第43話
「……少し、散歩する?」
なっちゃんに誘われ、私たちはマンションのすぐ近くにある懐かしい公園に行くことにした。
夜の公園は、昼間とは違う静かな空気に包まれている。
象を模した滑り台を見たら、小学生の頃、なっちゃんと二人で汗だくになってエンドレスリピートで滑りまくっていた記憶が蘇ってきた。
なんだか無性に懐かしくて、私はついはしゃいでしまい、階段を登って滑り降りてしまった。
顔を上げると、少し離れた端のベンチで、なっちゃんが呆れたように笑っているのが見えた。
(……あっ、私、何やってんだろ。子供じゃないんだから……)
急に我に返って恥ずかしくなり、私は小走りでベンチに向かい、なっちゃんの隣にちょこんと腰掛けた。
「昨日、ごめん。すれ違っちゃって」
座ってすぐ、なっちゃんが謝ってきた。
昨晩、私がなっちゃんの家に行った時、彼が友達と夜遅くまで遊んでいて会えなかったことだ。
「ううん」
私が首を振ると、少しの間をおいて、なっちゃんが探るような声で言った。
「あのさ……なんか俺の、変な噂とか聞いてない?」
「……噂?」
「たとえば……由利さんとの噂、とか……」
(……あ、それか……)
自分の動揺がバレないように、私はさりげなく視線を落として目を逸らした。
吹奏楽部の同期から聞いた噂。
『朝井くんと由利さんが付き合ってるってホント?』
『手を繋いで歩いてたらしい』
あの噂のことだろう。
付き合っているというのはさすがに違うとしても、後者の『手を繋いでいた』の方は真偽不明だった。
「……手を繋いでたってやつ?」
口に出した途端、また胸がチクリと痛んだ。
「……はあ?」
なっちゃんはものすごく怪訝な顔をして驚いた後、身を乗り出して必死に否定した。
「ああ、それは! 文化祭の準備中に由利さんが具合悪くなった時に、たまたま通りかかって保健室まで付き添っただけで、手を繋いでたとか絶対ありえないから!」
(あ……なんだ、そういうことだったんだ)
看病だったと知り、私は一瞬だけホッとした。
「……わかってると思うけど、付き合ってるとかも当然ないからな?」
なっちゃんが、念を押すように重ねて言う。
けれどしばらくすると、朝の廊下での由利さんの言葉がフラッシュバックし、またあの真っ黒なモヤモヤが胸の中で再燃してくる。
私は、思わずぽつりと呟いた。
「でも……仲いいのは、本当だよね」
「え?」
「ライブも、相性ぴったりだったし……」
冷静に言おうと意識したのに、どうしても感情が声に滲み出てしまう。
(だって……嫌なんだもん)
あの口の悪さも、ぶっきらぼうな顔も。
なっちゃんの素を見せる特別な存在は、私だけって言って。
「……めぐ」
隣で名前を呼ばれるが、顔が見られない。
「……おい。こっち向け」
そう言われても、一度意地を張ってしまった気持ちがなかなか引っ込まず、私は彼と反対側を向いたまま黙り込んだ。
すると、なっちゃんがため息をついてベンチから立ち上がり、私の真正面に立って逃げ場を塞いだ。
(やば。「無視すんな」って怒られるかも……)
そう思って恐る恐る顔を上げ、なっちゃんの表情をうかがうと――。
(え?)
なっちゃんは怒るどころか、なぜかすごく嬉しそうに、口角を上げて笑っていた。
彼の両手が、私の顔に向かって伸びてくる。
次の瞬間、私の両頬が、彼の手によって「むにゅっ」と外側に引っ張られた。
「……へ!? なに!?」
力は優しくて全然痛くはないけれど、こんな扱いを誰かにされたのは小学生以来だったので、シンプルに驚いて変な声が出た。
私の顔を見てニヤニヤと笑っているなっちゃんを見て、(なに!? 今の私、変な顔ってこと!?)と焦りながら抗議する。
「……やきもち?」
なっちゃんが、至近距離でからかうように聞いた。
「……ちがっ……!」
図星を突かれた私は、反射的に必死に否定しようとする。
「いや。やきもちだろ、それ」
なっちゃんが、もう一度確信を持って言った。
(あ、もうダメだ)
顔が耳まで赤くなっているのが自分でもわかるし、これ以上、このなっちゃんに誤魔化し通せるわけがない。
私は諦めて、小さく「……うん」と頷いて認めた。
その瞬間――。
腕に強い力を感じたかと思うと、私の身体がベンチからふわっと浮き上がった。
気づいた時には、私はなっちゃんの大きな腕の中にすっぽりと包み込まれ、彼の広い胸に私の耳がぴたりと当たっていた。
夏の暑さのせいか、なっちゃんの身体は、周りの空気よりもずっと熱い。
そして、私の耳元で鳴る彼の鼓動が、とんでもなく早いスピードになっているのに気づいた。
「…………」
驚きと恥ずかしさで何も言えなくて、私はただ、その熱い腕の中に閉じ込められたままでいた。
彼の肩越しに、さっき二人で遊んだ象の滑り台が視界に入る。
しばらくの静寂の後。
なっちゃんが、私の耳元で、そっと口を開いた。
「……付き合お」
少し掠れた、ねだるような、甘えるような低い声。
ステージでなっちゃんの歌声を聴いた時と同じように、頭の奥がクラクラと痺れて、彼に支えられていないと立っていられないくらいだった。
「…………うん」
私はただ、その一言を絞り出した。
倒れないように、なっちゃんに捕まりたくて、手元にあった彼の背中のTシャツの裾を、キュッと掴み返した。




