第32話
文化祭二日目。
今日もはっぴを着て、頭にねじりハチマキを巻き、僕はヨーヨー屋台のシフトに入っていた。
「……ヨーヨーやってます〜いかがですか〜」
適当に愛想よく勧誘をこなしていたつもりが、近くで水風船を作っていた葉山が不思議そうに僕の顔を覗き込んできた。
「……ん? お前、なんか眉間にシワ寄ってるぞ?」
「……え」
僕は慌てて、眉間のあたりを指で揉みほぐした。
無意識だった。
けれど、僕の心の中には明確な不満と不安が渦巻いていた。
今朝から、めぐみと一度も会話ができていない。
それどころか、目が合うことすら一度もない。
僕が話しかけようと近づくと、まるでセンサーでもついているかのように素早く察知して、遠くの方へと逃げてしまう。
(一体、なんなんだ……)
照れているのか? 恥ずかしいのか?
昨日、あのまま真っ赤になってトイレに逃げ込んだのだから、きっとそうに違いないと最初は思っていた。
けれど、こうも徹底的に避けられ続けると、昨晩ひとりで散々浮かれすぎた分、急速に嫌な予感がしてくる。
話して確かめられないと、また俺がひとりで勘違いしてるだけなのではと不安になるのだ。
過去二度の「勘違い、浮かれ、からの失恋トラウマ」が蘇り、胃のあたりがキリキリと痛む。
三度目の失恋なんて――絶対にしたくないんだ。
おまけに、昨晩は興奮と歓喜でまったく眠れなかったため、絶望的に眠い。
ただ救いだったのは、うちのクラスのヨーヨーすくいはシンプルだが手作りの装飾の雰囲気が良く、お客さんのウケも上々で、接客も気楽だったことだ。
◇
無事に自分のシフトの時間を終え、僕は喧騒から逃れるように中庭へと向かった。
木陰にある自販機で冷たい緑茶を買い、きつく結んでいたハチマキを外す。
疲労と寝不足で重い身体を、目の前のベンチにドサリと沈め、お茶を一口飲んだ。
この後、葉山たちと他クラスの出し物を回る約束をしているが、一瞬だけ一人で休憩したかった。
スマホを取り出し、『先行ってて。後で合流する』とメッセージを送信しておく。
(……めぐ、どこいるんだよ)
ため息とともに、ふーっと長く息を吐き出す。
ふと、こちらに近づいてくる人影に気づき、顔を上げた。
「……お疲れさま」
静かな声。
そこに立っていたのは、由利さんだった。
「あ、お疲れ」
僕が短く応えると、彼女はそのまま僕の隣にそっと腰を下ろした。
(……あ、まずい。また誰かに見られたら、あの面倒な噂に尾ひれがつくんじゃ……)
僕が内心焦り、適当な理由をつけて立ち去ろうかと考えた、その時だった。
「……あれ。夏樹?」
前方から、まさかの人物に声をかけられた。
「……光くん」
声の方に目をやると、そこには昨日めぐみの家で久しぶりに会ったばかりの、光くんが立っていた。
大学一年生の光くんは、実は去年までこの高校に通っていたOBでもある。
隣には、同じく卒業生らしき友達が二人、暇そうに立っていた。
「来てたんだ」
「おー。懐かしみに来たわ」
光くんが緩いトーンで返す。
「めぐに会ったの?」
僕が尋ねると、光くんは「うん」と頷いた。
「どこかの屋台で買った、変なお面付けてたわ」
「…………」
その情景が頭に浮かび、僕は思わず「ふっ」と吹き出してしまった。
光くんの視線が、僕の隣に座る由利さんへとチラッと向けられる。
僕はハッとしてベンチから立ち上がり、光くんの元へ駆け寄った。
「……ちょっと」
光くんの腕を掴んで友達から少し引き離し、小声で必死に話しかける。
「……めぐに変なこと言わないでね」
「なに、変なことって」
怪訝な目をする光くんに、僕は焦りながら口止めする。
「俺が、女の子と二人でベンチにいたとかさ……そういうの」
「……よくわかんないけど、わかった」
光くんは、僕の事情など特に興味もなさそうに、すんなりと了承してくれた。
……まず一安心だ。
「じゃあな」
手を振って去っていく光くんたちを見送る。
「……誰?」
ベンチに戻ると、由利さんが控えめに尋ねてきた。
「同じクラスの、幼馴染の兄ちゃん。あ、幼馴染っていうのは、バンドで初めて音合わせた日に、プレハブ覗きに来てたやつで……って、覚えてないか」
苦笑いしながら言うと、由利さんは口を開いた。
「……あの、髪ふわふわで可愛い子?」
「あー、そう。覚えてたんだ」
(……って。あ)
彼女がめぐみを覚えていたことに驚きながら、『可愛い子?』という問いに『そう』と無意識で肯定している自分に気づき、言葉を詰まらせた。
そんな僕の顔をじっと見つめていた彼女が、静かなトーンで言う。
「……あの子が好きなの?」
「……え!? なぜ!?」
図星を突かれ、思わず大きな声を出して激しく動揺してしまった。
由利さんにめぐみの話をしたのは、今が初めてのはずなのに。
(俺って……そこまでわかりやすいのか!?)
