第45話
終業式を翌日に控えた放課後。
僕は、ガヤガヤとした喧騒に包まれる駅前のファミレスにいた。
文化祭でライブをやり遂げたバンドメンバー五人での打ち上げだ。
文化祭直後に期末テストが控えていたせいでずっとお預けとなっていたが、ようやく開催することができた。
僕のバスケ部の練習がない今日、みんながわざわざ予定を合わせてくれたのだ。
それぞれがドリンクバーで注いできた、色とりどりのジュースが入ったグラスを持った。
バンドマスターの嶋が「……それではっ」と声を上げる。
「カンパーイ!」
それに合わせて全員でとテーブルの中央でグラスを重ね合わせた。
一口飲んで息をついた直後。
向かいに座った嶋が、興奮した様子で身を乗り出してきた。
「……ってか。おい、朝井っ! お前、井原と付き合ってんだって!?」
いきなりの問いかけに、僕は「ブッ」と危うくレモンスカッシュを吹き出しそうになった。
僕たちが付き合い始めたということは、僕とめぐみがそれぞれ、クラスや部活の中で特に親しい何人かにしか話していない。
それなのに噂というものは、恐ろしいスピードで瞬く間に学年中に広がっていた。
僕は平静を装ってジュースを飲み込み、「……おー」とだけ短く答えた。
チラッと、嶋の隣に座っている由利さんに目をやる。
彼女も既にその噂を把握していたのか、特に驚くようなリアクションは見せず、ストローで静かに自分のジュースを啜っていた。
今日、由利さんもいるこの打ち上げに参加するにあたり、僕はめぐみに、由利さんとのことを話した。
文化祭の時に告白されたこと。
そして断ったものの『好きな人がいても、好き』と宣言されていたことを、正直に伝えたのだ。
『えっ、やっぱりそうなんだ……』
めぐみは、少しだけ不安げに眉を下げていた。
恋愛事に鈍いはずの彼女が、ほぼ接点のない由利さんの気持ちに気づいていたことに驚きつつも、僕は尋ねた。
『……俺が打ち上げ行くの、嫌じゃない?』
そう確認すると、めぐみは少し黙った後、ふるふると首を振った。
『……ううん。あんな素敵な演奏をしたチームだもん。楽しんできなよ! ……なっちゃんの気持ち、ちゃんとわかってるし』
そう言って微笑み、送り出してくれたのだ。
「えっ、何? 井原さんってどんな人なん?」
高校入学組で、めぐみのことをよく知らないメンバーの一人が興味津々に聞いてきた。
僕はストローを咥えながら、「えー……」とめぐみのいろんな笑顔を脳内に思い浮かべた。
「……可愛い」
真面目な顔でそれだけ答えると、テーブルがドッと沸き、盛大に爆笑された。
「なんだそれ!!」
「ノロケかよ!」
嶋が呆れながら、僕の代わりに「朝井と同じクラスで、吹奏楽部で、小学校からずっと一緒でさー」などと説明してくれている。
話しながら何かを思い出したように、嶋がポンと手を打った。
「あっ、そういえば」
「ん?」
「俺、小学校入って初めての席替えで、井原の隣の席になったんだよ。で、俺が消しゴム忘れたら貸してくれてさ。井原がめっちゃ優しくて」
嶋は懐かしそうに笑いながら、とんでもない爆弾を落とした。
「俺も小学生のピュアなノリで、『ぼくのこと、すき?』って聞いたら、『だいすきだよ!』って返してくれた記憶あるわー。わりーな、朝井!」
(…………は?)
思考が、一瞬停止した。
僕の脳が忘れたがっていたのか、なぜか顔も名前も思い出せなかった男。
僕の一度目の失恋『めぐみは人類みな大好き事件』の元凶となった、あの男だ。
それがなんと――目の前でへらへらと笑っている嶋、こいつだったのだ。
「…………お前だったのかよっ!!」
僕はガタッと立ち上がりそうになりながら、思わずだいぶ広範囲に響き渡るような大きな声でツッコミを入れてしまった。
「えっ、何が?」
僕の剣幕に、嶋がキョトンと目を丸くする。
「なんか朝井って最初、落ち着いてる大人っぽい奴かと思ってたけど、案外違うよな」
別の男子が笑いながら、隣の由利さんに話を振った。
「な、由利さん」
彼女は、ストローから口を離し、ふっと小さく吹き出すように笑って言った。
「……ね」
◇
打ち上げは大いに盛り上がり、「また来年の文化祭も、このメンバーでやれたら嬉しいね」と話しながら、ファミレスの前で解散することになった。
それぞれが駅や自転車置き場へと向かおうとした時。
「……朝井くん。ちょっといい?」
由利さんに、静かに声をかけられた。
「あ……うん」
僕が立ち止まると、他のメンバーたちが不思議そうに振り返った。
しかし、嶋が何かを察したように「……じゃ、またなー!」とわざとらしく明るく言い、みんなを促して足早に去っていった。
みんなの姿が完全に見えなくなってから。
由利さんは、ゆっくりと口を開いた。
「あの……おめでとう」
「……ありがとう」
僕が短く返すと、由利さんは少しだけ寂しそうに、でもスッキリとした顔で笑った。
「……彼女になっちゃったわけだし。急に気持ちを切り替えるのは難しいけど……でも、ちゃんと吹っ切っていくから」
文化祭の中庭で彼女が伝えてくれた、僕への想いのことだろう。
「……うん。わかった」
僕が真っ直ぐに頷くと、由利さんは「ふふ」と少し自嘲気味に笑った。
「朝井くんは最初からずっと井原さん一筋だったね。そんな人を好きになるなんて……知らなかったとはいえ、私、さすがに無謀すぎたね」
由利さんはそう言うと、「……それじゃあ」と、真っ直ぐな黒髪を風になびかせて、背を向けて歩き出した。
その凛とした背中に向かって、僕は声を投げた。
「……ありがと。ピアノ、応援してる」
彼女が肩越しに振り返る。
「ありがとう。朝井くんも、振られたりしないように頑張って」
「……うるさいな」
僕の言葉に小さく笑ってから、彼女は前を向き直して夏の夕暮れへと去っていった。




