第14話
なっちゃんの弟が習い事から帰宅し、部屋の中が賑やかになったタイミングで、私はおいとますることにした。
「お邪魔しました〜!」
玄関でパンプスに足を入れながら大きな声で挨拶すると、私の後を追うようになっちゃんも無言のままスニーカーを履き始めた。
「あれ、なっちゃんもどこか行くの?」
尋ねると、彼は靴紐を結びながら短い声で「……コンビニ」とだけ答えた。
「じゃあ、めぐちゃんまた来てなあ!」
リビングの奥からひょっこりと顔を出したなっちゃんパパが、満面の笑みで見送ってくれる。
「はいっ! ありがとうございました!」
パタン、と重い鉄の扉を閉めて、二人で外の廊下に出た。
初夏の少しぬるい風が、優しく頬を撫でていく。
マンションの階段を上り、自分の家の階へと向かう。
コンビニに行くなら下へ降りるはずなのに、なぜかなっちゃんはテストの範囲の話などをしながら、私の隣に並んで上の階までついてきた。
(? なっちゃん、コンビニ行くんだよね?)
不思議に思いつつも、私の家の前まで来たところで、振り返って彼に向き直った。
「今日は数学教えてくれてありがとね! それじゃあ……」
別れの挨拶をしてドアノブに手をかけようとした、その時だった。
「……あのさ」
なっちゃんが、少し低く掠れた声で私を呼び止めた。
「ん?」
振り返ると、彼は私と目を合わせず、そっぽを向いたまま気まずそうに口を開いた。
「……俺は今日の髪型が、めぐに一番似合ってると思う」
「……えっ?」
予想外の言葉に、私は目を丸くした。
まさか、なっちゃんから髪型についてコメントされるなんて。
しかも、そんなストレートに褒められるなんて、思ってもみなかった。
「そ、そう!? あ、ありがとう……」
私がしどろもどろになってお礼を言うと、なっちゃんはそのまま私の目を見ようともせず、「……じゃあな」と踵を返した。
そして、逃げるように小走りで階段を駆け下りていく。
「あっ……なっちゃん、今日はほんとありがとねー!」
広い背中に向かって声をかけると、彼は振り返ることなく、片手をヒラッと上げてそのまま下の階へと消えていった。
ガチャリと鍵を開け、自分の家の玄関に入る。
「……ただいまあ」
誰もいない部屋に呼びかける。
パタンと扉を閉めた後、静かな土間で靴を脱ぎながら、私は壁にかけられた姿見をじっと見つめた。
鏡の中には、少し驚いたような顔をした、ハーフアップの自分が映っている。
「……なっちゃん、ハーフアップがいいんだ。ふーん……」
鏡の中の自分に向かって、小さく呟いてみる。
『一番似合ってると思う』
先ほどの彼の少し不器用な声が耳の奥で蘇り、私はなんだか、ひどくこそばゆいような、くすぐったい気持ちになったのだった。
◇
なっちゃん先生の的確な指導のおかげもあり、高校に入って初めての中間テストは、いい感じに乗り越えられた。
テスト返却が終わった休み時間。
私は前の席の彼の背中をツンツンと突き、振り返ったなっちゃんに意気揚々と報告した。
「なっちゃんに教えてもらったとこ、バッチリできてたよ!」
「……おー。よかったな」
なっちゃんは少し口元を緩めて笑ってくれた。
(……なんか最近、前よりなっちゃんが優しい気がする)
私はそんなふうに感じていた。
勉強でわからないところを「どこ?」と一緒に覗き込んでくれたり。
急に私の髪型を褒めてくれたり。
こうして、ちゃんと顔を見て笑ってくれたり。
もしかして……合宿のキャンプファイヤーの時、『私にだけイライラしてない?クレーム』を入れちゃったから、気を使わせてるのかなあ。
だとしたら、なんだか申し訳ない。
私は内心でこっそりと苦笑いした。
◇
放課後までの少し気の抜けた休み時間。
廊下に一番近い席に座っているなっちゃんが、他のクラスの女の子から教室の窓越しに話しかけられている。
たまにこんなふうに、小学校や中学校から一緒だった顔見知りの女の子が、なっちゃんに好意的な態度で話しかけていることがある。
そういう時の彼は、相変わらず誰に対しても人当たりが良くて、丁寧な笑顔を向けている。
私は、なぜかそういう光景をあまり見ちゃいけないような気がして、いつも視線を逸らすように気をつけている。
今回も、なんとなく手元のノートに目を落として見ないふりをしていた、その時だった。
「朝井っ!! あの件、考えてくれた!?」
女の子の背後から、ものすごくデカい声の男子が割り込んできた。
ビクッとして顔を上げると、そこにいたのは、小学校で何度か同じクラスになったことのある、軽音部の男の子、嶋だった。
会話を邪魔された女の子たちは、気まずそうに顔を見合わせて去っていってしまった。
「……あー」
なっちゃんが、悩ましげな声を出す。
そんなことはお構いなしに、彼は廊下から一歩教室に踏み込み、なっちゃんの机の前に立つと。
「頼むっ! お前しかいないんだよ!」
ガッ! と自分のおでこをなっちゃんの机に擦り付け、両手をパンッと合わせて、文字通り全身で拝み倒し始めたのだ。
「…………」
なっちゃんは、机に突っ伏した彼の頭を見下ろしながら、数秒間「んー……」と唸って悩んでいた。
やがて、短くため息をついて口を開く。
「……わかった。やるよ」
「マジっ!?」
顔を上げた彼の目は、キラキラと星が飛んでいるかのように輝いていた。
「サンキュー!!」
彼はなっちゃんの手を両手でガシッと握りしめ、上下にブンブンと激しく振り回す。
「じゃあ、練習の予定送るな! ホントよろしくなー!!」
そう嵐のように叫び残すと、彼は風のような猛スピードで廊下を走り去っていった。
あっけにとられてその光景を見ていた私は、思わず前のめりになってなっちゃんの背中に声をかけた。
「……なっちゃん、何お願いされてたの?」
「ん?」
振り返ったなっちゃんは、何秒か私の目を見た後、視線を逸らした。
「……秘密」
「えー、なにそれ!」
教えてくれないなんて、余計に気になるじゃないか。
一体なんだろう。
私は首を傾げて、彼の広い背中を見つめた。
まもなく帰りのHRの時間となった。
中間テストも終わり落ち着いたということで、いよいよ初めての席替えが行われた。
くじ引きの結果、私が引いたのは、真ん中あたりの列の、若干前寄りというなんとも微妙な位置だった。
大好きな窓際の席は、今回はゲットできなかった。
そして、なっちゃんが引いたのは、廊下側の列の、後ろの方の席だった。
私の方が前になったため、授業中、ふと顔を上げた時になっちゃんの背中を見ることができなくなってしまった。




