13,少年の意思か、指導者の思惑か
『あなたは、やりたいと思う事をみつけなさい。それが、きっと力になるから』
少年が中学校を卒業した時の事。
唯一仲の良かった友達と仲違いをして沈んでいた少年に、母親はやさしくそう言った。
何を求めるわけでもなくずっと一人でいる少年を、見ていられなくなったのだ。
『……やりたいと思うこと?』
『そう。人にとって、多分、一番大事なこと』
母親は息子の姿を、昔の自分と重ねていた。
『できてしまう』というのは、なつみにとって必ずしも良いというわけでもなかったのだ。
その才能は、なつみに『失敗』を教えてくれはしなかったのだ。
失敗を知らずに生きてきた母親は、自分の過剰なほどの能力故に、いつしか目標を失った。
そして、そんな無気力な彼女を救ったのは、自分の息子の存在だった。
『わたしはね、あなたを守りたい。だから頑張って働くし、こうして傍にいるのよ』
息子が産まれた時、心から『守りたい』と、そう思ったのだ。
それを教えてくれた息子に、笑っていて欲しい。
彼女の初めて持った願望は、なんとも人間らしさに満ちていた。
『それはね、なんだっていいの。あなたが「やりたい」と思ったことは、他人にはなんてことないことかもしれないけれど、それでもあなたにとって一番大切なことだから』
母親は、自分の想いを余すことなく、自分の息子に伝えた。
そしてそれは、無気力だった少年の心に届き、しっかりと言葉として刻まれた。
ただ、その時の少年は自分のやりたいことがわからず。
わからないなりに、こう答えた。
『……じゃあ僕は、母さんともっと一緒にいたい。だから、母さんの代わりに僕が頑張って、母さんは楽して生活するんだ』
母親は息子のその言葉に目を丸くし、そして、今まで生きてきた中で、一番輝いた笑顔を見せた。
どうか、この子の優しさを理解してくれる人に出会えますように。
それがこの子の強さだと、気付いてもらえますように。
母親は、それだけをただ、願った。
一彦が暴走したあの日から、1ヶ月が経った。
研究の進行具合は、少年が新しい案を思い付かないことを除けば概ね順調だった。
『テル、早く使える案を持ってきなさいよ。超高温プラズマの研究、明後日には一段落するわよ?』
昨日アンナからそう聞かされた少年は、焦っていた。
アンナの研究は順調だったが、少年の方は、まる2ヶ月程なんの結果も出せていない。
自分の存在意義がいよいよもってわからなくなっていた。
そして、少年の気がかりはそれだけではなかった。
「つむぎ、どうしてるのかなぁ……」
今まで時々は顔を合わせることがあったつむぎと、まったく会えなくなったのだ。
何度か研究室の近くを覗いてみたものの、部屋のドアは閉ざされていて、閉め出されたちび太が忠犬のように待っていただけだった。
1ヶ月以上も自分の研究室に籠って出てこないつむぎが、少年は気になって仕方なかった。
「気になるか、少年」
リビングのソファで悩んでいた少年の隣に、綾は腰を下ろした。
「……綾さん。この前に過労で倒れたばかりでしょう。歩き回ってて大丈夫なんですか」
「いつの話をしている。もう体調を崩すことは絶対に無い。心配してくれたことには、感謝するがな」
綾は腕を組みながら、自信を持ってそう答えた。
ここ最近、自分への綾の態度が変わったと、少年は感じていた。
少しだけ、苦手では無くなった。
「……つむぎ、どうしてます。ご飯、ちゃんと食べてますか」
「健康状態に関してはなんら問題ない。運んだ食べ物はしっかり食べている」
「……そうですか」
1日3回、綾はつむぎに食べ物を届ける。
何度か運ぶの代わってもらおうとしたが、綾は許してくれなかった。
少年がつむぎの様子を知ろうとしたら、こうやって聞くしかなかったのだ。
「まぁ少年の疑問は、おそらく今日、晴れるだろう」
「? どういうことですか?」
「……と、噂をすれば。来たようだな」
綾が言ったそばで、ドアが開いた。
つむぎだった。
「え、あ、つむぎ!? 今までどうして……」
出てこなかったの?
