↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春雷〜つまくれない〜  作者: 碧海 久


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/18

3-婚約解消

「アナスタシア、今日は……急な呼び出しにもかかわらず、時間を割いてくれたことを感謝する。忙しい君のことだ。予定があったのでは?」


王宮庭園の白いガゼボの中、ふわりと甘い花の香りが鼻腔をくすぐった。

優しい時間だ。

そう感じるのとほぼ同時に、レオニード第三王子の静かな声音が耳朶を震わせた。


「いえ。このように春の花の咲き乱れる王宮庭園へのお招きより優先させるものなど……」

「君は学院と社交とで、とても忙しくしていると聞いている。その上、公爵領の内政にも携わっているのだろう?」

「はい。ですが殿下よりのお声掛け。何を置いても参りますわ。それに父からも、近日中に殿下からお声掛けがあるはず、と言われておりましたし。何の問題もございません」


視線を彼に向け、ふわりと微笑みを返す。

婚約から九年。私は日々婚約者としての務めをこなしてきている。そしてレオニードもまた。互いに敬(・)意(・)を持って接してきていた。

だからこそ、今日のような急な呼び出しは珍しい。しかしながら、婚約者の些細な我儘(要求)を容認するのも務め。

それでも——


「ですが、これほどまでに早急な日取りでのお茶会……殿下も列冠会議を見据えてお忙しいのでしょう?」


半年後に隣国で開催される列冠会議のために、数カ国がこの国を通る。その際に、幾つかの国とは前哨戦ともいえる会談も予定されていた。迎える準備、参加する準備で議会も審議案の精査に忙殺されているはず。

レオニードも第三王子とはいえ成人済み。受ける公務も多々あるはずである。


しかし私の問いに、レオニードの濃紺の瞳が僅かに伏せられる。


「あ……いや。この先は、更に時間が取れなくなる。その前に君とはきちんと話をしておきたくてね」

「お話? 一体何のお話でしょうか?」


婚儀は列冠会議より更に一年後。今はまだ、二人で詰める話もない。小首を傾げて問う私に、殿下は深く息を吐く。


「巷では……男爵令嬢が、聖女認定されたね」

「ええ。そのようですわね」


既に周知の事実。

聖女の認定は、市井では久方ぶりの神殿祝事となっただけに、城下もいつにない賑わいとなっている。


曰く——ある男爵令嬢が、日々神殿に向かい、孤児院の子供達と交流を持っていた。

それは貴族女性としては、よくある奉仕活動。何ら問題はない。

しかし、彼女はそれだけではなかった。彼女は、足繁く通う孤児院において、病に冒され動くことも儘ならぬ少女を癒したのだ。


——治癒魔法。


回復魔法よりも遥かに多くの魔力を消費するそれを、彼女は何の躊躇いもなく平民へ施したという。


元より貴族の魔力は領地へ向けるもの。

地を護るのも、地を潤すのも、全ては魔力に依る。その地を統べる貴族の勤めは、領民の安寧を護り、大地の恵みを補うこと。ひいては王国を支えるという意味もある。

それを平民、孤児に使うなど、本来ならば考えられない。それでも彼女は一人を救い、その後も幾人もの平民を癒したという。


領地に住まう領民ならば、働きを認められれば多少は魔力のお(・)こ(・)ぼ(・)れ(・)に与れることもあるだろう。領地の主要な人材ならば、領主にとっても癒す意味があるというもの。

そして王都は王族の直轄。王族にとっての主要な人材は貴族であり、常日頃、民が王都の堅牢な外壁と魔法陣により外敵から守られているとはいえ、その恩恵を感じることは滅多にない。そしてそんな中で王都民を、それも孤児を救った女性となれば——神殿が彼女を聖女と認めるのも自然の成り行きとなった。男爵令嬢ではなく、一人の女性への感謝を示すために。


歓喜に湧く民衆。


しかし、それは貴族社会には全く関係のない、茶会の話題にも上らない程度の話であった。

自身が耳にしたのもたまたまである。寄子の子爵令嬢から溜め息混じりの相談として聞いたもの。貴族に、平民への治療を期待されても——と。子爵令嬢の心底困った声と殿下の突然の話題。どのように応えるべきか。


