11-初めてのお遣い
幾台もの馬車が、学院に向かう。
様々な家紋、意匠の馬車が、王都大通りを行くのは毎朝変わらぬ風景だった。
しかし——
「おいっ!」
気づいた者が、傍らの肩を小突く。
「ありゃぁ……」
「何処ぞが没落したか?」
「いや、聞いてないね。それより逃げ出したんじゃなかろうか?」
「逃げた先が娼館か?」
どっと笑い声が上がる一方で、目端のきく商家の小僧は慌てて店に駆け戻る。
貴族家一つが潰れれば、巻き添いを喰らうのは平民の商家だ。
「旦那様っ! 黒妃の馬車がお貴族様の学院に——」
◆◇◆
カラカラと軽快な音を立て、黒塗りの馬車が滑るように正門を抜けた。
見るからに家格が高いらしく、馬の毛艶も良く、また車体も最新のものだ。ただ——家紋を表す金の縁取りの中央は、のっぺりと黒く塗りつぶされていた。
「……何? あれ」
徒歩通学の騎士爵令嬢と、商会の一人娘が連れ立つ横を駆け抜けた。
馬車止めに並ぶ列の横もすり抜け、最奥も最奥、第三王子が卒業して以来使われていなかった王族専用の留め場まで一気に進んで行った。
「ねぇ、何処かの王族が留学に来るって聞いた?」
「知らないわ。でも、何だか……」
暖かな春の日差しに似つかわしくない、艶やかな黒の車体。何処か不穏な空気を纏っている。
「おいっ! あれ、エルミタージュの黒馬車じゃないか?!」
叫ぶ男子は男爵令息か。
作法も忘れて指を指す。
しかし、その知識は正しい。
金の縁取りは花弁を表し、中央が黒というのは——エルミタージュの花紋なのだから。
そして、そのエルミタージュの箱馬車から、優雅な所作で降りてきたのは、第三王子の婚約者として知られる、筆頭公爵令嬢アナスタシアだった。
◆◇◆
「朝から凄い騒ぎだな」
「あぁ、バルディス先生はご覧になりましたか? 私はてっきり先生があちらから直接お戻りになったと思っていましたので、貴方が此処にいらっしゃることに驚きましたよ」
さらりと軽く言葉にするが——その内容はかなり問題がありそうだ。
学生時代からの付き合いがなければ、相手を貶めているとも取れるだろう。
「モンテロ先生も言うね。残念ながら昨夜の花は、返ってこなかったんでな。まぁ、継ぐ領地を持たない教師程度ならば、受け取ってもらえるだけマシだがね」
肩を竦めて軽口を返すが、二人の視線は続き部屋の扉に向けられたまま。一瞬たりとも外れはしなかった。
暫しの沈黙が辺りを占める。
他にも数名居た教師たちも、浮ついた令息たちを諌めるためか、動揺する令嬢を落ち着かせるためか、皆、いつもより早くに教室に向かっていた。
今ここに居るのは、この時間受け持っている専科のない二人だけだ。
「で……本当なのか?」
「ええ」
バルディスの問いに、モンテロは肯定する。
「筆頭公爵令嬢アナスタシア・ヴィクトロヴナ・グラノヴェル様が、まさかエルミタージュに向かわれるとは……。第三王子殿下との破談に公爵家が放逐。或いは自暴自棄か。バルディス先生はどちらだと?」
以前より、第三王子の男爵令嬢への関わりは度を越している、と囁かれていた。そして先般、その問題の男爵令嬢が、下級とはいえ神殿の聖女認定を受けたとなれば——彼女はただの下位貴族ではなく、その身は神殿預かり。古のしきたりでは、王族と縁を結ぶことも望める身分。
その結果が本日の黒馬車となれば——
「しかし、どちらもあり得んな。公爵家の男どもの嬢への溺愛は比べるべくも無い。亡きエリザヴェータ様に生き写しである上、あの魔力と智力。そもそもあの婚約だって、エリザヴェータ様が体調を崩されなければ領内で守り切っただろうね」
「側妃はグラノヴェル家の隙を突き、今回は突かれた、というわけだ」
「ああ、確かに。戦時中ならまだしも、この天下泰平の世の中、下位聖女が何の役に立つ? あの計算高い側妃の駒に、聖女なんぞがなれると思うか?」
「雑兵とて無理でしょうね。聖女とは言っても本来ならば平民に与えられる位。下位聖女ならば魔力量も精々ホグス。所詮男爵令嬢、足掻いたところでパンチョンには届かなかったのでしょうね」
