第十七章 王都地下 サイロと同じ構造
闇の祭壇の図面を見て 稔は二十年勤めた工場の図面を思い出した。
三日後の夜が来た。
ベルガは予定通り 王都の市場と郊外の石灰窯から 必要な量の粘結剤の原料を集めてきた。石灰二十袋。木の樹脂十五壺。川エビの殻の粉六袋。三日間 ほとんど眠らずに動いたベルガは 馬車に物資を積み終えると 革袋いっぱいの白い粉を稔の前に置いた。
「これで足ります」
ベルガは目の下に隈を作っていた。早口は変わらなかったが 声に疲労が混じっていた。
「すまない」
稔は革袋を受け取った。
「眠ってくれ」
「いえ 私は地下に同行します。粘結剤の比率を 現場で調整する必要があります」
稔はうなずいた。
ベルガは早口の男だった。だが彼の早口の中には 配合屋と同じ種類の正確さがあった。一年前 サヴェル子爵領の畜産改善の現場で 彼は稔の計算を最初に理解した一人だった。
夜半 一行は教会本部の裏手にある古い排水溝の入口から地下へ降りた。
排水溝は石組みの細い通路だった。天井の高さは大人一人がかろうじて立てる程度で 両側の壁から鉄錆の臭いが滲み出していた。先頭をアルフリートが歩いた。彼は片手に灯火 もう一方の手に剣を握っていた。次に稔。ベルガ。エルマン。最後尾にリーゼル。ガンナルは地上で 王太子殿下との連絡を担当していた。
通路の脇に細い水路が走っていた。水路の中を黒い水がゆっくり流れていた。普通の地下水ではなく 影の魔法の還流に使われた廃液だった。アルフリートが灯火を近づけると 水面に何の反射もなかった。光を吸う水だった。稔は手帳の白紙のページに 水路の幅と流速を記録した。後で配合屋の式で 還流口にかかる圧力の計算をする時に必要になる数字だった。
排水溝の道は 図面通りに進んだ。
途中 二度ほど 通路が交差した。一つ目の交差点で アルフリートは右の道を選んだ。図面ではそちらが祭壇に近いはずだった。二つ目の交差点で 微かに 詠唱の声が聞こえた。
「左の通路の方角に 詠唱者がいます」とアルフリートが小声で言った。「教会の見張りでしょう」
「迂回できますか」
「できる。だが 時間がかかる」
「迂回しよう」
稔は迷わず答えた。配合屋の判断だった。一つの目標に最短距離で行く方法は 必ずしも最善ではない。経路に伴う代償を計算に入れた最短経路が 最も合理的だった。
一行は左の通路を避けて 右に大きく回った。三十分歩くと 通路の先に 木の扉が現れた。古い扉だった。鍵はかかっていなかった。アルフリートがゆっくり開けた。
扉の向こうは 想像していたよりもずっと広い空間だった。
天井が高かった。地上から十間ほど下にあるはずだが 天井までの高さも十間以上あった。空間そのものは円形で 中央に円形の祭壇が置かれていた。祭壇の周りに 細い柱が二十四本 円を描いて立っていた。柱はそれぞれ 上に向かって細くなっていた。柱の頂上は天井に届き 天井から祭壇に向かって 細い溝が放射状に走っていた。
稔は息を呑んだ。
「これは サイロだ」
稔は小声で 同行の四人に言った。
「祭壇の真下に 取り出し口があるはずだ」
四人は祭壇に近づいた。祭壇の周辺の床に 大理石でできた円形の蓋があった。蓋の表面に 銀の文字で何かが書かれていた。リーゼルが文字を読み上げた。
「影の還流口」
「これだ」
稔はそう言って 革袋を取り出した。ベルガが粘結剤の比率を確認し 水と混ぜる準備を始めた。
その時 祭壇の方から 低い 唸るような音が響いた。
四人は動きを止めた。
祭壇の上に 黒い人影が立っていた。
シャドルムだった。
「賢者殿。やはり 来ましたな」
シャドルムの声は穏やかだった。
「あなたが地下に降りてくることは 予想していた。ただ 私はあなたを止めに来たのではない」
「では 何を」
「私を見送りに来たのですよ」
シャドルムは祭壇から数歩 降りてきた。彼の周りの空気が 普通の人間のいる場所とは違って 影が濃く 沈んでいた。
「賢者殿。あなたが計算した通り 私の代償の余力は あと数ヶ月もない。この祭壇は 私の代償を民の祈りに変換してきた 十二年の装置だ。あなたはこれを塞ぎに来た」
「ええ」
「塞いでも構わない」
シャドルムは少し笑った。
「私はもう 別の手段を用意した」
シャドルムの右手が動いた。
リーゼルの肩が 一瞬 揺れた。
「あなたが ここで私を倒しても 私の代償は 他の人間に転嫁される。聖獣使いから始まって 教会の従僕 王宮の侍女 王太子殿下の側近 順番に」
「リーゼル」
稔はリーゼルに振り向いた。リーゼルは自分の左の手のひらを開いていた。紋章の黒が ふいに 銀の輝きに変わり始めていた。
「賢者殿」とリーゼルが静かに言った。「これは 計算通りですか」
稔は手帳のページをめくった。
確かに計算してあった。シャドルムが地下に出てきた場合の対応も 三通り想定していた。
「計算通りだ」
稔は答えた。
「ベルガ。粘結剤を 還流口に入れる作業を始めてくれ。アルフリート エルマン 私の前に立ってくれ。リーゼル 私の隣に」
四人が同時に動いた。
シャドルムが祭壇から完全に降り 稔の方へ歩いてきた。
「賢者殿。私は今夜 あなたから 一つだけ 受け取りたい物がある」
「何ですか」
「あなたの手帳だ」
シャドルムは右手を伸ばした。
「あなたの二十年分の計算を 教会の聖典として保管したい」
「お渡しできません」
「では 力ずくでも頂く」
シャドルムが右手の指先を 軽く動かした。
その瞬間 祭壇を取り囲む二十四本の細い柱が ふいに 白い光を放った。光は柱から天井に向かって 放射状に走り 天井で交差して 祭壇の中央に集まった。
集まった光が 黒い槍の形になって 稔に向かって伸びてきた。
アルフリートが剣を抜いて 槍を払おうとした。
槍は剣に当たる前に 形を変えた。
光の槍は 二十四本の細い線に分かれ アルフリートと稔とリーゼルを 同時に絡め取ろうとした。
リーゼルが小さく息を吸った。彼女の左の手のひらが 銀色に強く光った。
光の線は リーゼルの手のひらの銀色に弾かれて 祭壇の方向へ逆流した。
逆流した光が シャドルムの足元の祭壇の蓋を 一気に破壊した。
蓋は 内側から砕けた。
その下に 真っ黒な穴が広がった。
穴の底から 冷たい風が吹き上がってきた。




