第5話
卒業式が終わり、緊張感から解放された中庭は、あちこちで歓声とシャッター音が弾けていた。
僕は同じバスケ部の男子たちと、赤茶色のレンガの塀のまわりで適当にだべっていた。
女子たちはグループで集まって、きゃあきゃあと写真撮影を楽しんでいるのが多い。
男子たちの雑談に適当に相槌を打ちながらも、僕の視線は無意識のうちに、友達と笑い合うめぐみの姿をずっと目で追っていた。
「朝井ー! ボタンちょうだーい!」
近づいてきた同じクラスの女子に、明るい声でそう呼びかけられる。
「えっ……」
僕は思わず戸惑い、自分の胸元に視線を落とす。
後輩やクラスの女子に次々とせがまれ、実はもう、僕の学ランには第二ボタンしか残っていなかったのだ。
緊張した面持ちでお願いしてくる子もいれば、目の前の彼女のように、卒業式の一イベントみたいな軽いノリで依頼してくる子もいる。
「えーっと……」
僕が渋っていると、彼女は面白そうに目を細めた。
「なに? 誰かにあげるの?」
図星を突かれたものの、肝心の相手は遠くで呑気に笑っている。
結局、気の利いた言い訳も思いつかず、僕は小さくため息をついた。
「あー、いいよ」
プチッ、と最後のボタンを引きちぎって手のひらに乗せる。
「いえーい! ありがと〜!」
彼女は嬉しそうに手を振って、自分のグループへと走って去っていった。
ついに僕の学ランから、すべてのボタンがなくなってしまった。
前がだらんと開いた学ランを見て、周りにいた男子たちがニヤニヤと意地悪く笑う。
「……あーあ! せっかく『本命』にとっておいたのになあ!」
「向こうは全然気づいてなさそうだぞ? さっさと告れよ!」
「振られるのがこわいんだよな? 『なっちゃん』!」
囃し立てる奴らを、僕は軽く睨みつけた。
「……うっせ。いじんな!」
バスケ部の中でも特に仲のいいこいつらには、僕のこのこじらせきった長年の片思いが完全に把握されている。
視線を元に戻すと、さっきまで友達の輪の中にいためぐみが、何か焦ったような様子で一人で校舎へ入っていくのが見えた。
「……ちょっと便所」
僕は短く言い捨てると、レンガの塀に手をつき、ヒョイッと飛び越えて校舎へ向かって走り出した。
背後から「嘘つけ! 頑張れよー!」という笑い混じりの励ます声が聞こえたけれど、振り返らずに小走りした。
めぐみの背中を追い、静まり返った廊下を抜け、三年生の教室にたどり着く。
そっと中を覗き込むと、めぐみが自分の机の中から卒業証書の入った筒を取り出し、「あったあ」とホッと息を吐いているところだった。
(あいつ……忘れてたのかよ)
相変わらず抜けている彼女に呆れながらも、そんな隙だらけのところにも愛しさを感じてしまう。
声をかけると、めぐみは肩を跳ねさせて驚いた。
僕の学ランのボタンがすべてなくなっていることに気がついたけれど、「モテるんだねえ」と、まるで他人事のように感心して見せた。
……違う。
僕が欲しいリアクションは、そんなのじゃない。
少しでもショックを受けるとか、やきもちを焼くとか。
そういうのが少しでもあれば、僕だって一歩を踏み出せるかもしれないのに――。
けれど、めぐみの顔にはそんな影は微塵もなく。
苛立ちと『やっぱり、僕と彼女の想いは違うのだ』という虚しさで、胸の奥がギュッと苦しくなる。
「……じゃ、行くわ」
ため息をついて立ち去ろうとした。
「……あ! なっちゃん待って! 卒業式でやりたかったこと思い出した!」
そんな僕を呼び止めて、めぐみは無邪気に記念写真を撮ろうと誘ってきた。
自撮りモードのスマホを構える彼女が、画角に入ろうと近づいてくる。
トン、と。
制服越しの小さな肩が、僕の腕に触れた。
自撮りモードで二人で撮るなんて初めてだし、そもそも、こうして並んで一緒に写真を撮ること自体、ものすごく久しぶりだった。
(やばい……)
急激に上がっていく心拍数がバレないように、僕は必死に無愛想な態度を装った。
もちろん、写真で笑顔を作る余裕なんてあるわけがない。
カシャッ。
スマホを奪い取ってシャッターを切り、さっさと歩き出す。
「もー、なっちゃん! もっと笑ってよー」
背後から文句を言いながらも、画面を見て嬉しそうにしている彼女の顔を横目で確認すると。
(……まあ、いっか)
さっきまでのどうしようもない不満は、春の風に吹かれたようにスッと消えてしまっていた。
◇
その日の夜。
自分の部屋のベッドに寝転がっていると、スマホが短く震えた。
めぐみからのメッセージだ。
トーク画面を開くと、昼間教室で撮った写真が送られてきていた。
『撮ってくれてありがと! 高校でも仲良くしてね』
「『仲良く』、ねえ……」
僕はスマホの画面を見つめながら、一人でぼやいた。
こいつの言う『仲良く』は、小学生の時に一緒にお絵描きしたり、公園で泥遊びしたりしていたレベルと全く同じ意味合いな気がするんだよなあ……。
そうため息をつきながらも。
「……可愛い」
写真の中で満面の笑みを浮かべる幼馴染の姿を、僕は春休みの間、暇さえあれば何度も何度も見返してしまうのだった。