バルディスも肩を竦める。
バリック、ホグス、パンチョン、フードル——魔力の単位はこの四種しかない。が、パンチョンですら、フードルとの間には虫と神ほどの差があるとも言える。それがホグス止まり。
「フードル級と噂されているアナスタシア様を捨ててホグスを取る。知ってるか? 人はそれを馬鹿って言うんだ」
「不敬です。せめて『真実の愛』とでも呼んで差し上げてください」
互いに肩を竦め、苦笑を浮かべる。
教師という立場から、官報には目を通す。
一昨日成立した、第三王子レオニードと筆頭公爵嫡女アナスタシアの婚約解消は、周知の事実。寮生が半数を占めるこの学院でも、今日明日には知れ渡るだろうと身構えてはいた。
しかし——
「しかし、婚約解消の勢いでそのままエルミタージュへ向かったなどと信じる者は——」
「おらん。だから皆で理由を探す」
「何処をどう探しますか? この国最高の高位貴族で高魔力。比べくもない最上位の淑女。生まれるのがあと一年早ければ、王太子妃の座は彼女のものでした。それほどのお方。望むなら……いえ、望まずとも列国の名門がこぞって求婚するでしょうね。伝説のアリアズナ王女殿下の時のように」
伝説と呼ばれる100年近く前の王女。側妃腹ながら、魔力量と才覚は当代随一と謳われた。
他国よりの婚姻申込の使者の列は、国境間際まで伸びたという。
「ああ、アリアズナ王女殿下と同様に、帝國皇帝すら欲する最上の淑女だ」
「はっ?」
「一昨日、第三王子と婚約解消が成立した直後に、公爵邸に釣り書きが届いたそうだ」
「……随分と……しかし、どこからその話を?」
モンテロの問いに、胸元をポンと叩いて見せる。
花は無いがカードは返されたと言うことか。
「アナスタシア様は大扉を越えていたそうだ」
「流石……先読姫ですね」
「公爵が我が子可愛さに逃した、とは思わないのか?」
「エルミタージュへですか? 思いませんね。あの公爵閣下の溺愛、良くてマナーハウスでの物理的囲い込みでしょう」
「確かにあの血は聡い。アナスタシア様だからこそ、全てを見越しての大脱走劇だと考えた方が近いだろうな」
「あそこのあの血、ね……アナスタシア様が一番顕著ですね」
「だからこその婚約、だからこその求婚。知らぬボンクラは聖女ラーナを選んだ」
「ふふふ……完遂のお祝いは何でしょうね」
「学院から注進を上げた折、王太子殿下が黙認を仄めかされた時は、まさかと思ったが……側妃ナターリヤ様からの刺客には気をつけるしかないな。逆鱗を引っ剥がしたようなものだからな」
首を竦め見合ったところに、扉が開く音がした。いつの間にか二人での会話に集中してしまっていたのだろう。
退出してきたアナスタシアを、引き留めようとしてか、普段は奥の席にふんぞりかえっている学長が、後を追うように戸口まで姿を現す。
「しかし、アナスタシア嬢——」
「メンドーサ学長、王弟殿下からの書状、確かにお渡ししましたし、私は授業がございます。これ以上のお話はございませんわ」
追い縋る学長に、アナスタシアは貼り付けた笑みのまま返す。
「授業に遅れております。書状へのご回答は直接エルミタージュまでお願いいたします」
「アナスタシア嬢っ!」
まだ何か言いたそうな学長に笑みを返すと、アナスタシアは部屋を後にする。付き添っている侍女もまた、躊躇いなく重厚な学長室の扉を閉じた。
「アンナ、この後は——」
「アナスタシア様」
「あら、バルディス先生! 丁度良かったですわ」
涼やかな声を返したアナスタシアは、先日までと打って変わって晴れやかだ。
「私に?」
「アナスタシア様?」
「モンテロ先生もこちらに? 私、授業に遅れたと思っておりました」
「一昨日の嵐で温室が少しね。しばらく私の薬草学の方は休講だ。バルディス先生にご用ですか?」
「ええ。バルディス先生宛に」
彼女は、控えていたアンナから何かを受け取る。
「姐様からのお遣いですわ」
アナスタシアは満面の笑みと共に黒の封蝋の巻紙を差し出した。
次回
【12〜誤認_前編】




