第29話
いよいよ自分たちの出番が目前に迫り、僕は一つ前のバンドの演奏を舞台袖から聞いていた。
文化祭における軽音部のライブイベントはやはり相当な人気コンテンツらしい。
袖の暗がりの隙間からステージの下をこっそり覗き込むと、いろんな学年のたくさんの観客が、ステージの周りをびっしりと囲んでいるのが見えた。
「……やばっ! 俺、緊張してきたかも……」
ベースを担当する男子が、小さな声で呟く。
「……俺も」
僕も思わず、本音を漏らしてしまった。
今まで経験してきたバスケの試合などとは、まったく種類の違う緊張感だ。
こんなにたくさんの人間が、自分たちの出す『音』を聴き入るために集まっている。
ましてや、僕にとって人前で歌うなんて初めての体験だ。
実際にあの光の当たる場所に立つまで、自分がどうなるのか想像もつかない。
ふと後ろを振り返ると、由利さんは一人、平然としていた。
鍵盤の位置を確認するような素振りすらなく、暗譜しているらしく手元に楽譜も持っていない。
「……由利さんは余裕そうだな」
僕が声をかけると、彼女は静かにこちらを見て、「慣れてるから」と短く返す。
その落ち着きぶりに少しだけ救われた気持ちになった。
僕はもう一度、ステージの下の観客席へと目を凝らした。
(――……いた)
めぐみだ。
薄暗い体育館の中、昨日僕がお願いした通り、ステージの正面の真ん中のほうに立ってくれている。
白い半袖のワイシャツに、薄ピンクのリボン。
いつもの制服姿が、照明の光を反射して目立っていた。
(……緊張するけど、すげえ嬉しい)
胸の奥が熱くなった。
◇
前のバンドの演奏が終わり、拍手の中で彼らが袖へと戻ってくる。
……いよいよ僕たちの番だ。
もう引き返せないような気分になり、ひゅっとお腹の底から気が引き締まる。
暗転したステージへと歩み出た。
マイクスタンドの前に立つと、冷房が効いているはずの体育館なのに、観客からの凄まじい熱気を全身で浴びる。
それは不思議な感覚で、緊張で冷え切っていた身体の芯が一気にあたためられ、ほぐされていくようにも感じた。
自分の身長に合わせてマイクの高さを調節していると、前方から聞き慣れたデカい声が飛んできた。
「夏樹ー!!」
「朝井ー!!」
僕を冷やかすように呼ぶその声は、バスケ部やクラスの男子たちだ。
いつもの日常の声を聞いて、張りつめた気持ちも落ち着いてきた。
上下から強いライトで照らされていて視界が眩んでいるのだが、真正面に目をやると、めぐみの姿をぼんやりと捉えることができた。
(……よし)
僕は小さく息を吸い込み、ドラムの嶋に向かって小さく頷いた。
嶋のスティックの合図で、由利さんがピアノで奏でるイントロが始まる。
プレハブでの初めての音合わせで僕たちがそうだったように、観客も彼女の圧倒的な音色に呑まれ、体育館は一瞬にしてシンと静まり返った。
僕も、その繊細な静寂を決して壊さないように。
丁寧に、丁寧に、息を吐き出すように声を乗せた。
イントロが終わると、一気にバンド全員のビートが走り出す。
疾走感のあるメロディが始まると、観客も知っている有名な曲だからか、みんなが自然とそのリズムに乗って身体を揺らし、体育館全体がひとつの大きな塊に合わさっていくように感じた。
その凄まじい一体感と音のうねりに吸い込まれ、気づいた頃には、さっきまでの恐怖に似た緊張はどこかへ飛んでいってしまっていた。
ただひたすら夢中で、歌に想いを込めていた。
「うわーっ!!」
一曲目が終わると、体育館を揺るがすような大歓声と拍手をもらえた。
僕は肩で息を整えながら、後ろを振り向いてバンドのメンバーたちとチラッと目を合わせ、確かな手応えに小さく微笑み合う。
少しの間を置き、会場の興奮がまだ冷めやまないうちに。
嶋がスティックを、今度はそっと、カンッ、カンッ、カンッ、カンッと四度鳴らした。
二曲目は、ゆったりとしたバラード。
これも、由利さんの流れるような美しいピアノの独奏から始まる。
女の子目線の、好きな人への溢れる想いをひたむきに歌う曲だ。
