第46話
パチパチと爆ぜるキャンプファイヤーの赤い炎を、僕とめぐみの二人で見つめている。
僕たちはなぜか、小学校一年生の姿をしていた。
隣にいるめぐみの小さな手を、自分の小さな手で、拙い力ながらもギュッと繋いでいる。
胸をドキドキさせながら、隣の彼女に尋ねた。
「……ねえ、めぐ。……めぐはぼくの『かのじょ』だよね?」
するとめぐみは、僕を見上げて満面の笑顔を浮かべた。
「うんっ! そうだよ!」
大きく頷く彼女を見て、僕は飛び上がりたいほど嬉しくなった。
「じゃあぼくたち……『りょうおもい』だね!」
僕がそう言った瞬間。
めぐみはその丸い瞳をキョトンとさせ、「えっ? なっちゃん」と不思議そうに首を傾げた。
「わたし、なっちゃんに『すき』っていったっけ?」
「――……っ!!」
声にならない悲鳴を出して、僕はガバッと跳ね起きた。
荒い息を吐きながら見開いた視界には、赤い炎も、めぐみのキョトンとした顔もない。
目に飛び込んできたのは、見慣れた殺風景な自分の部屋の、真っ白い壁紙だけだった。
「…………」
フーッと大きく息を吐きながら、片手で両目をおさえる。
(…………なんだよ……夢かよ!!)
ひどく安堵して、ベッドの上で崩れ落ちた。
窓の外からは、鼓膜を揺らすような蝉の大合唱が響いている。
いよいよ夏休みに入った。
この尋常じゃない暑さの中、午前中の部活で汗だくになり、帰ってきてシャワーを浴びてベッドに横になったら、いつのまにか寝落ちしていたらしい。
(……なんなんだ、あの夢。一度目と二度目の失恋をミックスしたような、最悪の夢は!!)
額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、僕は一人で悪態をついた。
だが、そこでハッとする。
夢の中のめぐみの言葉――。
『わたし、なっちゃんに「すき」っていったっけ?』
そう……あの夢は、変なところで現実とリンクしている。
めぐみはめでたく、僕の本当の彼女になってくれた。
でもそれは、公園で僕の『付き合おう』という言葉に『うん』と頷いてくれただけで。
……実はまだ、めぐみの口から『好き』という言葉は、聞いていないのだ。
めぐみの表情や態度の一つひとつから、好意は十分に伝わってきてはいるけど……。
――ブブッ。
枕元にあるスマホが光った。
めぐみからのメッセージだ。
『部活終わったよ! 時間通りに着きそう』
それを見た僕は慌ててベッドを降り、ハンガーにかけてあった半袖の前開きシャツを羽織り、ジーパンを穿いてリビングへと向かった。
ソファでは、母さんが雑誌を読んでくつろいでいた。
今日は平日だが、一日休みか半日休みか、とりあえず家にいるらしい。
「夏樹、なんかうなされてなかった?」
リビングまで聞こえてたのか。
「……んー」
僕は小さく返事をしながら急いで冷蔵庫を開け、麦茶のペットボトルを取り出して直接喉に流し込んだ。
「……出かけるわ」
「はーい。どこに?」
行き先を確認する母さんに、本当は決まっているのにもかかわらず「……まだ決まってない」と適当な嘘をついた。
「ふーん。誰と?」
誰の名前を出そうか……と考えていると、母さんは僕の返事を待たずに言った。
「もしかして……めぐちゃん?」
洗面所に向かおうとしていた僕は、バッと振り返った。
「な……なんで?」
声が裏返った僕を見て、母さんはおかしそうに笑った。
「動揺しすぎ! ……いや、もしかしてさ、付き合ってたりするのかなと思って」
「……え、いや、だからなんで?」
必死に誤魔化そうとする僕に、母さんはニヤニヤしながら重ねてきた。
「えー、だって。最近なんかそわそわしてるし、ちょこっとした外出も増えたじゃない? なーんか二人とも、一緒にいる時の雰囲気が前と違うし」
親にバレたら、冷やかされたりして面倒くさそうだから、一旦まだ内緒にしておこうとめぐみと話していたのに。
二人とも完璧に隠せているつもりだったのに。
……おそるべし母の勘。
「…………」
図星を突かれて何も言えなくなった僕を見て、母さんは再び雑誌に目を戻し、ぽつりと言った。
「……大事にしなさいよ?」
「……わかってるって」
僕は照れ隠しで、ぶっきらぼうにそう返し、逃げるように洗面所に向かった。
先ほどシャワーを浴びて無造作に乾かしただけの短い髪に、ワックスを付けて整える。
鏡の中の自分に向かって、心の中で(……よし)と気合を入れた。
リビングにいる母さんに「あらっ、お洒落にキメたのね〜」などとからかわれないよう、姿を見られないようにサーッと玄関に向かう。
そして、「……いってきます」と言い逃げして外に出た。
◇
外はうだるほどの暑さで、アスファルトには陽炎が揺れていた。
小走りをして、なんとかめぐみとの待ち合わせの五分前に駅前に着いた。
なるべく汗をかきたくなくて、ビルの日陰に避難して待つ。
ほどなくして、人混みの中からめぐみの姿が見えた。
彼女は部活が終わってから直接来たため、いつもの制服姿だ。
すぐに僕に気づき、ジリジリと照りつける太陽よりも眩しい笑顔を見せて、大きくこちらに手を振っている。
「なっちゃーん! ごめん、お待たせ! 今日ほんとあっついね」
駆け寄ってきためぐみは、涼しげにポニーテールをしていて、白いうなじや首元にうっすらと汗をかいていた。
「……暑いよな」
僕は、なんだかその無防備な首元を見てはいけないような気がして、慌てて目を逸らしながら同意した。
◇
僕たちが来た場所は、文化祭の打ち上げでクラスのみんなと来たカラオケだ。
先日、どうしてもめぐみに「デートしよう」という言葉が恥ずかしくて言えず、「……どこか行きたいとこある?」と誤魔化して聞いた。
そうしたら、めぐみは「うーん……カラオケかな! なっちゃんのステージ、独り占めしたい」と少し照れながら言ったので、その希望を叶えることにした。
約束をして、二人きりで外で会うのはこれが初めてだ。
……めぐみはこれを、「初デート」だって認識してるんだろうか。
◇
クラスのみんなと大勢で来た時とは全然違う、変にそわそわした気持ちで受付を済ませる。
「わー! 楽しみー!」
案内された部屋の前に着き、ルンルンしながらドアを開けるめぐみ。
「…………」
中を覗き込んだ僕は、能天気な彼女とは対照的に、内心激しく焦っていた。
(やっぱり……このくらい暗いよな)
めぐみは早速ソファに鞄を置き、タブレットを手に取って「ねえねえ、最初なっちゃん歌う? 私歌う?」と楽しそうにしている。
僕はすっかり心ここにあらずで、「あー……めぐでいいよ」と返事をした。
こんな薄暗くて狭い密室で、二人きり。
……こいつは、自分の置かれている状況(彼氏と薄暗い密室にいるということ)をわかっているんだろうか。
「じゃあ、最初はこれにしよ〜」
タブレットを操作して、めぐみが最初に入れた曲は、日曜の朝にやっているほんわかしたアニメの主題歌だった。
イントロが流れ出し、マイクを握って左右に揺れている彼女を見る。
『彼女』という特別な存在になったにもかかわらず、相変わらずのんきで無防備なめぐみを、僕はソファの端で複雑な気持ちで見つめていた。




