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第6話

真新しいネイビーのブレザーに袖を通し、鏡の前で桜色のネクタイと格闘する。

春休みの間に何度か練習してみたものの、どうしても結び目が不格好になってしまい、いまいち綺麗な形にならない。


「おー! 様になってるじゃないか」

珍しく遅い時間の出勤でまだ家にいた父さんが、洗面所を通りかかって声をかけてきた。

見かねたように僕の前に立ち、手慣れた手つきでスルスルとネクタイを結び直してくれる。


うちの学校は小学校からの一貫校ということもあり、高校の入学式といえど親の参加は任意だ。

うちの両親は二人とも仕事で忙しいため出席しない予定だが、僕自身も特になんとも思っていない。


「……これでよし!」と父さんに背中を叩かれ、僕はリュックを背負って玄関を出た。

母は今日も弟の新学期の準備でバタバタ走り回っており、弟の部屋の奥から「いってらっしゃーい!」という声だけ聞こえた。


外に満ちた春の空気を吸い込む。

廊下には、風に乗ってどこからか運ばれてきたであろう桜の花びらが一枚落ちていた。


ふと、一つ上の階へと続く階段にちらりと目をやる。

(……めぐ、もう行っただろうか)

特に声や足音などの気配はない。


今日から彼女が、あの新しいブレザー姿で登校してくるのだと思うと、正直かなり嬉しい。

けれど、あの短すぎるスカートを他の男に見られるのかと思うと、どうか適正な長さに直していてくれという祈るような気持ちもあり、心境はきっぱり半々なのだった。



学校に着くと、真新しい制服を着た大勢の生徒たちが、クラス表が張り出された掲示板の前に群がっていた。

めぐみと同じクラスになれるかどうかは、正直なところ期待していない。

小学一年から中学三年までずっと同じ学校に通っていたのに、僕たちが同じクラスになれたのは、小学一年と六年の時、たった二度だけだった。

毎年クラス替えのたびに期待してはがっかりすることを繰り返すうちに、もう端から期待などしなくなっていたのだ。


校門で会った仲のいい友達何人かと一緒に、掲示板へと向かう。

中学までは一学年六クラスだったが、外部生が入ってくる高校からは八クラスに増える。

僕の苗字は『朝井あさい』だから、だいたいこういうあいうえお順の記載では一番最初の方にあってすぐに見つかる。


「俺、三組!」

隣で友達が声を上げた。

それに続いて、僕もざっと視線を滑らせる。

「あ、俺は五組だわ」

そう呟いたと同時に、僕は自分の目を疑った。


五組の欄の、一番上。

『朝井 夏樹』という僕の名前の、すぐ真下に。


『井原 めぐみ』

――たしかに、そう書かれている。


信じられなくて、三度見くらいして、何度もまばたきをして目を凝らした。

けれど、何度見ても文字は変わらない。


同じく僕の名前を見つけた隣の友達も、そのすぐ下にある名前に気がつき、小声で「えっ! お前……一緒じゃん!」とバシッと肩を叩いてきた。

「……おお」

動揺のあまり力なく返すと、友達は「嬉しそ〜」とニヤニヤ笑う。


(……まさか、同じクラスなんて)


奇跡みたいな三度目の幸運に、僕はいまいち現実味が湧かないまま、ふわふわとした足取りで新校舎へと向かった。


五組の教室に入ると、すでにバスケ部で仲の良い葉山はやまの姿を見つけた。

「おー! 朝井!」

僕に気づいてすぐに手を上げた葉山に、「よー」と短く返す。


教室の中をチラッと見渡してみたが、めぐみの姿はまだないようだった。

学年の半分以上は小中からの持ち上がりとはいえ、やはり高校から入ってきた真新しい顔ぶれの面々が混ざっていると、かなり新鮮な環境に映る。


葉山と適当に雑談して時間を潰していたが、もうすぐ担任が教室に到着する予定の時間だ。

僕は黒板に貼り出された最初の席順表を確認し、指定された一番廊下側の、一番前の席についた。

どうやらこの席順もまた、名簿順で割り振られたものらしい。


(……ってことは)


少し落ち着かない気持ちで、開け放たれた廊下を眺めていると。


――あ……来た。

友達と小走りで近づいてくる、めぐみの姿が見えた。

彼女は教室の入り口で僕に気づくと、パアッと顔を明るくした。

いまだに周囲の目を気にしているのか、大げさに手を振ったり、大声で話しかけたりはしてこない。

けれど、そのひまわりのような笑顔が『同じクラスだね!』と語っていて、僕もこっそりと小さく頷きを返した。


ブレザー姿の彼女が、ふわりと春の匂いを連れて僕の横を通り過ぎる。

彼女の苗字は『井原いはら』。

『朝井』である僕の真後ろの席に、腰を下ろした。


背中越しに、めぐみの気配を全身で感じる。

喧騒の中で、彼女が椅子を引く音や、鞄の中身を探している音が、やけに大きく聞こえた。


同じクラスになれたのは、死ぬほど嬉しい。

嬉しいが……この席順は、ものすごく落ち着かない。


(……早く席替えしたいかもしれない)


僕は真っ直ぐ前を向いたまま、誰にも気づかれないように深呼吸をした。


やがて、初老の男性教諭が教室に入ってきた。

新しい担任だ。

出欠確認も兼ねて、全員の軽い自己紹介を済ませると、入学式のために体育館へ移動することになった。


各々廊下に出て歩き出すと、斜め後ろから小走りで近づいてきた葉山が、僕の背中を小突いて囁いた。


「おいっ! お前……幼馴染このクラスにいるじゃん!」

「……うっせ」


ニヤつく葉山を肘で軽く小突き返しながら、僕は内心苦笑いする。

……こいつらの中で、僕は一体どれだけ『めぐみを大好きなキャラ』として定着しているんだろうか。



体育館に着き、クラスごとに指定されたパイプ椅子へと座っていく。

席の並びは、教室の縦列をそのまま横にスライドさせたような形になっていた。


つまり――。

「……なっちゃん!」


僕のすぐ右隣のパイプ椅子にちょこんと腰を下ろしためぐみが、小声でそう囁いた。


「……おー」


肩と肩が何度も触れるくらい近い、横並びの席。

式の間、くるんとした焦茶色の彼女の髪と、桜色のリボンが、ずっと視界の端に映っていた。

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