第21話
放課後になり、私は葵と一緒に、部活のため最上階にある音楽室へと向かっていた。
階段を上るにつれて、プップーという管楽器のチューニングの音や、パラパラと楽譜をめくる音が廊下に響いてくる。
音楽室の重い防音扉を開けると、ブラスバンド特有の、真鍮の金属臭とバルブオイルの少し甘い匂いがする。
まだ先輩たちは全然揃っておらず、先に到着していた一年生の同期たちが、各々ケースから楽器を取り出しながら固まって無駄話をしていた。
「あっ、きたきた。めぐ!」
到着した私に気づいた一人が、輪の中から手招きした。
「ねえ、めぐって朝井夏樹くんと幼馴染でしょ?」
「え? そうだけど」
突然飛び出したなっちゃんの名前に、私は不思議に思いながら首を傾げた。
すると彼女は、声をひそめて身を乗り出してきた。
「朝井くん、八組の由利さんと付き合ってるって、ホント?」
「……えっ?」
予想外すぎる言葉に、私は持っていたリードを落としそうになった。
「由利さん……って、どんな子?」
「黒髪ロングで、儚げな美人の子」
(あ……)
脳裏に、すっとある映像が浮かんだ。
この前、プレハブの防音室で見かけた、あの凛とした大人っぽい子のことかもしれない。
文化祭で、なっちゃんと同じバンドでピアノを担当すると聞いている。
私は思わず隣でトロンボーンを組み立てていた葵を見たが、葵は『当然私も知らないなあ』という顔で、小さく肩をすくめていた。
「えっ……わかんない。どうなんだろう」
なっちゃんからは、そんな話はこれっぽっちも聞いていない。
いや、でも……なっちゃんのことだ。
仮に誰かと付き合ったとしても、わざわざ私に報告なんてしないかもしれない。
『……わざわざ言うわけないでしょ』
脳内で、呆れたようななっちゃんの冷ややかな声が見事に再生される。
(うわ……すごく言いそう)
「なんかさ、同じクラスの朝井くんファンの子が、すっごく悲しそうに騒いでてさ。手を繋いで歩いてたらしいとか、昼休みに二人で一緒にいるところをよく見るとか……」
「…………」
昼休みに一緒にいるのは、なっちゃんから直接聞いた通り、バンドの練習に向かっているだけかもしれない。
でも……どうなんだろう。
手を繋いでた、か……。
あのなっちゃんが、女の子と……手を?
なんだか……想像できない。
「ほら、一年! さっさと音出し始めるよ!」
そのうち二、三年生もパラパラと集まってきて、先輩の号令が飛んだ。
噂話をしていた子たちも「やばっ」と散らばり、私たちも慌てて合奏の準備に戻る。
譜面台を立てて、定位置に座る。
けれど、さっき聞いたばかりの話が、頭の片隅に張り付いていた。
『手を繋いで歩いてたらしい』
私はその日の合奏で、二度も音を外してしまった。