「……朝井くんの歌聴いて、絶対、すごく好きな人がいるんだろうなって思ってて」
由利さんは、真っ直ぐ前を見つめたまま続けた。
「あの子の話をしてる時、すごく嬉しそうな顔してたから。試しに、聞いてみた」
(……試し、かよ……)
見事にカマかけに引っかかり、顔に出して動揺してしまった自分に呆れて、思わず頭を抱えた。
僕のその態度を「肯定」と受け取った彼女は、「そうなんだね」と小さく呟いた。
疲労や寝不足で頭が回らず、今さら気の利いた誤魔化しも思いつかない。
それに、もう誤魔化さなくてもいいかと思い直し、僕は観念して「……うん」と頷いた。
すると、由利さんがベンチからスッと立ち上がり、僕の前に立って言った。
「私は……朝井くんが好き」
「……へ?」
突然の言葉に、僕は間抜けな声を聞き返してしまった。
「好きって?」
「そのままの意味」
由利さんは、表情を変えずにハッキリと言い切った。
「……俺、好きな人教えたばっかりじゃなかった?」
困惑して尋ねると、彼女は「うん」と頷く。
「でも、彼女ではないんでしょ? だったら、いいじゃない」
「…………」
完全に呆気にとられた。
大人しそうな見た目に反して、ものすごく真っ直ぐで、強引だ。
だが、曖昧な態度をとって、めぐみに変な誤解をされるわけにはいかない。
僕は腹を括り、真剣な顔を作って言った。
「……いや、よくないわ。ごめん」
明確な拒絶。
それでも由利さんは、引かなかった。
「でも、私の気持ちだもん。自由でしょ?」
(え、こいつ……強い……)
圧倒されて言葉を失う。
だが、ふと彼女が体の前で握っている両手を見ると――その白い指先が、微かに、けれどハッキリと震えていた。
(……勇気、出してくれたのか)
その震えに気づいた瞬間、彼女の不器用な強がりが理解できて、僕はそれ以上突き放す言葉を紡げなくなった。
由利さんは「ふう」と小さく息を吐くと、再び僕の隣に座り直した。
「……告白されるの、慣れてそうだね。モテそうだもん」
少しだけトーンを落として、ぽつりと言う。
「……いや、そんなことないけど」
僕は否定したが、由利さんはそれを謙遜と受け取ったのか、少し意地悪な響きを含ませて言った。
「モテるのに、自分の好きな子とはまだ付き合えてないんだね」
痛いところを的確に抉られ、僕は思わず反射的に叫んでいた。
「……うるさいわっ!」
(……あ)
言ってから、すぐにやばいと焦った。
めぐみの話題だったからとはいえ、他の女子に対して『無難スマイル』を剥がして、完全に素の態度を出してしまった。
恐る恐る隣を見ると。
由利さんは僕の怒ったような反応を見て、驚くでも傷つくでもなく、なぜか少し嬉しそうにクスクス笑っていた。
(……なんか、この人……調子狂うわ)
完全にペースを握られ、僕は大きなため息をつきながら、手元のぬるくなったお茶を口に含んだ。




