第38話
バスケ部も、いよいよ三年生にとって集大成となる大事な夏の大会を控えている。
とはいえ、一年生でレギュラーをとるようなやつはそうそういない。
僕も、もしかしたらベンチ入りの補欠に選ばれる可能性もあるかもしれない、という程度だ。
そのため、今はレギュラーの先輩たちの練習の邪魔にならないよう、僕たち一年はコートの端でひたすら基礎的な練習に励んでいた。
休憩中、体育館の入り口の風通しの良い場所で、同期の男子たちと地べたに座って駄弁っていた。
「なんか、文化祭終わってから急にカップル増えてね?」
「まあなー。夏休み前だしな」
スポーツドリンクを飲みながら、気怠げにそんな話題で盛り上がるやつら。
すると、少し離れたところに立っていた同期の一人が、ふと思い出したように言った。
「そういえばさ。葉山たちのクラスのあの子可愛くね? 文化祭で変な水色の虎のお面つけてた、髪ふわふわの子」
「……っ!」
飲んでいたスポーツドリンクが変な気管に入りそうになった。
僕がめぐみを好きなことを知らないそいつが言ったのは、間違いなく彼女のことだ。
「おいおい、それはなっちゃんの前で禁句だから〜!」
すかさず、隣にいた葉山がわざとらしく『なっちゃん』呼びをしてニヤニヤと笑った。
「えっ、なんで?」
不思議そうに首を傾げるそいつに向かって、僕は低く、少し凄むような声で言った。
「……変な目で見んな」
「ぶっはははは!!」
僕のめぐみへの長すぎる片思いを知っている葉山たちが、一斉に吹き出した。
「変な目で見てんのはお前だろーが!」
腹を抱えて爆笑するやつらと、「えっ、なになに? どういうこと?」と目を白黒させて興味津々になっているやつら。
最近はもう、周りに隠すつもりもなかった。
どうせめぐみ本人には知られているし、この事実が学年に知れ渡ったほうが、他の女子からの余計な告白やトラブルも減らせるかもしれないからだ。
◇
部活を終え、帰り際に下駄箱を見ると、まだめぐみのローファーは残っていた。
演奏会の追い込みで、時間いっぱいまで練習するのだろうか。
会えないかなと少し期待していた心を隠しつつ、「朝井、行くぞー」という同期の声かけに「おー」と応えて昇降口を出た。
◇
その後、駅前のファーストフード店でポテトをつまみながら同期たちとくだらない話ばかりしていたら、すっかり遅い時間になってしまった。
マンションに着き、自分の家のドアを開ける。
「おかえり〜」
リビングの方から、母さんの声が聞こえた。
「……ただいま」
靴を脱いでリビングに入った瞬間。
ふわっと、甘くて優しい、よく知っている香りがした気がした。
シャンプーのような、柔軟剤のような――あの香り。
「ごはん、食べてきたのよね?」
母さんがダイニングテーブルの上にあった二つのマグカップを片付けながら聞いてくる。
さっきの残り香と、その二つのカップを見て、僕はその問いかけに答えるより先に聞き返した。
「……めぐ、来てた?」
「あら、よくわかったわね」
母さんは少し驚いたように目を丸くした。
「ついさっきまでいたのよ。夏樹に何か用がありそうだったんだけど、あんたが遅いから〜」
「……っ!」
その言葉を最後まで聞く前に、僕はリュックを床に放り投げ、慌てて家を飛び出していた。
閉まりかけの玄関の扉の向こうから、「ちょっと。もう遅いんだから明日にしたらー?」と咎める声が聞こえた気がしたが、無視した。
マンションの階段を一段飛ばしで駆け上がり、めぐみの家の前に立つ。
たしかに遅い時間だが、僕は遠慮がちに、祈るような気持ちで「ピーンポーン」とインターホンを鳴らしてみた。
……が、誰も出ない。
お風呂に入ったりしてるのか……?
それとも、また前みたいにヘッドホンで音楽でも聴いてるのかも……。
居ても立っても居られず、僕はポケットからスマホを取り出し、めぐみにメッセージを送った。
『ごめん、今帰ってきた』
そのまま扉の前でしばらく待ってみたが、既読もつかず、なかなか返事も来ない。
「……はあ」
僕は諦めて深いため息をつき、自分の家へと戻った。
◇
シャワーを浴びて風呂から上がるとすぐに、ベッドの上にあるスマホを手に取り、画面を確認する。
めぐみからの通知が一件、入っていた。
『おかえり。遅いからまた明日行くね』
たった一言のそのメッセージを見て、僕は「はああああっ」と大きなため息をつきながら、スマホをベッドに投げつけた。
(……くそっ、タイミング悪い……!)
あと十五分、いや十分早くファーストフード店を出ていれば。
めぐみが僕に用事って……まさか、あの返事なんじゃないのか?
いろんな想像が頭を駆け巡り、僕はもう何度目かわからない肩透かしにすっかり落胆しながら、『明日行くね』という言葉を胸に、無理やり重い目を閉じて眠りについた。




