第15話
試験からの解放感に浸る間もなく、六月下旬に控えた文化祭に向けた準備がせわしなくスタートした。
ホームルームの時間。
教壇に立つ文化祭委員が声を張り上げて仕切りながら、クラスの出し物を決める話し合いが進められている。
教室の空気は、非日常のイベントに対する期待で浮き足立ち、どこか落ち着きなくざわざわとしていた。
僕は頬杖をつきながら、斜め前方の席をぼんやりと眺めていた。
視線の先には、初めての席替えで少し離れた席になっためぐみがいる。
これまでの席は、自分の真後ろに彼女の気配を感じて翻弄されてしまい、心臓に悪くて落ち着かなかった。
だから、こうして堂々と彼女の背中や横顔を眺められる特等席に変わったのは、悪くない。
……悪くないのだけど。
前後左右の席の連中――当然そこには男子もいる――と、楽しそうに身を乗り出して談笑する彼女を見るのは、控えめに言って全然面白くない。
僕がため息をつくと同時に、黒板の前に立っていた委員がパンパンと手を叩いた。
「よし、じゃあ多数決の結果、うちのクラスは『ヨーヨーすくい』に決定でーす!」
その宣言に、僕は内心で密かに安堵した。
食べ物を扱う模擬店や、教室全体を大掛かりに飾り付けるお化け屋敷などは花形で人気だが、その分、買い出しや準備の負担が跳ね上がる。
ライトな出し物で決着がついて、心底助かった。
なぜなら僕には、この文化祭でもう一つ、絶対に失敗できない大事な『裏ミッション』が控えているからだ。
◇
キーンコーン、カーンコーン。
四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響くと同時に、教室は一気に昼休みの喧騒へと雪崩れ込んだ。
「朝井ー、購買行くー?」
リュックから財布を取り出そうとしていた葉山が、遠くの席から声をかけてくる。
「わり、今日用あるわ」
僕が立ち上がりながら短く答えると、葉山は「あ」と何かを思い出したようにニヤリと笑った。
「例のアレの日か。頑張れよー」
「おー」
適当に手を上げて返し、僕はそそくさと教室を後にした。
向かった先は、特別教室棟の奥にある軽音部の部室。
ノックをして重い鉄扉を開けると、狭い室内にはすでに僕以外のメンツが揃っていた。
小学校から一緒で、先日僕に土下座の勢いであることを頼み込んできた嶋と、おそらく高校からの外部入学で面識のない男子が二人。
「よー! 待ってたぞー!」
嶋が、パッと顔を輝かせて出迎えてくれた。
初対面の二人に軽く挨拶をしながら、部屋の隅にある年季の入った古いソファに腰を下ろした。
目の前のテーブルには、丸まった楽譜やらギターのピックやらが無造作に散らばっている。
嶋以外のメンバー二人からも、「ボーカルOKしてくれて、ほんとありがとな!」「マジで助かった!」と口々に声をかけられる。
「いやいや……でも、本当に俺でいいの?」
念のため確認するように尋ねると、三人は力強く頷いた。
事の始まりは、テスト返却日のあの休み時間。
今年の文化祭でステージに立ちたいと考えていた彼らのバンドは、ボーカルだけがいまだに見つけられずに困っていたらしい。
そこで嶋が、昔一緒にカラオケに行った僕のことを思い出し、白羽の矢を立てたのだ。
自分で言うのもなんだが、僕は昔から歌は結構得意だった。
中学の頃、部活の打ち上げなどで男子連中とカラオケに行くと、いつも「お前……なんでそんな上手いんだよ!?」と驚かれていたほどだ。
とはいえ、カラオケの密室と、文化祭でたくさんの生徒が集まるステージとでは訳が違う。
人前で歌った経験など当然ない僕は、最初は断るつもりだった。
けれど……嶋があの教室で必死にお願いしてきた時。
僕の真後ろの席にいためぐみの存在にハッとした。
(ステージで歌っている姿をめぐみが観てくれたら……少しは、俺への好感度が上がるだろうか)
そんな、不純でどうしようもない期待が頭をよぎり、最後の一歩を後押しされてしまったのだった。
「曲なんだけどさ、朝井の歌いやすいやつでいいぜ。俺ら、とにかく演奏できるだけで嬉しいからさ!」
嶋が気前よく言ってくれたので、僕は彼らの演奏できるレパートリーの中から、自分が得意な二曲を選ばせてもらうことにした。
どちらも、ボーカルが女性のバンドのラブソング。
女子がそのままのキーで歌うには少しきついくらい高音の曲なのだが、僕が一オクターブ下げて歌うと、声質も音域もピタリとハマる。
カラオケでもたびたび歌っていた曲だった。
一曲目は、疾走感のあるアップテンポなナンバー。
桜の情景と、好きな人の美しさを重ね、少し切なさも交えて歌う曲だ。
文化祭の時期は六月だから季節は少しずれてしまうけれど……この曲の歌詞を見た時、ふと、高校の入学式でめぐみの首元に結ばれていた、あの桜色のリボンを思い出してピンときてしまった。
そして二曲目は、ゆったりとしたバラード。
恋する気持ちを歌う、女の子目線の曲だ。
「おお、いいじゃん! この二曲!」
嶋が楽譜を見ながら頷き、ふと顎に手を当てた。
「ただ、この二つなら……絶対ピアノもいたほうが映えるよな。弾ける奴、探してみようかな」
その後、今後の練習スケジュールについてのすり合わせを行った。
放課後は僕自身のバスケ部の練習があるため、軽音部の活動には参加できない。
「じゃあ、朝井が部活休みの日か、今日みたいに昼休みに集まって合わせようぜ。渡り廊下の近くに防音のプレハブがあるから、そこでさ」
「了解。迷惑かけるけど、よろしく」
――キーンコーン、カーンコーン。
僕たちが大まかな予定を決め終えたところで、ちょうど午後の始まりを告げる予鈴が鳴り響いた。
彼らと別れ、一人で渡り廊下を歩いて教室へと戻る。
開け放たれた窓から、初夏の湿気を帯びた風が吹き込んできた。
頭の中で、先ほど選んだ曲たちのメロディが自然と再生される。
(……観に来てくれるかな、めぐ)
不安と、それを上回る高揚感。
脳内に響くBGMに急かされるように、僕は少しだけ足早になって教室への道のりを歩いていた。




