17-優しい社交
高位の者であるほど、エルミタージュの妃たちを招くことに躊躇いはない。
夫人たちも然り。
茶会に始まり、サロン、晩餐会、夜会——そして領地運営へと続くのだから。
「アナスタシア様、ようこそお越しくださいました」
美しく飾られたテーブルは、庭に咲き乱れる花の一番よく見えるところに用意されていた。
本来、エルミタージュでは未成年は見習いの扱いとなる。公娼妃としての実地経験のある姐様と一緒に招かれるものだが、昼日中の女性社交においては、未来の王子妃として完璧と名高かったアナスタシアに指導できる者のほうが少ない。
結果、アナスタシアは今日も一人で——背後には侍女と護衛を引き連れての参加だ。
「先だってご紹介頂きましたあの商会、早速このように」
侯爵夫人の視線で招く先には、美しく配置されたティーセットが並んでいる。
彼女の幸せそうな視線は、彼女の宝物を順に追う。
「侯爵夫人の——」
「あら嫌よ。アナスタシア様には名前呼びをお願いしていたはず」
「マチルダ様のお役に立てたようで何よりでございます」
柔らかに微笑むマチルダに、アナスタシアもまた、柔らかく微笑み返す。
侯爵夫人であるマチルダは、元は伯爵令嬢——それも帝國籍の貴族だった。
しかし帝國と王国、所属する国、仕える主を違える者同士が繋がる縁など、国境越えの手続きの煩雑さから高位貴族でもそうそうあるものでもない。
その煩雑な手続きを越えてまで望まれた令嬢と侯爵家継嗣との縁は、前々回、この国で執り行われた列冠会議後のレセプションから始まったという。
表向きは。
帝國皇帝と共にこの国を訪れた随行の一人の伯爵が、様々な理由で好奇心旺盛な一人娘を伴っていた。当然、仕事で訪れた会談に伴うことは叶わず、さりとて同じ随行員の同伴者である夫人たちとの茶会参加にも限界がある。
結果、王子妃教育で王宮に出入りしていたアナスタシアとの邂逅が果たされた。当時11歳のアナスタシアと19歳のマチルダ。
階位も年齢も離れた二人。けれども、その好奇心旺盛なところは二人ともよく似ていた。
そして複雑に絡み合った縁は、マチルダを王国に繋ぎ——押しも押されぬ社交界の花となった。
華やかな性格と容姿の彼女は、今でこそ社交界の若人の中心。しかし生まれも育ちも帝國である彼女が最初から受け入れられたかと問えば、誰もが否と答えるだろう。それが公爵令嬢アナスタシアの添える言葉が、手配りが、今の侯爵夫人の足場を作る一因となった。その恩義を忘れてはいない彼女は、あくまでもアナスタシアを最上位の友人とする。
が、貴族の爵位、立場、時間を学びきれていない者はどこにでも存在する。聞き齧った噂と消化しきれていない知識。声高に叫ぶ彼女を制する者の不在。ある意味、彼女は不幸だったのかもしれない。
「よもやアナスタシア様のお輿入れ先が見つからないとは、思いもよりませんでしたわね」
和やかな茶会。
用意された茶葉や菓子をひとしきり楽しみ、三々五々に侯爵家自慢の庭を楽しんでいる時に漏れ聞こえた一言であった。
それは年若い——昨年学院を卒業し、春に伯爵家から寄り親の伝手でこの侯爵家末弟に輿入れした若い夫人の声だった。
教育も兼ねて、侯爵家は末弟一家を敷地内の離れに置いた。そのため、本日の茶会にも参加していた。
その最中、いまだ学生気分の抜けきらない友人との会話で漏れ出た言葉だった。タイミングが良いのか悪いのか。散策しながら交わされていた声は、東屋で集っていた侯爵夫人と正客——今まさに侯爵家が推し進めている事業の取引相手——の耳に届く。そしてそこには親交深いアナスタシアの姿もあった。
侯爵夫人の目が僅かに見開かれた。
「テレーゼを下がらせて頂戴」
マチルダは目配せで侍女を呼び寄せると、硬い声で指示を出す。侍女はすぐさま東屋を辞し、小径を行く次男夫人に足早に近づいた。
「え? ですが……」
テレーゼは招いた客をもてなしている最中。
呼び止められ、囁かれる義姉付きの侍女の言葉に困惑しかないのだろう。表情が揺れている。
