
リーゼルが顔を上げた。彼女のメモを取る手が一瞬止まった。
「賢者殿」
彼女は初めて発言した。
「囮になるとき 一人で 行かれるおつもりですか」
「一人です」
「私が 同行します」
リーゼルの声には 揺らぎがなかった。
「あなたは」と稔は答えた。「私のことを 覚えていない」
「ええ」
リーゼルは静かに答えた。
「覚えていないけれど あなたが私の村のためにしてくれた仕事は ハクの村の羊が立ち直った事実として 残っています。賢者殿が王宮で何をされてきたかも 祖父からの手紙で読んでいます。私は あなたを覚えていなくても あなたの仕事は覚えています」
稔は答える言葉を 失った。
リーゼルは続けた。
「シャドルムが私から奪った記憶は 私にとっての過去です。でも 私には まだ 現在と 未来があります。それは 奪われていません」
ガンナルが目を伏せた。アルフリートも何も言わなかった。
「同行します」
リーゼルはそう言って メモを取る作業に戻った。
稔はしばらく言葉を返せなかった。
彼の二十年の癖は 答えに困った時に手帳を開くことだった。だが今夜 手帳を開いても リーゼルの言葉に答える式は出てこなかった。リーゼルは過去の側ではなく 現在と未来の側に立つことを 自分で選んだ。それは式で解ける問題ではなかった。
代わりに 稔は何も書かずに 手帳を一度撫でた。
リーゼルの言葉は 配合屋の手帳の最後の余白に 静かに書きつけられた。書きつけたのは リーゼル自身ではなく 稔の方だった。式の代わりに 一行 静かに書いた。
「現在と未来は 奪われない」
それだけだった。
ベルガが部屋を出ていく前に 稔の隣に立った。早口の男は その夜だけ 早口を抑えていた。
「土山さん」
「うん」
「子爵領で 一緒に仕事を始めた頃 私は土山さんのことを 商売人として見ていました」
「ええ」
「配合表を売る相手として 計算が合うかどうかだけ 確かめていました」
「うん」
「今は 違います」
「違う」
「ええ。今は 土山さんが書く配合表の中に 私の知らない種類の数字が 一つ 入っているのを 知っています」
「私の知らない種類の」
「ええ。それが何かは 私には分かりません。だが 入っているのは 分かります」
ベルガは そう言ってから 早口に戻った。
「明後日の夜まで 必要な原料を 全部 集めます。土山さんは 設計に集中してください。物資の調達は 私が責任を持って」
ベルガは そう言って 部屋を出た。
アルフリートが続いた。彼は剣の柄に手を置き 短く一礼した。
「土山殿」
「うん」
「私は 国境の砦で 多くの仲間を失いました」
「ええ」
「失った仲間は 全員 名前を覚えています。剣を抜く時に その名前を一つずつ 心の中で言う癖が あります」
「うん」
「今夜 私が剣を抜く時 土山殿の名前を 仲間の名前の最後に 加えさせていただきます」
「失ってはいませんよ」
「ええ。失っていない。だが もし失う事態になっても 私は土山殿の名前を 忘れない という意味です」
「ありがとう」
アルフリートは うなずいてから 部屋を出た。
稔は手帳を握り直した。
その夜 稔は手帳のページに 作戦の手順を書き出した。
書き方は 配合表と全く同じ形式だった。
原料一覧。各原料の制約条件。最適化の目的関数。シャドープライス分析。
ただ 原料の場所には 仲間の名前が入っていた。アルフリート。エルマン。ベルガ。ガンナル。リーゼル。それぞれが いつ どこで 何を どれだけ動くか。
稔の作戦表は ハクの村の納屋で 最初の配合表を書いた夜と 同じ形式で 書かれていた。