取りも直さず『だから?』と問うように微笑み、茶器に手を伸ばす。


繊細なレースが手の甲をくすぐった。

手首を留める濃紺の飾り結びは、もう少し色が薄い方が好みだ。けれど、縫い込まれた淡水真珠も、重い色味を薄めることはできないでいた。

私は流れ落ちる飾り結びの端をそっと捌き、視線で続きを促す。


「君には話してはいなかったが、私は学生時代からラーナ……いや、男爵令嬢のスクリヴァル嬢と交流があったのだ」

「まぁ、左様でございますか」

「そして件(くだん)の男爵令嬢はラーナ=スクリヴァル嬢」

「では、殿下がお親しくされていた令嬢の祝事、心よりお祝い申し上げますわ」

「……ありがとう。いや、それだけではなく……彼女とは……彼女は……」

「殿下?」


言葉を選んでか、言い淀む殿下に微笑みかける。公の場でこのような態度はいただけないが、この程度にいちいち目くじらを立てても仕方がない。そっと水を向ければ、強張った舌も多少は動くだろう。


「スクリヴァル嬢ですが……どういった経緯でご交流が?」


小首を傾げて問う。


王族と男爵令嬢。

爵位で分けているのではないが、魔力量によって修める内容が変わる。


魔石に込める。

領地へ収める。

魔法陣に収める。

そして国に納める。


多岐に渡り、方法も加減も変わる。それを一つずつこなして、貴族は貴族の義務を果たすのだ。


「あー授業で……」

「殿下と令嬢、そして王族と下位貴族。合同の授業などありましたでしょうか?」


生来の魔力量に差があれば、私でさえ男爵令嬢と同じ授業などなかったはず。

お茶会などの社交演習ならば、会場の端と端ほどの距離、同じ授業を受けたともいえなくはないが——そもそも殿下とスクリヴァル嬢、男女である二人が共に歩ける授業などあっただろうか。


ふっと笑みが溢れる。


「放課後、魔法の実技演習場で幾度か隣り合わせたのがきっかけでね」

「演習場ですか?」

「あぁ、魔力操作が苦手だと練習していたそうだ。コツが掴めるまで、何度か指導を……」

「まぁ、そのようなご縁で?」

「ああ、熱心だが指導者には恵まれなかったと見える。少しコツを教えただけでメキメキと上達をした。……まぁ、もう少し指導は必要のようだが……」


もう少し何を指導されると?