「お急ぎください」
無機質な侍女の声に、更に困惑が深くなる。
侍女の視線を追えば、そこには東屋で親しい友人に囲まれている侯爵夫人の姿。
「あの……お義姉様、何か——」
不手際があったのか。
歩み寄り、東屋の低い垣根越しに問いかける。
「体調が悪いようですね。お部屋でお休みなさい」
「私は何も……」
何故突然呼び出され、部屋に下がらせられるのか。
訳が分からず立ち尽くしていた。今日の茶会はそれなりの規模で、しかし侯爵家のしきたりにも大分慣れたろうと、同世代との交流を許された場。ずっと楽しみにしていたものなのだろう。
なのに、
「気づきませんの? 貴女に向く風の冷たさに」
冷ややかな義姉の声に、テレーゼの表情は強張り固まる。
婚約が成立し、輿入れしてからそれなりの時間は過ごした。が、ここまで冷淡な声は聞いたことがなかったのだろう。控える侍女の表情もテレーゼと同じく失われた。
「お……お義姉様……」
「まぁ、マチルダ様、ヨシュア卿の妻女殿にご挨拶申し上げたいですわ」
アナスタシアの言葉に、東屋の婦人たちが扇子で口元を覆う。
「わ、わたくし……」
アナスタシアの呼びかけに、テレーゼは改めて顔を向ける。
学院での学年が違ったため、これほどまで彼女に近づいたのは初めてだった。
遠目で見た彼女は高位貴族令嬢然とし、いつも最上のドレスを着こなし、高位貴族の取り巻きに傅かれていた。
テレーゼと同じく下位貴族の友人の妹たちの話を漏れ聞いても、直接の交流を持った話など一つもない。
そのアナスタシアの転落。
公爵令嬢であったのは確かだが、今はただの公娼見習い。家そのものが没落したわけではないが、第三王子の婚約者の座から滑り落ち、当主に次の婚約を整えてもらえることなく娼館に身を寄せるしかなかったようだ。嫡女とされていたが、ひょっとすると庶子上がりだったのかもしれない。
彼女が今後公娼を終えたとしても、貴族令嬢に戻れるはずもない。精々誰かの後添いか愛妾か。子を得たとしても同じく庶子とされるか。
対して子爵家の一令嬢であった自分は、次男とはいえ侯爵家と縁付いたのだ。それも正妻として。勤勉な夫ならば、侯爵家所有の子爵位辺りを譲られるだろうと囁かれてもいる。
ならば、順当に行けば自身が産む子も無事貴族でいられる。
なのに呼びかけてくる敬称は『卿』『妻女』。
明らかにただの貴族籍を示す単語だ。
ぶるり、身を震わせる。
冷たい手が、心臓を撫でたようだ。
アナスタシアは義姉か、義姉の友人のお気に入りの令嬢だったのだろう。彼女たちの苛立ちはその所作からも窺え、自身の失敗は悟った。
しかし公娼館の娼婦に、何を遜る必要があるのだろうか?
「確か、お言葉を交わすのはこれが初めて。アナスタシア・エルミタージュですわ。アナスタシアとお呼びくださいませ」
伸びた背筋。
完璧な笑みと共に掛けられる言葉。
「ヨシュア・ヴァルデンベルクが妻、テレーゼにございます。テレーゼとお呼びください」
「ありがとう存じますわ。テレーゼ」
「……ええ」
テレーゼの唇は微かに震えた。
緊張か、不満か。
マチルダの眉が僅かにひそめられる。
どちらにせよ、これ以上テレーゼをここに留め置くことはできない。マチルダはそう判断するしかない。
「アナスタシア様、皆様、本日は誠に申し訳ありません。テレーゼ、やはり少しお休みなさい。誰か」
感情を取り繕えない義妹に、マチルダは小さく溜め息を吐き、侍女を呼び寄せる。
やはり末弟の嫁とはいえ、子爵令嬢程度では教育の粗が大きすぎたか。
「マチルダ様、誰にでも不調はあるものです。あまりお気になさらずともよろしいかと」
「アナスタシア様……」
言葉は続かなかった。
テレーゼは侍女と共に部屋に下がり、友人たちは何事もなかったかのように笑いさざめく。
マチルダにとっては、アナスタシアに対して今まで以上の借りと恩義が積み上がっただけだった。
ストック無くなりました…
出来れば次回は25日