僕はマイクを両手で包み込むように握りしめ、自分自身の長くて重い片思いを、すべてその歌詞に乗せて歌った。
『どうしようもないくらい 悔しいくらい 好きだよ』
照明が変わり、観客席は暗くてめぐみの姿をハッキリとは捉えられない。
けれど、僕は真っ直ぐに前――めぐみがいるはずの場所――だけを見たまま、切々と歌い続けた。
曲の中で、主人公の片思いは少しずつ両思いへと近づいていく。
僕に向けられる、無邪気な笑顔や、柔らかい微笑み。
屋台の裏で髪に触れた時、戸惑うように赤らめた頬。
彼女のいろんな顔を思い出しながら、この曲の結末とリンクするように、どうか僕の気持ちが実ってほしいと、祈るように歌っていた。
なあ、そろそろ振り向いてよ。
そろそろ僕の、本当の彼女になってよ。
そう願うと、胸の奥がギュッと締め付けられるように切なくて仕方なかった。
最後のワンフレーズを歌い切る。
一曲目の熱狂とは少し雰囲気が異なり、息を呑むように静かに聴き入ってくれていた観衆から、パラパラと少しずつ拍手が起こった。
それはやがて、割れんばかりの大きな拍手と歓声に変わり、ステージの上の僕たちを暖かく包み込んでくれた。
僕たちは深くお辞儀をして、拍手の中を舞台袖へと下がった。
「……やったな!!」
袖の暗がりに入った瞬間、嶋が感激したような満面の笑顔で、男子メンバーたちと勢いよく肩を組んだ。
ふと見ると、いつもは大人しくて表情の薄い由利さんも、少し上気した顔で笑っていた。
「……楽しかった! 誘ってくれてありがとう」
彼女のその言葉に、僕たち全員で「お疲れっ!!」と力強くハイタッチを交わした。
◇
早々に次のバンドの演奏が始まり、体育館には再び重低音が響き渡っている。
僕たちは舞台袖からぐるっと外を回って、観衆のいるフロアのエリアへと降りていった。
「おいっ!! 朝井!!」
フロアに出た途端、クラスや部活の友達連中にわあっと囲まれた。
「カッコ良すぎた!! 惚れた!! 彼女にして!!」
ふざけて抱きついてくる男子たちを引き剥がす。
「いや、マジで! 俺感動してウルッとしちゃったもん」
「てか何? あのピアノ、ガチの人じゃん」
「よしっ。お前の歌もっと聴くために、明日の打ち上げはカラオケで決まりだな!」
さらに、同級生の女子たちも集まってくる。
「朝井くん! めちゃくちゃカッコよかった!! ほんと歌上手いんだね!」
「お疲れ様ー! 最高だったよ!」
矢継ぎ早にいろんな人から熱量の高い言葉をかけられ、僕はもみくちゃにされながら「おう、サンキュ」「ありがとう」となんとか応えていた。
けれど、僕の視線は人波の隙間を縫って、必死にただ一人の姿を探していた。
(…………いた!)
少し離れた場所。
めぐみが金森と一緒に、嶋と向かい合って笑顔で話しているのを見つけた。
(……早く行きたい)
周りから話しかけられている内容には半分上の空で適当に相槌を打ちながら、僕はなんとか人波をかき分けてめぐみのほうへ向かおうと試みた。
しかし、人が多すぎて進めず、何度も彼女の笑顔を見失ってしまう。
――数分後。
「……わり、ちょっとごめん」
なんとか押し寄せる感想の波を抜け出し、嶋の背中を見つけて駆け寄った。
だが……そこに、めぐみの姿はいない。
「……嶋! さっき、めぐといなかった?」
周囲を見回しながら聞くと、嶋は「ん?」と振り返った。
「井原? ああ。ちょっと喋ったあと、すぐに帰ったよ!」
「…………」
「『お疲れ! 感動したよ!』だってさ」
「…………」
…………はあああああ!?
僕は心の中で、今日一番の、いや、史上最大レベルの激しいツッコミを入れた。
……おい。
あれだけ、お前への想いを込めて切なく歌い上げたんだぞ!?
俺にとっては、あれはもうほぼ告白みたいなものだ。
せめて……せめて直接、俺の顔を見て直接コメントしろ!!
「……あれっ、朝井?」
嶋が止める声や、また別の誰かが話しかけてくる声も完全にスルーして。
僕は踵を返し、人混みを縫うようにして、めぐみを追って教室へと全力で走り出した。




