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第9話

「ごちそうさまでした!」


空になったお鍋や銀色の食器たちを重ねて持ち、なっちゃんと二人で大きな洗い場へと向かって歩く。

足元の土を踏みしめるたび、カチャカチャと金属がぶつかる軽い音が鳴った。


「カレー、ほんと美味しかったね! あとなんか、ここの水美味しくない!?」

隣を歩くなっちゃんを覗き込んで話しかけるけれど、彼の反応はひどく薄い。

「……ん」

視線も合わせず、ただ短く喉を鳴らしただけった。


……薬が効いたとは言っていたけれど、行きの激しい車酔いで、すっかり体力を消耗してしまったのかもしれない。


到着した大きな洗い場は、すでに他のクラスの生徒たちでごった返していた。

冷たい水が勢いよく蛇口から流れる音と、賑やかな話し声が響き渡っている。


見渡してみると、空いている水道はポツポツと離れた場所に一つずつしかないようだった。

「あ、じゃあ私、あっちで洗ってくるね!」

なっちゃんは重いお皿や焦げ付きのある大きなお鍋を担いでくれていたので、軽いお玉やスプーンしか持っていない私が、少し離れた隅のスペースに向かうことにした。


山の地下水を引いているのか、蛇口から出る水は指先がキンと痛くなるほど冷たい。

スポンジでカレーやご飯の汚れを落としていく。

家では洗い物を担当していて慣れているのもあり、あっという間に自分の分を洗い終えた。


冷たい水滴をハンカチで拭いながら、綺麗になった食器を持ってなっちゃんの近くへと戻る。

すると、なっちゃんの隣の水道に、見覚えのある女の子が立っているのが見えた。

小学校から一緒の、別クラスの子だ。

なっちゃんは手を動かしながらも、その子の方に顔を向け、にこやかに言葉を交わしている。


楽しそうに笑い合う二人の間に、私が入っていく隙はなさそうだった。


少し離れた後ろで待ってみたものの、会話が途切れる気配はない。


(……邪魔しちゃ悪いよね)

私はくるりと背を向け、一人で先に班のスペースへと戻ることにした。



洗ったスプーンをカゴに並べたりして片付けをしていると。


「……おい。なんで先に戻ってんの」

背後から、不機嫌そうな低い声が降ってきた。


肩をピクッと跳ねさせて振り返ると、大きなお鍋を抱えたなっちゃんが、眉間に皺を寄せて立っていた。


「ごめん! なっちゃん、友達と話してたからさ。……あ、なっちゃんのほうが洗う量多かったよね? 手伝わなくてごめん」

自分ばかり面倒な洗い物を押し付けられたと怒っているのかも、と思い、私は慌てて両手を合わせて謝る。

けれど、なっちゃんはさらに顔をしかめた。

「……いや、そうじゃなくて」

何か言いかけた口を途中で噤み、「……まあいいや」と小さくため息をつく。


(……あ、またため息つかれた)


そして、私から視線を逸らし、無造作に洗い終わった鍋やお皿を並べていった。

そのまま無言で、男子たちが集まっている方へと歩き去っていく。


遠ざかる広い背中を、私は黙って見届けるしかなかった。


……なんかなっちゃんって、私以外の女の子にはいつも優しくて穏やかだよなあ。

あの綺麗な笑顔は、学校用の『当たり障りないスマイル』だと分かってはいるけれど。

なっちゃんに優しくされるって、どんな感じなんだろう。

ふと、そんな考えが頭をよぎる。


行きのバスで薬と飴をあげた時、なっちゃんは久しぶりに私に向けて、柔らかな笑顔を見せてくれた。

思い返せばあれはきっと、私が久しぶりになっちゃんに何かをしてあげられたというか、役に立てたからかもしれない。

普段の私は、いつもおっちょこちょいで鈍臭い。

なっちゃんはそんな私に嫌気がさして、いつもイライラしてしまうのかもしれない。


そう結論づけると、胸の奥が冷たい水を含んだように重くなり、私は一人でシュンと肩を落とした。



飯盒炊爨の片付けが終わったあとは、広場でレクリエーションのクラス対抗大縄跳びが行われた。


私は吹奏楽部だけれど、昔から身体を動かすことが大好きだ。

冷えてきた空気の中、息を切らしてクラスのみんなと一緒に飛び跳ねるのは、心の底から楽しかった。


非日常の時間を満喫していたら、いつの間にか日はすっかり落ち、頭上には星が瞬き始めている。

みんな夜空を見上げ、感嘆の声をあげている。


広場の中心に組まれた大きな薪に火が灯され、キャンプファイヤーが始まった。


パチパチとはぜる音とともに、赤とオレンジの炎が夜空に向かって高く舞い上がる。

顔の表面には炎の強い熱を感じるのに、背中には山の冷たい空気が張り付いていて、その不思議な温度差が心地よかった。


スピーカーからは、定番の『マイムマイム』がBGMとして流れている。

(うわあ、懐かしい)