そう言おうとして、少年は言葉を飲み込んだ。
「……アヤ、できたと思う」
つむぎのいつもの無表情が、そこにはなかった。
ただただ真剣で、必死な様子で。
いつもその瞳を通して見える光が、どこか陰っているように、少年には見えた。
つむぎは、それだけ言って出ていってしまった。
それを追うように、綾は立ち上がった。
「ついてきてくれないか、少年」
「……今の。もしかして、つむぎの研究が完成したんですか?」
綾は首を横に振った。
「……今日の結果はおそらく、つむぎを更に追い詰めることになるだろうな」
「……どういうことですか」
少年が尋ねても、綾は答えなかった。
「この装置、前までなかったよね……?」
つむぎを追って研究室に入った少年は、そこの変わりように驚いていた。
たった1ヶ月。前に見なかった装置が増え、元々配線で足の踏み場もなかった部屋は増えた配線が壁を伝い、まるで何かの巣のような印象へと変わっていた。
「……仕様、アンナに伝えたら、作ってくれるから」
「それにしたって、1ヶ月経ってないよ?」
少年は新しい装置をまじまじと見つめた。
筒形状の装置のようで、パッと見た感じでは、一彦のカプセルに似ている。
少年はなぜか、この間見た夢に出てきたものに似ている気がした。
「この施設には、データさえ有ればそのように作ってくれる便利な装置があるからな。少年の来る前の話だが、アンナがマシナリー研究の派生で作ったものだ」
「アンナって、ホントに凄いですね」
「少年にもそれぐらいの有能さが有ればいいのだが」
「……返す言葉も無いです」
少年は所在なさげに綾から視線をそらした。
自分だけ何もできていないという事実を指摘されて、どうしようもない自分を情けなく思った。
「……綾、準備できた」
「む、そうか。じゃあ始めてくれ」
「……ん、わかった」
つむぎは装置を動かし始めた。
冷凍保存された人間の解凍。
少年は教えられた研究内容を思い返して、その厳しさを考えた。
どう考えても、ひと月で完成する研究ではないと、少年は思う。
ただでさえ、何も情報がない状態での手探りから始まった研究だ。
そしてそれは、どれだけつむぎが優秀であろうと変わらない。
だから、先ほどの綾の意味深な言葉から推測すればわかる。
この実験は失敗する。
「……終わった、綾」
「よし、では確認するぞ」
装置のカプセル部分が開く。そこには、頭や腕などに線が繋がった男の人がいた。
血色は、悪くなかった。まるで寝ているようで、しばらくすると目を覚ましそうな様子だった。
だが、つむぎはその様子を見て首を振った。
「……失敗、した」
そう言ってつむぎは、男性の腕に触れて、様子を確かめ始めた。
状態は普通の人間と変わらない。肌の柔らかさも、顔色も、悪くなかった。
「どう、だめなの?」
少年はつむぎにたずねた。少年にはどういう状態かわからなかった。
「……自発的に呼吸、してない。……心臓は神経を刺激して……無理に、動かしてるだけ……だし」
「つまり、外の力だけで動いてるだけってこと?」
「……うん」
目を開いて瞳孔の動きがないことを確かめると、つむぎはへたりと座り込んだ。
つむぎの力なさげなその様子をみるのが、少年には辛かった。
綾は、そんなつむぎに話しかける。
「どうだ。データはとれたか?」
まるで失敗するのがわかっていたような口振りだった。
実際、綾の言っていた通りの結果になった。
「……うん。……とりあえず、今の装置じゃ、無理」
「それはよかった。次の実験に生かしてくれ」
淡々と、綾は命令を下す。
「……綾、この人、どうなるの……?」
つむぎは綾の袖口を掴んで心配そうな表情をした。
普段が無表情の彼女なだけに、悲痛な感情が伝わってくる。
「まぁ、このまま外に放り出して自然冷凍だろうな。このままにしておくのはエネルギーの無駄遣いというものだ」
「……そう」
綾は冷酷な決断をつむぎに告げる。それもまた、あらかじめ用意していた言葉のようだった。
その後、綾はつむぎの肩を叩いてこう言った。
「よかったじゃないか。一彦の体を使っていたら今頃、もっと後悔していただろう?」
つむぎは、綾から目をそらした。
触れられたくない話題であるかのように。
「それとも、一彦にもとに戻ってもらうのが、怖いか?」
「……っ!?」
つむぎの体が硬直した。少年の目にも、その動揺の度合いがハッキリとわかった。
その小さな瞳に、あきらかな焦りの色が映った。
「……すぐに、研究、するから」
「そうか。では、私達は失礼させてもらおう」
つむぎはすぐに、机にかじりついて研究を再開した。
少年はつむぎの憔悴している様子をみながら、綾に連れ出される形で、研究室を後にした。
「……一彦をもとに戻すのが怖いって、どういうことなんですか」
綾とリビングに戻ってきた少年は、彼女にたずねた。
あの一声で、つむぎの様子が激変した理由が、少年にはわからなかった。
「言葉通りの意味だ。少年ならわかるだろう? 仮に一彦が解凍されたとして、それがつむぎの理想と違っていたらどうなるか」
「それは……そうですけど」
つむぎの狂信的な性格から考えると、「偽者の一彦が生まれた」と思ったとしてもおかしくはない。
「あの子自身も、恐れというものを感じている筈だ。つい先程、人の命をイタズラに扱ったばかりだからな。当然の反応だ」
「……そう、ですよね」
少年の納得がいかない様子を見て、綾は言った。
「まぁ、『今の一彦』に嫌いと言われたのも大きいだろうがな」
一瞬、少年の思考が止まった。
「……今、何て言いました?」
「つむぎが、一彦に嫌いと言われたと言った」
現実には考えられないことだった。
……あの一彦が? 本当に?
