13-誤認_後編
連絡を受けた時、血の気が引くどころではなかった。
彼女は、高魔力保持者。王国から出すわけにはいかない血統。それを帝國皇帝よりの申し入れを退けるために、一時エルミタージュに身を寄せたという。
それが何を意味するか、上位貴族なら誰でも分かっている。
名分ではなく実利。
いかにも公爵家らしい判断だった。
確かにエルミタージュのその外交手腕、切るカードの巧みさからの堅固な扉は、他国の王侯貴族であっても易々と開くことはできない。新たな縁が整うまでの避難所としては最上。恐らく、彼女は卒業後には何事もなかったかのように領地へ戻り、改めて婚約が整えられるだろう。
それでもエルミタージュ入りは、公爵家の嫡女たるアナスタシア様にとっては瑕疵となる。例え爪は染めなくとも、一時とはいえ階級を越えた交流を持ったのだ。彼女が高位女性である限り、それは許されることではなかった。
ならば——その伴侶たるは、能力さえ示せば家格や継嗣など問われない。いや、場合によっては庶子にすら機会は与えられるかもしれない。
要はアナスタシア様に気に入られさえすれば良いのだ。
しかし——
耳の端で拾った『追い出された』『客』と言う言葉に思考が止まった。
エルミタージュの扉の向こうに隠された公爵家の至宝——公爵家の彼女への溺愛ぶりは、どこまでも広く知れ渡っている。易々と手放すはずのない存在。たとえ何があっても、覆ることのない現実を見誤るなど考えもしなかった。
いや、今回のこの件、対応を僅かでも間違えれば、寄親は些かの躊躇いもなく伯爵家ごと切り捨てる。
「ダニール、それとそこの……」
視線は腕を抱えて蹲ったままの令息に向く。確かこの男も寄子の子息だった。
「二人纏めて……いや全員ついてこい」
「でも、アルノーの手が……」
「他派閥へ恥を晒すな! 魔力で止血くらいできるだろうがっ! 黙ってついてこいっ!」
「でっ、でも手が——」
「そこに落ちてるのも拾っておけ。必要なら、後で付けてやる」
首元を締め上げ、低い声で囁く。
もう遅いかもしれない。
だが、他派閥でも状況を理解していない者もいる。教えてやる義理はない。
「で? 私のところへ来たと言うわけか」
気怠げな声はバルディス先生。
自分の背後には直接関与した二人と面白がって止めなかった三名の令息。いずれも寄子の継嗣たちだ——今少し前までは。
まだ考えは及んでいないだろうが、私の様子に拙いことをしたのは理解できたのだろう。皆青褪め、俯いている。
「分かっていると思うが、私は学院教師だ。バルディス家の者として対応することはできん」
「はい。ですが……バルディス家の者としてではなく、グレゴール・バルディスという一人の人間として、私……マクシムの従兄弟としての助言をお願いしたいのです。」
握りしめた拳が僅かに震えていた。
バルディス先生のこの溜め息は、確実に厄介ごとの気配を察している。
「……で、何をやらかした?」
——この反応、ゴクリ、と喉がなる。
が、ここで見捨てられたら、切り捨ての大鎌は己の真上で振るわれてしまう。
「……我が家の寄子が、エルミタージュの意味も知らずにアナスタシア様に無礼を」
「うん?」
「公娼と娼婦の区別を……つけていませんでした」
「はっ?! まさか……」
先生のいつもは気怠げに細められている緑の瞳が見開かれる。
「アナスタシア様を娼婦扱いし、客として——」
「止めてくれ。それ以上口にすれば命が幾つあっても足らんぞ」
手を上げ、仕草で押し留める。
「発端がミルヒット家のアルノー。それをうちの分家のダニールも煽ってしまい……」
「ダニールか。俺の再従兄弟になるな……」
家格もあってほとんど面識はないだろう。が、貴族の辛さか、先生も完全に縁がないとは言えない。
このまま巻き込めれば——
「で、伯爵家継嗣としてはどう判断する?」
先生らしい、授業内容を問うような口調。しかし暖か味は一切ない——ここでの間違いも、僅かも許されないようだ。
「アナスタシア様の護衛はグラノヴェル家に報告は上げるとのこと。報告が届く前に、こちらから事実関係を伝える必要があります」
「当然だな」
「早急に公爵家への謝罪親書を父と連名でお届けします」
一般的な対応だ。間違いようがない。
そして——
「暴言を吐き、あまつさえ護衛に剣を抜かせたアルノーは廃嫡」
「えっ?!」
突然の言葉に傷の痛みも忘れたのか、目を見開く。