たしか、小学校の修学旅行でもこの曲に合わせて踊ったな。

揺らめく炎をぼんやりと見つめながら、私は遠い記憶を引っ張り出していた。



「ごめんめぐ。コンタクトがずれて痛いから、眼鏡に替えてくる」

隣にいた葵が、目を瞬かせながら言った。

「えっ、大丈夫? コテージまでついていこうか?」

「ううん。すぐ戻るから待ってて」

そう言って、葵は小走りで暗闇の向こうのコテージへと向かっていった。


一人になり、喧騒の中で再びぼーっと炎の行方を眺めていると。


「……めぐ」

パチパチという薪の音に混じって、背後から聞き慣れた声がした。


振り向くと、炎の光に照らされたなっちゃんが立っていた。

「……なっちゃん」

食器の片付けの時、不機嫌に別れてしまったから、話しかけてくれたことに少しホッとする。


(……あ。二人きりで喋ってて大丈夫かな?)

ふと心配になり、私はチラッと周囲を見渡す。

けれど、みんなそれぞれ友達と写真を撮ったり、火を囲んで談笑したりと思い思いに過ごしており、こちらを気にして見ている人は誰もいなさそうだった。


「キャンプファイヤー、懐かしいね」

私が炎を見つめながら言うと、彼も同じように火の粉を目で追いながら、「……ああ」とぶっきらぼうに答えた。


横顔を見つめていると、片付けの時のモヤモヤが再び胸の内に込み上げてきた。


少し思い切って、聞いてみる。

「……ねえ。私、いつもなっちゃんをイライラさせてる?」

私の唐突な問いかけに、なっちゃんは怪訝そうにこちらを振り向いた。

「……え?」

「……だってさ。なっちゃん、他の女の子にはいつも笑顔なのに、私には仏頂面が多いっていうか……」


口に出してみると、自分の声色が思った以上に不満気になっていることに気がついて焦る。


なっちゃんが、驚いたようにじっと私の顔を見つめてくる。

その視線に耐えきれず、私は逃げるように再び炎へと目をやった。


パチ、と大きく薪が爆ぜる音が鳴る。


「それは……」

やや長い間のあと、なっちゃんが静かな声で口を開いた。


「……素が出てるだけ。めぐが……特別だから」


「……えっ?」

その言葉の意味が理解できず、私はバッと彼の顔に目を戻した。


なっちゃんは、冗談を言っているような顔ではなかった。

揺れる炎に照らされた真っ直ぐな黒い瞳が、逃げ場のないくらいに私をしっかりと捉えている。


まるで時間が止まったように、その強い視線から目を離せなくなった。

ドキッ、と、心臓が小さく跳ねる。


その瞬間――脳裏に、あの時の光景がフラッシュバックした。


『……俺と付き合って』


小学六年生の冬、マンションの廊下。


いつもと違った真剣な眼差しの彼にそう言われ、そして、翌日あっさりとそれが「ゲーム」の「冗談」だったと知った、あの日の記憶。


(……ダメダメ。引っかからないようにしなきゃ)


無意識のうちに心の警報が鳴り響き、私はそっと彼から目を逸らした。

なっちゃんが言ったのは、『幼馴染だから気を使わずに素を出せる相手』という意味に違いない。

「そ、そうなんだ……よかったあ」

無理に口角を上げて笑ってみせると、なっちゃんは微かに眉を動かしただけで、何も言わず黙り込んでしまった。


「めぐ、お待たせ〜」

タイミングよく、眼鏡姿になった葵が手を振りながら戻ってきた。

「あ! おかえり!」

私が振り向くと、なっちゃんはそのまま何も言わずに背を向け、男子の輪の中へと戻っていった。



その夜。

冷え込んだコテージの中で布団に潜り込んでも、私の頭の中はなぜか冴え渡っていた。


ぎゅっと目を瞑ると、まぶたの裏に、あのオレンジ色に染まったなっちゃんの真剣な瞳が浮かび上がってくる。

何度もそのシーンを思い出しそうになりながら、私は寝返りを打ち続け、深い眠りにつくまでに随分と時間がかかってしまったのだった。

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