それだけではないでしょうに。


「まぁ、魔力操作が苦手などと……」

「彼女を否定するのか?」

「まさか。聖女ともなられた御方が、魔力操作が苦手などと、殿下も酷いことをおっしゃられると思ったまで」


扇子を揺らし、小さく笑い声を上げる。


「ですが、神殿より聖女と認められるなど、随分と優秀なお方なのでしょうね」

「アナスタシア……」

「さぞかし魔力量も」

「いや……彼女の魔力量は……」


下がる濃紺の視線。


「それにしても、平民に魔力を分け与えるなど、なんと心優しき令嬢なのでしょう。私どもにはとても真似できませんわ」

「男爵家は……領地を持たぬ故」

「まぁ、ご自身のお家の事情、そこまで詳しく?」

「…………君との……君との婚姻後、愛妾として迎えたいと思っていた女性だったのだ」

「さようで」


政略結婚ではよくあること。

だから私は静かに微笑む。

その程度の些事、気にしていない、と。


愛妾は愛妾でしかなく、決して表に出ることはない。それさえ納得しているのならば、この男に愛妾が何人居ようと、どうでも良いこと。


「ええ、そう言った意味では、私もスクリヴァル男爵令嬢のことは、以前より存じ上げておりましたわ。やっとお話しくださいましたのね」


スッと冷ややかな声音となるのは致し方のないこと。

好き勝手しながら誠実ぶるこの男に、少しくらい圧を掛けたところで構うまい。少しだけ声音を強くすると案の定、易々と視線を逸らされた。


「ですが、それが何か?」


この国の律令では正室以外から生まれた子は庶子となり、家名は持たない。愛妾の産んだ庶子に家名を望むならば、どれほど高位貴族であろうと正室の承認が絶対条件。

彼の実母は正妃ではないが、この国唯一の側妃だ。結果、彼は庶子ではなく第三王子。だからか、このように認識が甘いのだろう。


「アナスタシア……これから話すことは私の勝手。だが、理解し、受け入れて欲しい」


レオニード殿下の、低く呟くような声。自分でも何を言わんとしているのか、理解しているのだろうか。


伏目がちだった彼の濃い青い瞳が、不意に真っ直ぐに私を見据えた。


「申し訳ない」

「……何に対する謝罪でしょう?」

「……今までの君。そしてこれからの君にだ。君が誰よりも素晴らしいことは理解している」


私はもう問い返すことなく、ただ黙って微笑み、先を促す。


「しかし――ラーナは神殿の認めた聖女」


ええ。

知ってるわ。

ずっと見ていたもの。


「王家が、民衆のための聖女を奪うわけにはいかないのだ」


そうね。

私たち貴族にとって当たり前の魔力。

けれど、民衆にとっては得難い能力。


それが表舞台には決して登らない愛妾として王族に囲われるなど、誰が納得するというのか。

しかし、第三王子の立場では側妃は迎えられない。側妃を迎えられるのは王と王太子のみ。そしてどう足掻こうとも、レオニードにはその資格は無い。


ねぇ——貴方はどう動いたの?


私は薄く微笑む。


ねぇ


「殿下……一つ伺ってもよろしいでしょうか?」

「あぁ、父上より……国王陛下より、君には誠意を以て尽くすようにとのお言葉を賜っている」


卓上に置かれていた彼の手が、握り拳をつくるのを私は冷めた目で眺める。

観客の前での彼はやや大仰で、芝居がかったその振る舞いは拙い。本人がそれを理解していないのが残念だったが——今はその残念という感情すら湧かなかった。


「それは……昨年のことですか」

「アナスタシア、何を……」

「殿下の学院卒業後、最初の巡行でのことでしょう? 私も父から聞き及んでおりましたわ」


扇子の下、薄く嗤ってやる。

義父となる公爵にすら、無様な暴走は知られていたのだと、嗤ってやる。


抑えきれぬ感情の揺れに、はしたなくも扇子が揺れてしまうが許してほしい。


「君は、知っていながら……」


私の一言に、怒りか羞恥か、目元が一瞬赤らんだがすぐに——目を見開いた。


あら?


「アナスタシア、君は……」

「レオニード様……」

「君の気持ちは——」


その反応、貴方は揺れる扇子に何を見たというの?


馬鹿馬鹿しいと思いつつも、私はただ微笑みだけを返す。


女が『つまくれない』に染められることに、何の問題もない。夫を迎えることに魔力は影響を受けないし、むしろ次代に血を繋げることは推奨されるべきこと。

ただ——妻として立てない立場で爪色が染められるのは別問題。殊に、貴族女性の未婚の『つまくれない』は、一般的社会では存在しない。


ならばどうするのか。


「アナスタシア……今まで私を支えてくれた君には申し訳ないとは思っている」


握り締めたレオニードの拳が震えている。


それは掴んだ未来への歓喜か、与えられた未来への絶望か。


「殿下……私の何がご不満だったのです?」


そっと囁くように言葉を紡ぐ。


貴方はどの未来を選んだの?

ねぇ、教えてくださいな。


「君に不満など……」


ええ、持たれるはずなどない。

私はこの国最高位の独身女性として、過分であっても不足などあり得ない、そんな在り方をしてきた。


「では何故? このようなお話を私に?」


小首を傾げ問う私に、王子は視線を伏せ、口を開く。


「私は彼女を手放すわけにはいかないのだ」

「筆頭公爵グラノヴェルが嫡女であり、王太子の最側近であるヴァシリー・ヴィクトロヴィチ・グラノヴェルの同母妹である私を、もう要らぬ、と?」

「要らぬなど!——君を要る、要らぬと言っているのではない。ただ深く考えた結果——」


考えた結果が、筆頭公爵令嬢を妻に迎えるというのに婚姻前から愛妾を持つということ?