彼にしてみれば、たかだか自分から娼館の扉を叩いた好き者の女を揶揄っただけというつもりらしい。
——元は高位だったか知らないが、この先は男の情けに縋る身。それを思い知らせてやろうと——
「黙って聞いていろっ! アルノー同様暴言を吐いたダニールは2ヶ月の自領謹慎」
「待ってくださいっ!」
叫ぶ声には明らかに焦りが込められている。
2ヶ月も謹慎させられては進級単位が取れなくなるのは明らか。いや、一週二週程度ならばなんとかなるが、月単位となっては卒業後の進路にすら影を落とすのは確実。
「見ていた三名は1ヶ月の自宅謹慎」
本人たちにとっては、ただそこにいただけのつもりだったろう。近寄ることすら憚れる元公爵令嬢を間近に見る機会と……あわよくば——の下心で側にいただけだとも取れるが——
「何で……ただ元高位貴族の女を……」
止まらない暴言に、マクシムの拳が翻りダニールが蹲る。
「何で……」
助けを求めるように、今度はバルディス先生に縋るような視線を向けるが——
「まぁ及第点の反応と結論だな」
「先生まで何で……」
「当然だろう。お前たちの浅慮、一門の現在進行形の危機だとわからないか?」
先生の溜め息混じりの言葉に、立ち尽くしていた他の者たちも膝から崩れ落ちるが、認識が甘過ぎる。
「知る必要のない知識だが、知らなくて良い知識ではない。お前たち下位貴族の者が、公娼と関わったと言う話は聞いたことがあるか? それもエルミタージュと」
伯爵家ですら雲の上の話。
寄親の夜会でようやく目にする事ができるかどうかだ。それも、余程の人脈を積み上げていなければ、囲む人垣にすら近付くことなどできるかどうか。
公娼の話は、虚勢を張る上級生の話で漏れ聞く程度だ。男爵令息ならば、その虚勢をどう受け止めるか。
——熱く蕩ける視線と芳しい香り。甘く蕩ける唇は、年頃の男子が夢見る全て。
「先生が……バルディス先生だって、学院の教師程度でエルミタージュへ何度も……」
汗と涙と流した血で顔に斑らを描きながらもアルノーは声を絞り出し、マクシムとバルディスはその答えに頭を抱える。
事実とは程遠い、聞き齧り程度の噂話。
「叔母上——いや、縁戚からの手紙と荷を預かり、届けているだけだ」
「ああ、それにバルディス家は侯爵位。男爵程度のお前たちとは次元も違うだろうがっ!」
「だけど、一番の公娼と……先生は継嗣でもないし……」
教師程度が馴染みになれる娼館。そんな認識だったのか。
「家の事情に口出しするな。それとザラターヤは幼馴染だ。いや、そんなことは関係ないな」
「バルディス先生……」
「いい。今回だけは手を貸してやる。だが二度と関わるな。公娼——特にエルミタージュの公娼妃には『妃』が付く。理解できるか? それはユリアス王弟の『仮初の妻』を示す称号だ。婚姻ではない。だが、その地位と不可侵は王弟妃に準ずるということだ。お前たちはそれを娼婦扱いした。その事実だけでどう処分されるか。想像できるか? 寄親の北の辺境伯にも話は通す。そこから先は各自の家の判断だ。恨むなよ」
バルディス先生の眉間の皺は更に深くなっていた。下位の貴族程度では知ることも無かったろうが、軽率な行動は、触れてはいけない古い話にも繋がる。
マクシムも苦いものを飲み込む。
「バルディス先生の情け、言葉の意味を違えるな。公娼は、殊にエルミタージュの公娼妃と呼ばれる御方は、特定の家門に属することなく国家と貴族社会の均衡を担うために女性としての幸せを手放された方々だ。お前たちの立場では知る機会がなかったのかもしれない。だが、それは免罪符にはならん。お前たちは一人の女性の尊厳だけでなく、王弟殿下の名と、国家の制度そのものを踏みにじったのだ。許されると思うな」
二人の強い口調に、子供たちはようやく理解できたのだろう。
項垂れる者たちを引き連れ、マクシムは退室していった。
彼ならば、言葉通りに処理するだろう。
処理する——制度を理解し、運営する。
何一つ間違えてはいない。
が——
「ザラターヤ……最近は学院からエルミタージュへ入る者もいなかったからな……」
バルディスは小さく呟く。
金糸雀を思わせる美しい従妹殿。
学院へ入ってから、あれほど魔力が伸びさえしなければ——目を閉じて思い出されるのは、青い空と緑の森の中で唄う少女だった。
美しい金糸雀の声は肉体だけでなく魂をも癒す歌声——
次回 16日20時
【14-鈴蘭】