様々な可能性が頭に浮かぶ。
だが、少年が行き着いた結論は1つしかなかった。
「何を考えてるんですか!?」
考えられる事の重大さに、少年は怒った。
冷静さを欠いて、綾の言葉が演技染みていることにすら気づかない。
「最近、つむぎと会えなかったのは、それが原因なんですね」
「だろうな。私としては、そちらの方が望ましい」
つむぎは焦っているのだ。
『今の一彦』に『自分の中の一彦』を否定されて。
本物の一彦からの肯定を、救いを求めている。
「他人事みたいに言わないでくださいよ! つむぎが、どれだけ一彦の事を好きで、辛い思いをしたかわかっているんですか!?」
「わかっているつもりだ。だが、私には関係のないことだろう。当事者同士の問題だ。私どころか、少年にも介入する権利はない」
「……っ違います! それをしているのは綾さんでしょう!?」
白々しくそう言い張る綾に、少年は迫る。
「一彦が、そんなこと言うわけないじゃないですか!?」
少年は、一彦を信じていた。
一彦なら、仮に本当につむぎの事が嫌いでも、その言葉どれだけ彼女を傷つけるかわかっている。
そんな事を、一彦がするわけがない。
ならば、そう言わせたのは間違いなく綾なのだと、少年は結論づけた。
「それは、少年の思い込みかもしれないぞ? 一彦は案外そういう奴なのかもしれん」
「惚けるのはやめて下さい。一彦にそんな命令までして、いったいなにがしたいんですか」
答えによっては殴りかかるといわんばかりに激昂した少年を、綾は見下すように言った。
誤解を解こうなどとは、1つも考えない。
「ならば答えてやろう。お前は、つむぎのあの性格を、お前はどう思う?」
少年は、それを問われて少し悩み、答えた。
「確かに、クセのある性格だとは思います。綾さんにとっては、扱いやすいでしょうね。目的が一彦を助けるって一点に集中してますから」
「そうだな。それに意志も強い。だから、一彦の名前をチラつかせながら導いてやれば、それだけで思うように動く優秀な人材になる」
少年は苦い顔をする。
綾の、人の感情を利用しようとする考え方が、少年は大嫌いなのだ。
「だがな、それが今の一彦に逸れていってしまっては、困るんだよ」
「前の、一彦の件ですか」
一彦が暴走したあの日を想像して、少年は言う。
「そうだ。アレを追いかけられても、研究は進みはしない。必要なのは、一彦を蘇らそうとする意志だけだ。必要のない寄り道は、速やかに排除されるべきだろう」
「……そんな理由でつむぎを傷つけるのが、許されると思ってるんですか」
「誰に許しを乞う必要があるというんだ少年は。そんな常識的な話は、この非常識な日常にあるはずがないというのに」
綾の意志は変わらない。
彼女は信念が、それを許さない。
「私の使命は、どんな手を使っても人類を救うことだ。そんなものに構っている暇はありはしない」
「そんなものって……つむぎが辛いこと、わかってるですか」
「そもそも私は全人類の犠牲を元にここに生きている。今更、罪の1つや2つを重ねたところで、変わりはしない。真に辛いというなら、それは今も凍り付いたままの人類の方だろう」
少年は綾の言い分になにも言えなくなった。
確かに、人類の存続と、いち個人の感情なんてものは秤にかけるまでもない。
むしろ自分のこの主張がただのワガママなんだろう。
それがわかっていても、少年は認められなかった。
「僕だけは、絶対に認めません。綾さんのそのやり方は」
その様子を見て、綾は少し笑った。
「……おかしいですか、僕は」
「いや、むしろそうやって悩んでいるお前の方が人間らしいと思ってな」
綾は、少年の肩に手を置いて言う。
「……なんですか」
「私としても、つむぎが悲しむというのは望むところではない。だからな、もしつむぎが悩んでしまったときは、少年が支えてやってほしい。私ではなく、他ならぬ少年がだ」
それから、深々と頭を下げて言った。
「頼む」
綾は、少年にそう言った。
らしくないことを言う。と、少年は思った。
つむぎを支える事は、むしろ望むところだった。
それよりも、気になる事があったのだ。
「そもそも、綾さんが傷つけたんでしょう。なんで僕が……」
「少年でなければならない理由が、そこにあるからだ」
「……なんですか、それ」
綾は答えなかった。ただ、真剣にその秘めた意志を込めて、少年を見つめた。
その様子に、少年は自然と頷いていた。
「綾さん、僕はあなたが、よくわからないです」
非情な手段を使ったと思えば、急に態度を変えたり。
今度は、こんな自分に頭を下げるなんて事までした。
いったいどの彼女が綾なのか、わからない。
「納得はしてません。けど、つむぎを支えることに関してだけなら、僕がやります」
それでも、ほんの少しなら信じていい思ったのは何故なのか。
つむぎやアンナが日頃からそう言っていたからなのか。
それとも、それがこの人の魅力なのか。
『他人を救うか、身内を救うか』というその同じ悩みを共有したからなのかもしれない。
「……つむぎに食事を運ぶ役、僕にもやらせてくださいよ。それじゃないと、会えないんですから」
「……あぁ、頼んだ」
そうして少年は、自分の意思か、綾の思惑か。
自分を支えてきてくれたつむぎを支えると、心に決めた。