愛妾といいがらも妻紅色の——子を成せる女を侍らせるのが、深い考え?


余りにも浅(・)い(・)、彼の深(・)い(・)考え。


私はじっと目の前の男を見据える。

最後の一手は、彼が成すべきだ。それくらいは役に立ってもらわねば。


「私はラーナを……私はもう、聖(・)女(・)ラーナを望むしかないのだ」


爪を染めた未婚の女性。

しかし、その女性を隠すことはもうできない。

隠せば——人心は王家から離れてしまう。


「済まない……アナスタシア、君との婚約解消は……この話はグラノヴェル公爵の了承も得ている。貴族院の承認請求は審議待ちとなっているのだ。君に伝え、納得してもらえれば全てが動き出す」


言い切った。

私は静かに目を閉じる。

じわじわと湧き上がる感情。


嗚呼……

貴方は選んでくださった。

聖女と公爵令嬢。

どちらを取ってもおかしくはない。

——いえ。時政を考えれば、どう足掻いても公爵令嬢を取るのが正しい状況だ。

万が一にも彼が正しい判断をする可能性も——父は、最後まで読めないと言っていた。

けれども、彼はラーナ嬢を選ぶという。


「レオニード王子殿下……」


知らず、声が震える。


王子妃の座をあの神(・)殿(・)聖女に譲れという宣言に、待ちわびた言葉に体の奥底から嗤いが湧き上がる。


――やっと……やっと辿り着いた道筋の長かったこと。


私は歓喜の震えを必死に抑える。


学院時代より貴方が男爵令嬢にう(・)つ(・)つ(・)を抜かし、水面下で地道な根回しを繰り広げていたのは、我が家の『影』からの報告で知っていました。

持ち得る手札を必死に切り、掻き集めたのは何なのでしょう。


彼女の最大の問題はバリック程度しかない魔力量。下位貴族ならば問題なくとも、国を護り、統べる者には決して混ぜてはならぬ血。

貴方は私財金貨五百枚を投じて増やそうとしましたね。

苦い薬茶、治癒魔法で空になるまで絞り出す魔力。毎日が大変お辛そうでした。

目標はパンチョン。上位貴族の養女とすることでしたが、彼女の才ではホグスが限界でしたね。

貴方たちの絶望如何ばかりか。

そして私の絶望も。

ですが配位のすげ替えを、その程度で諦めるなど許さない。


ええ。

神殿の祭祀にも欲はあります。

私どもは、そっと背を押しただけ。それでも——ここまで丁寧に盤面が整ったのなら、私が返す言葉もただ一つ。


「第三王子殿下レオニード様、今までありがとう存じます」


私は元婚約者に微笑みを向ける。


貴方と彼女、二人の血の滲むような努力のおかげで、私(・)の(・)一つ目の問題は綺麗に片付きました。


感謝しかない。


私は筆頭公爵令嬢らしい優雅な所作で立ち上がり、王妃が感嘆のため息を漏らすカーテシーで暇乞いをする。


「殿下のお望みが叶いましたこと、心よりお祝い申し上げます。今後は新たな伴侶である聖女ラーナ様のみをご覧になりますよう、伏してお願い申し上げます」


私の言葉と同時に、微かに感じていた魔力の気配が消える。

承諾と共に、私に付いていた『王の手』が外れたのだ。


淑女らしからぬ満面の笑みが抑えられない。

婚約から九年、初めて心の底から感謝と笑顔を貴方に向ける。


「アナ――」

「家名でお呼び下さい」


王族が相手であれ、今や何の縁もない者同士。名を許すはずもない。

私はレオニード殿下へ冷ややかに言い放つと踵を返す。


宿下り中の側妃殿下へ早馬が届くまで、あと数日。周辺諸国が動き出すのは、もう少し早いかもしれない。


ここから先、競う相手は時間のみ。


アナスタシア・ヴィクトロヴナ・グラノヴェル。

この名と責任の行方は私が決める。


美しい春の午後、遠くで雷の低い音が響いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。