10-茶話会始め
空気の色が違う。
それが最初に抱いた感想だった。
白霞の扉の前でアンナは一礼する。ここから先は、ザラターヤとアナスタシアの一対一。初対面——夜会で遠目で眺めるだけで、実際に視線を合わせたことは一度もない。ただ社交界の常識として互いを認識しているだけで、単にお茶を楽しむような関係ではない。
少しだけ——ぴりりとした空気になっている。
ここはあれだけ望んだ情報戦の最前線。何を語り、何を手にすることができるのか。
深く息を吐き、気持ちを落ち着かせると扉の横に控えているエドアルドに頷く。
扉を開けるのはエドアルドの役目なのだろう。彼は礼と共に胸元のピンに触れると扉を押し開ける。入室の合図一つを取っても、無駄のない動きだ。
「アナスタシア様、見参にございます」
王城茶会並みの仰々しさ。
これは——
アナスタシアは一歩踏み入る。
美しく整えられた調度は白を基調としていながら落ち着いた雰囲気であり、趣味の良さが伺える。庶子とはいえ流石辺境伯令嬢。
兄の二つ下の学年で、その際立った歌声は、王族も参加する夜会へもたびたび招かれていたと言う。しかしそれは学生の間の戯れ。庶子である彼女は卒業後は寄子の次男と共に領地に引き篭もるはずだった。ホグス程度であった魔力が、突然パンチョンまで伸びなければ——
王族と交流さえ無ければ——彼女は籠の中で囀る金糸雀ではなく、大空を舞う一羽の小鳥でいられたのに、
アナスタシアは、最上級のカーテシーをする。
相手が王城並みの招待をするならば、それに応えるのが筋。
「御初にお目文字いたします。アナスタシアにございます。本日はお席をご一緒させていただき、ありがとう存じます」
「うふふ。そう固くならないでくださいな。ザラターヤよ。貴女とは、じきに言葉を交わせると思っていたのだけれど…随分と早くにその日が来てしまったわ」
緩く扇を揺らし、柔らかな声で返された。
ザラターヤ・カナレイカ——エルミタージュの金糸雀と謳われるだけのことはある美しい声だ。
「私もザラターヤ様とお言葉を交わせる日を、指折り数えておりました。こうして早くその機会を賜りましたこと、春の女神の御心のままと存じます」
カーテシーからゆっくりと上体を起こす。
早くも遅くもない、丁度良い拍を計る。
「この度は、女神の園にての作法をご指導いただけるとのこと、よろしくお願い申し上げます。また、なにぶん若輩者ゆえのお目汚し、至らぬ無作法はお許しください」
「うふふふ。流石アナスタシア様ですわ。王子妃教育も完璧に終え、あとは輿入れの日を待つばかりと伺っておりましたが、どうしてこちらにいらっしゃるのかしら?」
コテリと小首を傾げながらのザラターヤの笑みに、アナスタシアも笑みで返す。
「その祝賀につきましては、私より相応しき方が在られるとの下知。謹んで下らせていただきましたわ」
「まぁ、アナスタシア様を下されての新しき候補様とは、王家は何処の国の姫を招かれたのでしょうね」
レオニードのアナスタシアとの婚約解消は、突然とはいえ、議会承認を得ている。議会としては時期を見てアナスタシアへ申し入れをし、そこからの根回しとアナスタシアの新たなる輿入れ先の選定という心づもりだったのは確かだが、エルミタージュの名を持つ者が知らないなどあり得ない。
それでもアナスタシアも素知らぬ顔をして答える。
「聖女ラーナ様にございますわ」
「ふっ……ふふふふふ。随分と奇異なお話し。アナスタシア様はご納得されましたの? お答え如何によっては、私共のアナスタシア様へのお見立てを改めねばなりません」
お前はここに逃げてきたのかと問うザラターヤに、アナスタシアも笑みで応える。
ここで得た評価、この先の全てを決める。一切の誤りは命取りとなるだろう。
「レオニード様の望みはスクリヴァル嬢。王家のお望みも私以外。ならば私の取る道はただ一つ」
「それがエルミタージュだと? 確かに王弟殿下の袖の下ならば、他国からの申し出をお断りするに十分。ですが一時避難としては随分と思い切ったこと」
「……一時避難、と取られますか?」
アナスタシアは、微笑み小首を傾げる。
王弟ユリアスは、未だアナスタシアの選択を捻じ曲げたいと見える。
「あら? 違う、と?」
目を細め、伺う口元には笑み。しかし、その視線は冷徹な審判者。
「ザラターヤ様におかれましては、私のような雛鳥はお目汚しにしかならないとは存じます。しかしながら、私も学舎にて多くを見聞きし、そのゆえからの選択。どうか姐様の元にて新たなる学びの扉を開きとうございます」
「ふふ……ふふふ。アナスタシア様のご来訪、帝國皇帝よりのお言葉を退ける政治的な判断とみておりましたが……」
「皇帝よりのお言葉など、預かり知らぬうちにこちらの大扉を叩いております」
「それは良きお言葉。王弟の袖の下に打ち震える雛鳥ではないと?」
「魔鳥の羽ばたきに乗り、行けるところどこまでも行きとうございます」
「まぁ、そこまで仰るのであれば、扇の扱い程度は御指南いたしましょう」
ふわりと揺らされる羽根扇は、ザラターヤの柔らかな声を運んだ。
次回10日
11-初めてのお遣い




