第49話
季節は巡り――僕たちは二年生になった。
アスファルトの隅には、散り終わった桜の花びらがわずかに吹き寄せられている。
僕は、およそ一年ぶりとなる懐かしい軽音部の部室にお邪魔していた。
「はい! じゃあ今年もこの五人で、よろしくー!」
バンドマスターである嶋の元気な声が、狭い部室に響き渡る。
嶋たち男子三人のバンドにはまだ専属のボーカルはおらず、普段は部内の別のバンドで歌っている女子に助っ人を頼むことが多いらしい。
だが、その子も自分のバンドの演奏で忙しいこと、そして何より、去年の文化祭での僕たち五人の演奏が好評だったこともあり、今年の文化祭でもこのメンバーで再結成することになったのだ。
「あの……私、いる?」
少し離れたパイプ椅子に座っていた由利さんが、遠慮がちに口を開いた。
「まだ曲も決まってないから、ピアノが必要かもわからないけど……」
やや俯きながらそう言う彼女の横顔を見る。
背中まであった綺麗な黒髪は、今はばっさりと切られ、すっきりとしたショートカットになっていた。
以前より、表情がよく見えるようになっている。
「何言ってんだよ! 一緒にやろーぜ!」
嶋がすかさず笑い飛ばした。
「ピアノが映える曲を選べばいーだろ。あ、嫌じゃなければ、キーボードとかもあるし」
「そうそう」と、他のメンバーも大きく頷く。
僕もそれに同調した。
みんなの温かい反応に、由利さんは少し照れたように頬を緩めた。
「……ありがとう。キーボード、やってみたいかも」
◇
和やかな雰囲気のまま、文化祭に向けての曲決めに移る。
前回同様、嶋たちが事前に、自分たちが演奏できる曲や、やりたい曲を絞ってきてくれていた。
ノートに書かれたその候補リストと睨めっこをする。
今回も、持ち時間はだいたい二曲分だ。
ざっと目を通し、直感で二つのタイトルを指差した。
「俺は……これと、これかな」
一つは、恋の楽しさをストレートに歌う、ハッピーでアップテンポなナンバー。
もう一つは、恋人への深く温かい想いを歌い上げる、幸せなバラードだった。
「おっ、いいじゃん! うん、相性いいと思う!」
僕の提案に、嶋が身を乗り出して賛成する。
「一曲目はキーボード、二曲目はピアノで弾けば、由利さんもどっちも楽しめるしな」
「それいいな」
「うん、賛成」
他のメンバーからも次々と同意の声が上がり、あっさりと今年のセットリストが決まりそうになった、その時だった。
「……って、おい。待てよ」
リストを見つめていた嶋が、ふと顔を上げてジト目で僕を見た。
「ん?」
「前回はさ、二曲ともどっちかっていうと『切ない系』だったじゃん? でも今回は、どっちもゴリゴリの『ハッピー系』だな……」
そこまで言って、嶋はニヤリと笑みを浮かべ、僕をビシッと指差した。
「まさか朝井! お前の選曲、その時の自分の恋愛状況が反映されてないか!? これ、完全に私的な選択だろ!」
「……いやいや。普通に、好きな曲を選んだだけだって」
鋭い指摘に一瞬返しが遅れたが、笑って誤魔化しておいた。
◇
無事に曲も決まり、僕は教室に戻ってきた。
入ってすぐ、黒板に向かって一番右前の席に腰を下ろす。
今年も最初の席順はあいうえお順の名簿通りで、僕、『朝井』の定位置はここだ。
次の授業の教科書を探そうと、ゴソゴソと机の中を漁っていると。
「なっちゃん」
後ろから、柔らかい声が飛んできた。
その声に、深いため息をつきながら振り返る。
「……その呼び方、やめてくれない? ……織田」
僕の真後ろの席から声をかけてきたのは――去年から継続して同じクラスになった、織田だ。
「えーなんで。俺もなっちゃんって呼びたい」
「やだ。だめ」
僕は間髪入れずに断る。
なんだかこいつの、こういう遠慮なくワガママを言ってくる感じとか、どこか天然な雰囲気が、若干めぐみのキャラと似ているところがあって気に食わないんだよな……。
……いやいや、今のなし。
めぐみはこんな奴とは比較しようがないくらい可愛い。
僕は脳内で即座に訂正を入れた。
『なっちゃん』呼びを否定された織田は不満そうに口を尖らせたが、すぐにへらっと目尻を下げた。
「まあいいや。俺、人見知りだからさ。朝井と同じクラスになれてよかったわー。今年も仲良くしてな」
「……どうしよっかな」
僕がわざとそっけなく返すと、織田は身を乗り出してきた。
「えー、いいじゃん。女の子の趣味も合うしさ!」
「…………」
その言葉に、僕はジロッと織田を睨みつけた。
「こわっ! 冗談だって〜」
織田がビクッと肩を揺らして怯えたふりをする。
(……ほぼ冗談じゃないだろ!)
僕は心の中で激しくツッコミを入れた。
織田はたしかに、一時的だがめぐみに想いを寄せていた時期があった。
僕とめぐみが付き合い始めてからは、特にアプローチする気配もないし、肝心のめぐみもこいつの気持ちにはまったく気づいていないようだから、とりあえず見逃してやってはいるが。
でもまあ、こんなふうに全然面白くない冗談を言うところはあるが、根は優しくて穏やかなやつだ。
話すのが楽なので、意外にもよく話す仲になっているのだった。
◇
体育の授業があるため、ジャージに着替え、何人かの男子と喋りながら校庭へ向かっていた。
廊下を歩き、角を曲がろうとしたその時。
向こうから勢いよく曲がってきた人影とぶつかりそうになった。
「あ、ごめんなさい……って、あ! なっちゃん!」
ぶつかる寸前で止まった僕を見て、パアッと顔を輝かせたのは。
紛れもない、僕の恋人。
「……めぐ」
――めぐみだった。
「……朝井、先行ってるぞー」
『彼女』が現れたのを見て、気を遣った男子たちはそう声をかけて去っていった。
めぐみは、どうやら移動教室先で忘れ物に気づき、教室に取りに戻ってきたところらしい。
「忘れ物してよかった〜! なっちゃんに会えた」
嬉しそうに、へへとはにかむ彼女。
世界一可愛い。
「また忘れ物かよ」
愛しく思いながら呆れ半分で笑うと、めぐみは少し唇を尖らせた。
「またって言わないで」
「で、何忘れたの?」
「筆箱」
「それじゃあ、何も勉強できないな」
僕は思わずふっと笑ってしまった。
授業開始のチャイムまで時間もない。
名残惜しいが別れることにした。
「じゃあ、あとでね」
「ん」
今日は昼休みに二人で会う約束をしているのだ。
去り際、めぐみは誰にも見えないようにこっそり、僕の手をキュッと握る。
そして嬉しそうな微笑みを見せた後、パタパタと駆けていった。
そんな愛らしい行動に、僕の心もあわせて鷲掴みにされた。
……僕は相も変わらず、彼女にこうやって夢中にさせられている。
めぐみとは、二年生ではクラスが離れてしまった。
けれど、こんなふうに偶然会えた時に彼女がすごく喜んだり、昼休みに会う約束をしたりするのは、また違った良さがあるな、と少し楽しさを感じていた。




